まず、あたしは死んだんですよ……本来なら、あそこで。
3000字前後で小分けにしていけたらなって感じなんで、タイトルとか……どうしましょ。
そう考えたら牛って凄いですね、全身くまなく細かく名前付けられてて。人もそうか
むかし。
主人公の寝起きから始まる物語は駄作だと聞いたことがある。
映画もそう、ドラマもそう、漫画も、小説も。派手なアクションシーンだとか、爆発とか、あるいはいきなり人が死んだり……そんな何かしらをして、見てる人の関心を引き付けないといけないんだとか。
もしあたしの人生を映画化したとしたら……何処から始まるんだろう。
担任の長ったらしい終礼を聞き流しながら、帰り支度を整える。
あたしのカバンは、もうずいぶんと軽いものだった。
教科書やノート類は宿題が出ている最低限だけで、残りは全部廊下のロッカーに投げ込んでるし。
陸上部のあたしには、吹奏楽部や剣道部みたいに背負って歩くものもない。その活動もおざなりになってるし。
けれど、まあ。軽いのはいいことだと思っている。重いよりは、たぶん。
「お、来たか来たか。それじゃあこれ、今週分。」
そのがらんどうに放り込まれるのは――五教科とプラスアルファ、クリアファイル六つ分に詰め込まれた一週間分のプリント群。ロクに中身が無いのもあって、底に堆積する。
「おー……おっつかれー。」
部活に向かう友人とすれ違いながら学校を飛び出す。授業が終われば部活に向かう――そういう流れを横目に下校準備を整えるのは、なんとなく心がざわつく。いい加減に慣れてもいいはずなんだけれど、なかなかそうもいかない。
カバンを籠に放り込み自転車のスタンドを蹴り上げて、逃げ出すように学校を飛び出す。学校の一生徒から町の景色の一部に変わった気がして、少しだけ気分が楽になる。いっそ帰宅部になれば楽なんだろうけれど、そう割り切れないのはやっぱりあたしなのだった。
「合計で4752円になりまーす。カバーおかけしますかぁ?」
自転車は見知った商店街に入っていき……途中、本屋に立ち寄る。あらかじめリストアップしていた漫画本を買い揃えて、貰ったプリントを押し潰すみたいにカバンに詰め込んでいく。この店は2階がレンタルビデオ店になっていて、そこで借りた映画DVDも入れてとなると、まあちょっとした重さにはなってくる。
そうして重くなったカバンを抱え、自転車はオレンジ色の灯りに照らされた長いトンネルに入る。せわしなく走るトラックやタクシーを横目に抜ければ――潮風がふわり鼻をくすぐって、青く煌めく海原が視界に飛び込んでくる。建物は露骨に減り、街の喧噪は鳴りを潜めて、海鳥の鳴き声がこだまする。
埠頭を流れて、人気のない浜辺沿いに。ぽつねんと病院が建っている。潮風に晒されて塗装の剥がれた壁、病院と診療所の中間のような大きさの建物。
「あぁ鹿子さん、いらっしゃい。」
実際に入ってみると、外観のイメージとは異なる清廉な室内。少しふくよかな看護婦が、やわらかい笑みを浮かべている。待合室には数人の老人。見慣れた顔触れが、今日も政府がどうの避難がどうのと雑談している。病院にいる以上何処かが不調なのだろうけど、少なくとも半年前から人数は減ってない。きっといいことなのだろう。
「こんにちはよどみちゃん。それじゃあ、ごゆっくりね。」
三階、階段から見て一番奥にある個室。香水の匂いを漂わせた初老の看護婦と入れ違いに這入り込む――純白の病室。開け放たれた窓の外には、海と空がまるでおべっかを使ったみたいに綺麗な部分だけを覗かせていて。そこから射しこむ初夏の日光が床に反射し、あるはずの染みや汚れを隠す――私はそれに、無抵抗で騙される。
そんな綺麗なふりをした部屋の端、窓際でベッドに横たえる――彼女が、私の先輩にして病人……縷々川しい子だった。
「……や。いらっしゃいよどみちゃん。」
「こんにちはー。」
前髪は眉まで、後ろ髪は腰までまっすぐに伸びた髪。寝起きのように薄く開いた目は、あたしに向けてゆるく微笑む。病気のせいですっかり髪の色は落ちてしまっているけれど、それでもなお綺麗なままで。
「ほら、今週分ですよ。まずはプリントと――こっちが漫画。今週はバトルものにしてみました。毎度毎度恋愛だと流石に胃もたれしちゃうかなーと思って。」
「……そうか、ありがとう。」
「前のは?読み終わりました?」
「ああ、流石にこれだけ時間があればね……ほら、お待たせ。」
