最中は夢中で。冷静だったらすぐ逃げてたよ、あたしだって。
――魔王は死んでる。
んなら、あたしは何をしに来たんだろう?問いただしたい気持ちはあったけれど。昼間のうちはポドールさんと一緒に居たからエルナトに話しかけることは出来なかったし。手配してもらった宿に行ってからはもう、倒れるように眠りについてしまった。冷静に考えてみれば、あっちで紫苑さんに色んなことを伝えられてから、いきなり死にかねない命がけのバトル。一般的な女子高生が受けていいストレスと疲労の量をとうに超えていた。
「……ドミ……ヨドミ!!」
「んぁ、なんぁ……どわぁ!?」
騒がしい声に目を開けると、薄く透けた身体が目と鼻の先。飛び起きてみればすり抜けて――この感覚には流石にまだ慣れない。
「なぁ……っ、なによエルナトぉ……もう朝ぁ?」
窓から射す光りは青のような藤色のような。ここイェルバハは胞子が薄く舞っているせいで、空模様がいまいちパッとしない。ポジティブに言えばそれが幻想的ではあるんだけど。
「いや、朝ではない。がしかし――竜だッ!!」
「りゅう!!……この前みたいなやつ?」
手先が震えるのを感じる。結局のところ倒せたけれど――今にして思えば、人生最大の命の危機だったわけだし(もう一回死んでるけど)あれをもう一度なんて……やっぱりキツい。
「も居る!が、他にも選り取り見取りだぞ!」
「そんなバイキングみたいにさぁ……!って何、もう近くまで来てるワケ!?」
「いや、まだだ――だがあと半刻と言ったところ。武器を持て、準備を整えるぞ!」
「……っていうかここにはちゃんといるでしょ、兵士とか!そっちに任せれば良くない!?」
言いつつ、部屋干ししておいたセーラー服に袖を通す。傘は――ちゃんとベッドの傍ら立てかけてある。おっと仮面もちゃんと付けないと……。
「なッ、なんと情けない!そもそも兵士共はまだ竜に気付いておらぬ!」
「はぁー!?じゃあそっちに伝える方が先でしょ!」
「だが、お主一人で――」
「やれるかぁ!!」
兎にも角にも早く動いた方がいいらしいので、勢いよく宿を飛び出す。恐らく朝食の仕込みだろうスープの匂いが鼻腔をくすぐってあたしの後ろ髪を引くけれど。
飛び出した町は、まだ人通りも少ない。露天商が準備を始め、飲んだくれだろう男が一人向かいの店で倒れている。時間にすれば朝4時半くらいになるのかしら。
「こういう時って誰に伝えるもの!?パト……巡回とかいるのかな!」
「街の南に物見やぐらがあった、そこに行けば!」
「南ってどっちよ!」
「なぁ……えぇい、我が先導する!」
人通りが少ないのをいいことに、遠慮なく大声を交わしながら駆け抜ける。あぁもう、そりゃあ目的があって来てるんだから仕方ないけどさ、もっとゆっくりさせてくれたっていいじゃん!ねぇ?いっそ今のあたしを見た誰かが不審者扱いして兵士を呼んでくれればラクなんだけど、そういうこともなく順当に(?)物見やぐらに到着する。物見やぐらなんて言っても、結局は中をくり抜いた大きなキノコなのだけど。
「兵士は!」
「この上に決まっているだろう!」
「そっかぁ、あのー…………っ!!」
「……はい?」
焦るあたしのテンポを踏み倒すみたいに、ゆるい返事が帰ってくる。そのまましばらくすると降りてくる一人の兵士。両腕と両足を覆うように付けた何枚かの鉄のプレートに、頭にはキノコ由来なのか傘の広がった頭巾をひとつ。なんだか戦国時代の足軽を西洋風にしたような、そんなデザインの装備だった。お面には「衛兵」と書いている。
「えぇ、っと!その……竜が、来てて!」
「……ええっ!?何処ですか!街中ですか!!」
スイッチを入れたみたいな気迫に、思わずちょっと後ずさる。仕事のオンオフが激しすぎる。今度はさっきまでと違ってエルナトと話すわけにはいかないので、目線で促して。
「えっと……北西の、森の奥から来ている!……来てます!」
「なッ!?いやしかし、私は全方角欠かさずに見ていた!それにやぐらも使わずどうやってそんなに遠くを――」
うっ。痛い所を突かれた……しかしどうやらこの人も中々怠慢な衛兵らしくって痛み分けの様相。しかしどうしよ、あたしの背後霊が――とか言ったらまず間違いなくヤバいやつだ。今のところこの世界に魔法とかそういうものは見受けられないし。再度視線を送っても、エルナトは何も答えてくれない。えっ、えぇ、じゃあ……。
「……あたし!その、勇者なんで、そういうのが……分かるんです!」
「はぁ!?あぁ失礼、いやそう言われましても――勇者?何が……?」
――魔王も死んでりゃ勇者の知名度も無いんかい!何しに来たんだあたしは!
