第九話 常夜の森の迎撃戦
闇の中から大量に現れたのは、オークの群れだった。
四方八方の木々の間から、次から次へと月明かりの下へ姿を現し、襲いかかってくる。
「さっき逃がした奴が、仲間を呼んできたって感じか!」
「いいじゃないかね、友釣りってやつさ」
ビアンカが舌打ちし、マーサが「これだけいれば稼ぎになる」とばかりにほくそ笑む。
一方、レンは軽口を叩いていられる余裕などなかった。
数も把握できていない敵に包囲され、夜襲をしかけられているのだ。
仮にソロだったら詰んでいた。
その恐怖感に衝き動かされ、抜刀して迎撃にかかる。
我先にと襲いかかってくるオークの一匹を見て、既視感を覚えるレン。
オークの豚面なんて見分けがつかないはずなのだが……。
(や、こいつが、さっきの奴だ!)
クリスレイアが斬り落としたはずの、右腕が再生していたので、すぐに気づかなかった。
しかし、その右腕回りや、レンが浅傷を加えた首筋が、血塗れだったので判別できたのだ。
(まさか斬られた腕が、こんな短期間で再生するなんて)
やはり深層種だ。
それも恐らく第三層より奥からやってきた、強敵。
第一層や第二層のオークとなら戦った経験があるが、こんな再生能力なんか持っていなかったからだ。
(でも、今度はもうしくじらない……っ)
決意を胸に、真っ向から挑みかかるレン。
「〈ファストブレード〉!」
「〈ヘヴィスラッシュ〉!」
「〈ダブルブレード〉!」
レンの裂帛の気勢に、クリスレイアとタナのものが混ざり、夜の森に木霊する。
さすがクリスレイアたちは連携がとれていた。
後衛であるビアンカとマーサを守るために中心へ残し、レンを咄嗟に前衛の一角として使いつつ、クリスレイアとタナとで合わせて三角形の防御陣を敷いて、オークを阻み、迎え撃ったのだ。
三者三様の剣技が、襲い来るオークへ逆撃を仕掛ける……!
レンの〈ファストブレード〉は、先頭のオークを高速で仕留めた。
持ち前のスピードで先の先をとり、眼窩を貫き、切っ先で脳漿を抉ったのだ。
先ほどの戦いでは喉元を掻っ捌こうとして、しかし浅傷しか与えられなかった失敗がレンに、より急所となる部分への刺突攻撃を選択させた。
実際、スピードでは全く負けてなかったわけだから、難しいことではなかった。
この反省と工夫が功を奏し、一撃での瞬殺劇となったのだ。
一方、クリスレイアの〈ヘヴィスラッシュ〉は、オークの一匹に致命傷を負わせた。
これは南派の基礎剣技の一つで、装備を合わせた己の重量を、威力に加えるという猛撃だ。
完全重武装の女騎士とは相性が良く、オークの堅い皮膚と分厚い脂肪を斬り裂いて、肩口から胸の半ばまでバッサリ断った。
さらには南派の中級剣技〈バスタースラッシュ〉につなげ、きっちりとどめを刺す。
そして、タナの〈ダブルブレード〉は――オークに通用しなかった。
これは北派の中級剣技の一つで、高速の二連斬を打ち込むという難易度の高い技だ。
一呼吸で倍のダメージを与えることができるが、一撃一撃は軽い。
相手が並のオーク原種ならば、恐らく即死させていたことだろうが、この襲撃者どもは皆が皆、堅く斬り辛い肉体を有していた。深層種だった。
結果、タナは浅傷を二つ刻んだのみにとどまり、オークの持つ巨大な棍棒で強かなカウンターをもらった。
「が……ふっ」
喀血し、ビアンカとマーサのところまで吹き飛ばされる、タナ。
ライナーの基礎たる呼吸法により、大気に遍く霊力を取り込み、体を鎧っていたはずだが、それでも大怪我を負わされるくらい、このオークどもの膂力は卓越していた。
「レン君、退がれ!」
クリスレイアの指示に、レンは考えるより先に従う。
他人を指揮し慣れた者の声だった。
常に、言葉に責任感がある者特有の声だった。
だからこそパーティーを組んだばかりのレンにさえ、その声は届いたのだ。
そして、従ってから「なるほど」と理解が追いつく。
タナが吹き飛ばされ、防御陣の一角が崩れた。
ならばレンとクリスレイアは陣形を縮めて、前後二か所で味方を守るしかないという理屈だ。
この辺、ソロライナーのレンには疎い、戦いの機微がある。
ところが、普段からパーティーを組んでいても、その機微がわからない、クリスレイアの指示の意図が読めない者がいた。
ビアンカだ。
「なんだよ、こいつら!? オーク原種じゃねえのかよ!? まさか本当に深層種なのかよ!? レンのホラじゃなかったのかよ!? こいつら全部!? あり得ねえ!」
と、予想だにしない事態に、パニック状態になっていた。
ヒステリックにわめき散らしていた。
あまつさえ我が身大事さに、手近の木にするすると登って、高いところで襲撃をやり過ごそうとした。
自分一人助かろうとした。
「それじゃダメです!」
と、レンが叫んでも耳を貸さなかった。
そして、ビアンカは己の愚かさの代償を、まとめて清算する羽目になった。
オークの一匹が棍棒を振るい、その凄まじい膂力を以って、ビアンカが登った木を叩き折ったのだ。
レンは先ほどの戦いで、この深層種の剛腕ぶりを見ていたから、予測できていた悲劇だったのだが――
「ぎゃっ。ぎああぁぁぁっ。やめて! 助けて!」
ビアンカは倒木ごと地面に転がったところを、三匹のオークに囲まれて、袋叩きにされる。
「〈ファストブレード〉!」
レンはもう懸命に駆けつけ、ビアンカを滅多打ちにするオークどもを屠っていく。
「た、たす……たしゅ……」
ボコボコに打ち据えられたビアンカはもう意識朦朧で、助かった後もまだうわごとのように、助けを求め続けていた。
「レン君はそのままビアンカのガード! マーサとタナは私が守る!」
「……や。ゴメン……こっちはもう大丈夫」
タナがまだフラフラとしつつも立ち上がり、クリスレイアと二人でマーサを守る。
おかげでマーサも落ち着いて、呪文の詠唱に集中できる。
【紅蓮の饗宴! 万華の烈火!】
渦巻く爆炎が顕現し、五匹のオークを一網打尽に焼き払った。
(あっちは任せて安心みたいだ!)