カバンに詰め込んでいたファイルと漫画本を取り出して、ベッド横の小さな机に並べる。それと引き換えに、ベッド横の本棚に溜め込まれた漫画本と、回答済みのプリントを貰ってファイリング。いつも通りに、あたしのカバンで引き取っていく。
「……今日も一人かい?」
「まあー、期末とか近いですからね。やっぱりみんな、忙しいんでしょう。」
本棚の端っこに立てかけてあった寄せ書きを撫でながら、先輩が言う。何を今更……という話だった。先輩が入院したのは去年の暮れ。新年そして新学期という節目を二つも繰り返せば――いかに美人で優秀な先輩相手だったとしても、お見舞いに行こうなんて気持ちはなくなってくるもの。
「そうかぁ。じゃあ、今日もキミと二人なわけだ……よどみちゃん。」
「悪かったですねー。」
言いつつ、お見舞い客用のパイプ椅子を抱え、ベッドの隣に置く。
「たまにはそっち使わせてくれません?パイプ椅子かったくて。」
「んん?あぁ……なるほど。じゃあ来るかい?」
「は?」
「女子二人分ならなんとかなるだろう、あぁでも……どうかな。汗の匂いとか……。」
「いや、そうじゃなくて。」
降りろって言いたいんですけどね。
「……まぁ、いいです。病人は病人らしくしててください。あたしは若いので。」
――ほんとのとこ言えば、あたしだってお見舞いなんておっくうなわけで。いやほんとに。
この数か月間、先輩のお見舞いに来てるのは恐らく……あたしだけだった。ああ、学校ではの話。両親とかは来てるし、親戚や先生なんかも行ってるのかもしれないけど……そこはあたしの管轄外。少なくともこうして先輩と話している生徒はあたしくらいで――あたしくらいなものだから、プリントや連絡事項の配達役もあたしになってしまっている。
配達役――役。役割。あたしの嫌いなもの。もっと言えば、「何か」になるということ自体が、ほんとうに嫌いだった。なら何故ここにいるのかって……それは、なし崩しになってしまったから。何かになるのが嫌いなのは本当だけれど……だからといって、一度決まった流れに逆らえるほどの力は、あたしには無かった。
――なので、あたしは。
「じゃ、電気消しますからね。」
「ああ……そうだ、もうお菓子は開けちゃっていいかな?」
「勝手に。」
結局今日もまた、先輩と借りてきた映画を一緒に見て。
先輩と漫画を回し読みして。
先輩とお菓子を食べて。
先輩に勉強を教わったりして。
放課後をすべて、先輩に捧げるのだった。
「……お、っと……もうこんな時間ですね。そろそろ帰りますよー。」
「ああ……うん。」
気付けば、病室のシンプルな時計は六時過ぎを指していて。6月の6時はまだまだ日が出ていて、まるでそんな気がしなかった。5時には町に響いていたはずのベルの音も、映画にかき消されて聞き逃していたらしい。プレイヤーに入れっぱなしだったDVDを取り出して、広げていたノートを鞄に放り込む。
「それじゃまた。水曜日か……それか来週の金曜日にでも。」
「――ねえ、よどみちゃん。」
「はい?」
先輩の声が、夕陽を浴びて橙色になった病室に響く。なんだか普段とは少し違うトーンに身構えてしまう。
「どうして、こうして一緒に居てくれるの?」
「え……なんですか、今更。そりゃあ……。」
「あぁ、いや。今答えてくれなくてもいいんだ。今度来た時に――聞かせてくれるかい。」
「…………はぁ。まあー……いいですけど。」
――今週はただでさえ、宿題多いのになあ。
そんなことを思いながら、自転車のカゴにカバンを載せる。乱暴に詰め込んだせいか、行きの時よりも重く膨らんでるような気がする。
病院から出てきてみて、あそこで答えておけばよかったと後悔する。考えてきてくれってことは……それなりの答えを要求されるわけで。例えば100文字以内で答えよと言われた問題に、1単語で回答したってマルは貰えない。嫌々ですとか、なあなあですとか……そういう回答じゃ足りなくなってしまったわけだ。
……いや、そもそも正解しなくてもいいような。っていうか正解ってなんだ。
先輩が喜ぶ回答?それとも自分に正直な回答?あぁもう……めんどくさい。本当にこの時間は……めんどくさい。
そんなことを考えている間に、自転車はトンネルの中に入る。
ここを潜れば、あたしに馴染みのある街並みが戻ってきて……このモヤモヤも、少しは紛れる。
――けれど、残念ながらあたしがトンネルから出ることは無かった。
耳をつんざくような悲鳴。
大きな地鳴り、あっけなく倒れる二輪の車体。
閉鎖空間であるはずのトンネル、その天井から射す橙色の夕陽。
この日。あたし鹿子よどみは――あんまりにあっけなく死んだ。