「んん~……あぁ、じゃあ、これ!」
「はい!?」
あらかじめポケットに突っ込んどいたのは、革袋の中にも数枚しかなかった金貨。銀と銅もあったけれど、質感と量からしてこれが一番価値がありそうだった。
「これ!竜が居なかったらあげますから……!もう、じぃっとその森?を、じぃっと見ててください!」
「…………はっ、はい。」
明らかに怯んだ様子の兵士が、おずおずとはしごを昇っていく。結局、一番強いのは何処の世界だってマネーだった。
……っていうかあたしも随分ゴリ押ししたけれど、エルナトが間違ってたっていう線は無かったのか……?
――何者にもなりたくはないんだ、あたしは。
役割を与えられると、そこに雁字搦めになる。例え大通りを歩けなくたって、カメラが当たらなくたって……表情筋一つ、アクセント一つすら不自由な主役よりは、端を歩くモブがいい……だのに。
「あ゛ぁ~~~~~…………!!」
地平線の向こうから、湿った生温い風が吹きつける――あっちと同じように、こっちもきっと夏なんだろう。
「凄いものじゃないかヨドミ、お前の一声にこれだけの兵が集まってくれた!」
「そだねー……。」
隣に浮かぶマルルに視線をやると、そのまま視界に移りこむのは……とっても不都合な現実。
「……ヨドミ様!町の警備兵七割、配置に付きましたッ!残り三割は避難誘導と東門の警備を!」
「あぁ、ご苦労。強力に感謝するよ、兵士諸君!」
「……ありがとーございますホント、えーと……がんばりましょね……。」
「はいッ!!」
聞こえてないだろうに威張るエルナト、その言葉をあたしが限りなくマイルドにして伝える。そう、あたしはエルナトの意志で動いているだけ、あたしの意志はない……これだ、これで行こう。
吹き飛ばされそうな声量に視線を逸らした先、地平線の果て――もくもくと土煙が立ち込めるのが見えた。
「……来るぞ、ヨドミ!」
「敵襲ーッ!敵襲ーーーーッ!!」
左右から大声に揺さぶられて、あぁもう正面を向くしかなくなる!
沈む夕陽が、黒いシルエットに埋め尽くされていく――陽炎で揺れていると思っていた地平線は、蠢く何かの群れだと気付く、中空に浮かぶ影は鳥……かと思えば、遠近法を鑑みるとサイズがもっと大きいことが分かる。
「さぁて、ここからだぞヨドミ……めいっぱい稼ごうではないか。」
「……稼ぐ?何を、金?」
「路銀も欲しいが――何よりオドだ。今のお主には決定的にそれが足りないように見える。」
「ヨド?」
「オドだ馬鹿者!……やたら乏しいと思っていたが……知らぬのか!?」
「知らないなぁ……。」
「なッ!……えぇいッ!戦いながら教えつつ、お主の言う幸運についても確かめていくとしようか……!!」
手から離れた風船のように、空へと上がっていくエルナト。その姿を追うように上を向けば、既に竜は何匹も何匹も、その姿を目視できるまでに接近している……。
昼間に出会ったトカゲと同程度の体躯に、鋭い鉤爪のついた両足。前足はなく、その代わりに蝙蝠のような羽毛のない翼が一組。飛行するために進化したような身体に対して、やたらぼてっと膨らんだ腹がなんだかミスマッチ……実際、鳥ほど高くも早くも飛べないらしい。
「行けッ!落とせ、落とせーッ!」
「町に踏み入れさせるものかぁー!」
い掛け声と一緒に、空中に何本も槍が飛ぶ。五本十本と空を切り、その中の一本二本が突き刺さる。貫いた場所が足なら止まらず、翼であれば速度と高度が落ちる。腹部を貫かれれば数秒後、顎から頭に貫かれれば直後に地面に落ちていく。そのシーンだけをとりあげれば衛兵が優勢に思えるけれど、実際は数が違う。五人で一匹を倒す現状に対して、敵の数はまだ届いていない地上のトカゲも含めれば三倍以上。町の外壁、傘立てのようなものに収納された手槍も無限ではなかった。
「さて、まずは此処だーッ!ヨドミ!!」
「えぇー……!?」
あたしにしか聞こえない声が響く。見上げたエルナトの姿……竜の一匹、その首に巻き付いて下顎を指し示している。いくら高度がないとはいっても、昼間に出会ったトカゲよりも遥かに遠く、上空なら条件もキツいはず。ダメな理由は幾つも浮かぶけれど……戦場に漂う熱気に導かれるように傘――は不味いか「ちょっとすいませんっ、」隣の兵士が持っていた短い槍を手に取る。
「だぁッ、せぁーーい!!」
木で作られた柄に菱形に加工された鉄を括りつけた、消耗品らしい簡素な作りのそれを数歩の助走から投げつける。想像以上したよりも遥かに綺麗な曲線を描きながら、吸い込まれるように下あごに突き刺さる!