足元、痛みでのた打ち回っているビアンカに気をつけながら、レンは群がるオークを次々と〈ファストブレード〉で仕留めていく。
もう相手の力量はわかった。斃すコツもつかんだ。
何より、多少のミスはクリスレイアがフォローしてくれるだろうという安心感がある。
それがレンをいつもより少し果敢にさせ、その分いまのレンは攻撃的だった。
レン、クリスレイア、タナ、マーサの四人は、初動こそ動揺させられたものの、見事に立て直しに成功し、そのまま大反撃に移行した。
それが掃討戦になったのも時間の問題だった。
結果として、十七匹ものオーク深層種に襲われながら、負傷者を二人出すだけで撃退に成功したのだった――
◇◆◇◆◇
「レン君――君がいて、本当に助かったよ。私たち四人だけだったら、全滅させられていた。何より君の獅子奮迅ぶりは、水際立っていた」
「いえ、クリスレイアさんの判断や指示も、的確でした。僕はいつもソロだから、ほんとすごいなって感動しました」
喜色満面で抱きついてくる女騎士。
レンは過剰なスキンシップにおろおろ、ドギマギするばかりで、抱きしめ返す勇気もない。
「よかったら、レン君も私たちのパーティーに入ってくれないか? 今まで男はお断りだったんだが、君なら大歓迎だ」
「おやおや、クリスは手が速いねえ。ますますボウヤに首ったけだねえ」
「ち、違うぞ、マーサ! 別に口説いてるわけじゃない!」
クリスレイアはレンを放すと、真っ赤になって否定したが、マーサはとり合わない。
レンは反応に困った。
しかも、オファーを受けるわけにもいかない。
「あー……そのー……お気持ちはうれしいんですが、ちょっと事情がありまして……」
「そうか……。そうだな。ライナーだものな」
クリスレイアは心底残念にしながらも、食い下がりはしなかった。
オトナだった。まだ二十歳にもなってなさそうなのに、精神の成熟具合が。
それから、クリスレイアは話題を変えて、
「私たちは、今回はもうクアザルマに引き上げようと思う。ビアンカがこの有様だし――」
「オークの深層種を十七匹も狩れて、稼ぎは充分だからねえ」
マーサがヒヒヒと業突くそうに笑った。
ぐったりとへたり込んだタナと、今だ気を失ったままのビアンカの、二人を魔術で治癒しながら、器用なものだった。
「レン君も帰還してはどうだろうか? オークの深層種がこんなに大量にいるなんて、異常事態だ。他のライナーにも、注意を呼びかけておこうと思う。無論、生と不死の境界に絶対安全を求めるのは幻想だが、さりとて君も今ここで、無理をする必要はないだろう?」
「そ、そうですね……。僕もたっぷり稼げましたし……」
オーク深層種の牙や骨といった、魔物素材は五人で山分けした。
しかも、十七匹分を五等分するのは面倒なので、「レン君が大活躍だったからね」と、自分だけ取り分を増やしてもらえたほどだ。
「んー……ただ、やっぱり僕、今日中に用事をすませておきたくって……」
新しい剣が欲しかった。
ずっと前からコツコツ素材を溜めて、ようやくそろったのだ。
何より、レヴィアに見てもらいたかった。
今日までの冒険譚を聞いてもらいたかった。
きっと喜んで聞いてくれるだろう、その笑顔を見たかった。
「うん、承知した。それでは、名残惜しいがここでお別れだ」
「はい! 短い間でしたけど、ありがとうございました!」
「私たちは『乙女と乙女だった者たちの楽園』亭を定宿にしている。何かあったら、訪ねてきてくれたらうれしいな」
「ぼ、僕の定宿は『赤いトサカ』亭です!」
「『赤いトサカ』亭だな。記憶した」
クリスレイアは、気絶したままのビアンカを文句一つ言わずに背負い、タナやマーサと一緒に去っていった。
レンは大きく手を振って別れた。
(『乙女と乙女だった者たちの楽園』亭か……憶えておこっ)
噛みしめるように、口中で店の名を反芻するレン。
そして、目的地へ向けて顔を上げる。
いざ、〈剛鉄山脈〉へ――
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