第十五話 クアザルマの夜
帰ってきたレンの土産話を、レヴィアは夜更けまで聞いた。
錬成屋の奥の居間。
酒と肴を用意させ、ベッドみたいに巨大なクッションに隣り合って寝そべり、うっとりと耳を傾ける。
まことに楽しいひと時。
レンも腹が減っていたのだろう、レヴィアが勧めるままに大いに食べた。
子どもが酒を飲んではならないという法律はないから、杯も舐めていた。
ただ、レンは酒が弱いから、普段はあまり口にしない。
それだけ、自分専用の剣が完成したことで、浮かれていたのだろう。
すぐに呂律が回らなくなって、土産話が全部終わらないうちに、泥酔してしまった。
「おやすみ、レン君。続きはまた明日、聞かせてね」
すぐ隣で巨大クッションに突っ伏し、ぐーぐー寝息を立てているレンの頭を、レヴィアは優しく撫でる。
繊細な髪質の毛を手で梳くようにして、弄ぶ。
寝ているのをいいことに、あちこちにキスまでして、イタズラする。
「ああ可愛いなー、もうっ」
レヴィアは堪らない。
出会ってからまだ二か月だが、日に日にレンのことが好きになっていく。
こんなに、眩しいくらいに純粋でひたむきな子を見たのは、レヴィアの長い生でも初めてのことだった。
ちゅっちゅ、ちゅっちゅ。
仰向けになるよう転がして、まだ大人のようには精悍ではない頬や、細さの残る首筋や胸まで、あちこちに接吻していく。
さらには右の袖をめくって、現れた傷痕にもキスを。
「悪いけど、この子は渡さないわよ――憤怒の」
七つ首の竜みたいな形をしたその傷跡を、唇で触れ、責めるように二度、三度と激しく吸う。
すると、レンが急に寝苦しそうにした。
次第に、悪夢にうなされるように唸りだした。
「ごめん、レン君。調子に乗ってやりすぎちゃったわ」
レヴィアは寝そべったまま、少年の頭を胸に抱きかかえる。
自慢のバストに、レンの顔が埋もれるようにしてやる。
すると、レンは安心した赤子のようにすやすやと、また穏やかな寝息を立てた。
どれほどの間、そうしていただろうか?
しんしんと夜が更けていき、やがて日付が変わり――来訪者が顔を見せた。
「お久しぶりです、我が師。お迎えにあがりました」
音も立てず、気配も窺わせず、忽然と現れた少女が、居間の出入り口でひざまずいていた。
フード付の外套で、全身をほぼすっぽりと覆っている。
また、人形のように整った顔の左半分も、包帯で隠れている。
アルファ――とレヴィアは少女の名を呼び、
「あんたは私が認めた一人前の錬成師で、既に独立も許可したんだから、いつまでも師匠呼ばわりはやめてくれないかしら?」
「我が師がなんと仰ろうとも、この身は永劫、あなた様の弟子でございます」
「頑なねえ!」
「そうあれかしと、我が師がお望みになったがゆえに」
「ハイハイ」
レヴィアは肩を竦め、不毛な問答を打ち切る。
名残惜しいがレンを離すと、巨大クッションの上に優しく横たえる。
「ちょっと出かけてくるわね? 土産話の続きは、また聞かせて。じゃ、留守番よろしく♪」
立ち上がって着衣の乱れを直すと、包帯の少女の傍に歩み寄る。
アルファも立ち上がると、外套を大きく翻して、レヴィアごと包み込むようにする。
後には影も形も残らなかった。
レンが一人で寝息を立てていた。
◇◆◇◆◇
こんな深夜にレヴィアとアルファが向かったのは、クアザルマに無数ある塔の一つだった。
名前はない。
なんのために建てられたのか、どこの誰が管理しているのか、一般には知られいていない。
だが、都市の有力者が単に「塔」と呼んだ時、この無名の塔を示す。
「緊急招集の用件は聞いた、アルファ?」
「はい、我が師。〈常世の国〉で、深層種の発見報告が相次いでいるとか」
「レン君の土産話でも、オークの深層種が群れを成していたって言ってたわ」
「〈常夜の国〉で、何か異常事態が起きているようですね」
そんな会話を小声で交わしながら、箱型昇降機に乗る。
これは塔の外周に沿って十六基設置された装置で、ゴーレムを動力にする、クアザルマ以外ではまず滅多にお目にかかれないものだ。
否、このクアザルマにおいてさえ、十六基ものエレベーターを備えた建物など、この「塔」以外にはありえないだろう。
この塔は全八層からなり、各階二基ずつ昇降機が対応し、直行する構造になっている。
レヴィアとアルファが乗り込んだのは、最上階行きの昇降機だ。
先に同乗者がいて、
「おや。珍しく顔を出すのが早いではないか、錬成屋」
と、尊大な口調で話しかけてきた。
顔見知りの、エルフの魔術師だ。
長命種ゆえ美しい青年に見えるが、齢は千歳を下らないはずである。
名をキケロニア。
エルフというのはもともと驕慢な種族だが、クアザルマに住む者たちはその限りではない。
森という狭い世界から出てきた彼らが、この混沌の街に大勢いる優れたライナーや、立志伝中の偉人たちの存在を見知って、自らの矮小さを思い知るからだ。
しかし、キケロニアは態度を改めなかった。
なぜなら彼より優れた人物は、このクアザルマといえどほとんどいなかったからだ。
キケロニアとはそれほどの実力者であり、実際クアザルマ在住のエルフたちを統べる、長老という地位を築いている。
「ええ、そうね。あなたの不快な顔を見る時間をなるべく短くしたいから、普段はゆっくり到着するようにしているのよ」
「ほざけ、レヴィア。この私の美貌を不快だと? フン、貴様の店の取りそろえはなかなかのものだと認めてやっているが、眼鏡の在庫はないようだな」
顔を突き合わすなり、憎まれ口を応酬するレヴィアとキケロニアに、アルファはやれやれとばかりに、こっそり嘆息する。
「あらあら、ご両人。相変わらず仲がよろしいことねえ」
と、またそこへ新たな同乗者がやってくる。
煙管を吹かした、あだっぽい美女だ。
歳こそ三十路をとおにすぎているが、こと色香という話ならレヴィアにも負けず劣らず。
売春婦ギルドのマスターで、名をエフェメラという。
「このやりとりを見て、仲が良く見えるのならば、貴様にも眼鏡が必要だな、エフェメラ?」
「ウチに〈魔水晶ガラス〉を素材に使った良品があるから、安く譲ってあげてもいいわよ?」
「あらあら、相変わらず口を開けば、皮肉ばかりなんだから。そんなんじゃモテないわよ?」
憎まれ口を叩く人数が一人増え、昇降機の中はますますにぎやかになった。
その険悪なムードに、アルファはまたこっそりため息をついた。
レヴィア、アルファ、キケロニア、エフェメラ。
以上の四人を乗せて、昇降機は最上階へと向かう。
この塔の各階は、それぞれが会議場として使われる。
またクアザルマ内での地位が高い者ほど、より重要な案件を取り扱う会合ほど、上の階を使用する。
最上階を使用できるのは、「長老」と呼ばれる者たちだけだ。
具体的にはエフェメラのような各ギルドのマスターや、キケロニアのような各種族の代表者たち。
あるいはその地位を引退し、後任に譲ったにもかかわらず、未だに隠然たる実力を持ち、他の有力者たちからも一目を置かれる、「大老」と呼ばれる者たち。
アルファは現役の、錬成師ギルドマスターだった。
レヴィアはその地位を、十年以上前に彼女に任せた「大老」だった。