「うっそぉ!?」
「次だっ、弱点は同じ顎!」
「遠!」
今度はさっきよりも遥かに遠く、まだぼんやりとしか見えていない影。撃墜の感覚に生まれた火照りを右腕に込めてさらに数歩、隊列からはみ出さない程度に助走をつけて――
「いっくらなんでも届かないわ!」
「……成程なぁ!」
二度目の投擲は、ともすれば一回目よりも短いんじゃないかという位置。偶然他の竜を射貫くということもなく、勢いを失って地面に落ちて。そのまま地を這う大トカゲに踏みつぶされるのが見えた。
「次、一匹向かったぞ!近接ならば腹だ!貫け!」
「ちょぉ、あ……ぁあッ!?……ねありゃッ!」
足を貫かれて激昂したらしい一匹が兵士めがけて急降下してくる!落としてた傘を拾い上げて、三メートル程度の距離を駆け抜け――ホームベースにダイビングするみたいに飛び込みっ……狙いもまばらに打ち込んだ傘の一撃は、柔らかな腹肉を波打たせて、その巨体が小さく吹き飛んで地面に落ちる。
「ありがとうございますヨドミ様ッ!」
「様ぁいらな……」
「まだだ!火炎が来るぞ避けろ!」
「かえんんんん!?避けッ……ぇ、あ!?」
横たえた竜の、まるでクシャミを我慢する時のような所作――人生で見てきた映画ゲームアニメ諸々が、火炎放射のイメージを明確に脳裏に反映させる。地面にすっ転んだ身体起き上がらせて、飛ぶ……っと思ったんだけど飛んだら兵士の人燃えるじゃん!
背筋に走る冷気、鈍重になる時間――どうする!?最初に浮かんだのは傘を投げて咥えさせるパターン……!でもこの姿勢からじゃ、それだけの勢いがつかない……傘?傘!!これ武器だけど、傘じゃん!
「…………かさぁ!!」
傘を縛る帯のボタンを乱暴に外してそのままスイッチ、ばんっと傘を展開させる!埋まる視界――ごごぉ、という音と傘越しでも感じる熱さ、防ぎきれずに飛び散る火の粉!そんな瞬間が1,2,3……5秒。あの時紫苑さんが言った通りに、相当な特別製らしい……破けることも燃えることもない。間もなくして兵士の掛け声と竜の断末魔、直接槍で貫かれて絶命!
「ま、また……あっ、地上、地上来ます!!」
傘を閉じれば昼間のトカゲ……それも昼間の比ではない数が群れを成して、走ってくる。叫び声を上げながら兵士が駆け寄っていく。トカゲは後ろ脚をバネのようにして飛び掛かり――噛み付かんとするそれを腕の装甲で受け止め、宙ぶらりんになった身体を槍――今度は手槍ではないしっかりとした鉄の槍で――貫き、引き抜く。そんな様子が流れていく。
「……さあ!数を稼ぐぞ、ヨドミ!」
「げぇ!?いや、さっきので…………あれ?なん、か、動ける!?」
ふわり、あたしの傍らに降りてきたエルナト。とはいえもう駆け出すだけの体力は出せない……と思ったんだけど、あれ、まだ走れる……!
「そうだ!それがオド、生き物を殺した時、それが持つ生命力を譲り受けることが出来る――そちらには無いのであれば、そう、この世界の摂理!」
「なんだそれ!……なんで!?」
「さあな。神が共食いを経て成長を促そうとしただの、来るべき魔族との戦いがどうだのと理由はあるらしいが――まあ、敵を倒せば倒すほど強くなる。」
「はぁー……っ、でぇ!このトカゲは、頭ッ!」
返事を待たずに振り被る傘っ!飛び掛かってくる一体へ、野球めいて振り抜く――さっきと同じようにジャストミート……もしかして幸運ってこういうことなのか?遠心力任せに身体を一回転させて、今度は地を這う一匹に叩きつけて、動けなくなる。
「なるほどなるほど……。」
「さっきからなるほどって何さ?」
「まず、幸運。狙った結果を引き起こすことが出来る……ただ、可能でないことは出来ない。例えば二投目の槍は届かなかったな?そもそも拡大解釈を極めれば、こうして竜に町が襲われるということもないはずだろう?」
流れ作業的に竜を撃退しながら、会話をしていく……それだけの余裕が出来ている自分に、少し、驚いた。