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迷宮の花嫁  作者: おたふく
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●浩樹 手記

 意識を取り戻した僕が横になっていたのは、床の上に敷かれた粗末なマットの上だった。見回すと、ガランとした物置のような狭苦しい空間だ。

 四方を取り囲む壁は無機質なコンクリートで、たった一つの出入り口であるドアは、固く施錠され開けることはできない。窓は一つ。手の届かない高いところについている。部屋の隅には、簡易用トイレがが設置されていた。そう、ここは監禁用のための部屋なのだ。

 なぜこんなところにいるのか? 起き抜けのせいもあるのだろう、一瞬その理由がわからなかった。けれどすぐ、身体中に残る、打撲による痛みが、ここへ放り込まれるに至った経緯を思い起こさせる。

 しかしそんなことより、僕が気になったのは瑠奈のこと。そう、瑠奈! 妹も同様に捕まってしまったのだろうか? 心配でたまらない。今すぐに、その安否を確かめなければ。

 気がつくと、ドアをたたき、大声をあげていた。

「瑠奈を出せ、どこへやった!」

 しかし当然のこと、それ応じる相手はいなかった。それでも僕は、瑠奈の名を呼び続けずにいられなかった。


●瑠奈 手記

 紗のカーテンが幾重にも垂れ下がる、不思議な空間にロココ調のソファが一つ。その上にポツンとわたしは座っている。

 目の前には大きな鏡台。そこに移る自分の姿は、まるで人形のよう。身につけている純白のドレス。セットされカールしたつややかな髪、黒いタイツ、赤いハイヒール。

 そうした外見だけでなく、わたしが人形のように見えるのは、ほとんど微動だにせず、まばたきも、ろくにしないせいだった。宙の一点をにらんだままの瞳は、まるでガラス玉のようで、意思が浮かんでいないのだ。

 そしてかたわらの丸テーブルの上に、ぽつんと置かれた空のグラス。そう、わたしはまた例の薬のはいったお茶を飲まされたのだ。いや、それよりもはるかに強力な何かを。そのせいだ。こんな状態にあるのは。

 まったく不思議な体験だった。こうして意識はあるのに、自分の体を動かすことができないなんて。それはまるで幽体離脱。もう一人の自分が、離れたところから自分を見ているよう。

 しばらくして、室内にドアの開く音がして、真紅の絨毯の上をこちらに近づいてくる足音、それお義母さまだった。黒いシックなドレスに身をつつみ、手には琥珀色の液体が注がれたグラスを持っている。

「瑠奈さん、おかわりのお茶を持ってきたわ。さ、飲みなさい」

 半ば命令するような口調で、グラスを渡されると、わたしは言われた通りに、ためらいもなくその液体を飲み干した。その動作は完全に、催眠術をかけられた人間のそれである。わたしはもう義母のいいなりなのだ。

 その時、柱時計の針が深夜の零時をさして、ゴオオオオン、ゴオオオオンと不気味な鐘の音を室内に響き渡らせた。

「さあ、時間よ。立ちなさい」

 義母は言って、私の手をとるとソファから立ち上がらせる。

「さあ、行きましょう。瑠奈さん、儀式の時が来たわ。私についてくるのです」

 儀式。こんな深夜に行われる儀式が、わたしにとって、喜ばしいものであるはずがない。義母に腕をつかまれたまま、わたしは部屋を出て、どこかへと連れていかれる。

 廊下をまっすぐに進み、階段を地下へ降りていく。その先に、大きな両開きの扉が見えてくる。そこを押し開けて、わたし達は中へ入っていった。

 ヨーロッパの古い教会のような、天井の高い、ホールのような空間。円柱の柱がいくつも立って、壁にはレリーフが彫られている。そしてその中央には、祭壇をおもわせる台が置かれていた。それはよく見ると、青いシーツでおおわれた、大きなベッドのようだった。

 その周囲を取り囲むように、黒いマントをはおった数人の人物が立っている。それは、二人の義兄、義父、そして親戚ら、全て朱雀家の一族だ。誰もが無言で、その表情は硬く、緊張しているのがわかった。

 そんな黒装束の人々の中、純白のドレスをまとったわたしの存在は一際、目立つことだろう。たとえれば、荒野に咲く一輪の花のように。けれど、それは単なる造花だった。心をともなわない、わたしはただの人形に過ぎない。

 キャンドルに火がともされて、どこからかオルガンの奏でる宗教曲が聞こえてくる。ついに儀式が始まってしまったのだ。

 わたしとともに、この場のもう一人の主役、その人物がやって来る。その靴音が聞こえた。前方に見える、もう一つの別の扉が重々しく開いて、その男が姿をあらわした。

 大柄で筋骨たくましい人物だった。仕立ての良い真っ白なタキシードを着て、服装だけを見れば、立派な紳士である。

 けれど男の顔は茶褐色の剛毛に、その一面が覆われていた。そで口から出た両手もまた、その甲にまでびっしりと剛毛に覆われている。

 そう、それはわたしの寝室に忍び込み、その様子を見つめていた、あの人物だったのだ。

 その狼男に向かって、その場にいる一同はうやうやしく頭を垂れた。そして皆を代表するように、一歩前へでた義母が言う。

「儀式の準備は整いました。繁さま」

「うむ」

 狼男は、義母をふくめ、そこにいる全てのものにたいして、まるで主人のような振る舞いをしている。

 そう、わたしは直観した。この狼男、その名を繁というこの男こそが、その異様な外見に反して、この屋敷の真の主人だったのだ。


●薫へのインタビュー

浩樹「あの後、お前はどうなったんだ?」

薫「家族に捕まって、俺は離れにある建物の反省室に入れられたのさ」

浩樹「俺が入っていたのは、また別の場所だったんだろうか?」

薫「そうだな。浩樹が入れられていたのは、別棟にある独房の方だった」

浩樹「全く、とんでもない屋敷だな」

薫「屋敷といっても、実態は教団のアジトのようなものだからな」

浩樹「結局、朱雀家とは何だったんだ?」

薫「わかりやすく言えば、新興宗教団体、カルト集団ってことになるのかな。けれど俺にとってはそんな簡単な言葉では言い表せない。俺の全てといっていいものなんだ。教団の皆、全てが家族であり、友であり、同志なんだ。俺はその中の一人として、誇りをもって与えられた務めをはたした、ただそれだけだ」

浩樹「与えられた務めっていうのは、嫁を探すことか?」

薫「そうだ。洋子は教団による、あらゆる条件をクリアした、選ばれた女性だった。指図されるがまま、彼女に近づき、誘い、夢中にさせた。そして結婚にいたった」

浩樹「ひどい奴だ」

薫「今では反省しているよ。でも仕方なかった。俺は信じるもののために、ただ一心不乱に自分のすべきことをしていただけなんだ。けれど儀式の日が近づくにつれ、俺はいてもたってもいられなくなっていた。そう、自分でも気づかぬうちに洋子を本気で好きになっていたんだ。本当だ。いい加減なことを言うなと怒られそうだが、俺は俺なりに洋子のことを、本気で愛していたんだよ。だから、つい、その直前になってああした行動に出てしまった。まさかこの俺が、教団を裏切るなんて。けれど、今も後悔はしてないよ。あの時の自分の気持ちに嘘はなかった」

浩樹「で、捕まってしまったというわけか。その間は何をしていた?」

薫「反省室に閉じ込められている間はまんじりともできなかったよ。なぜならすぐにまた、儀式が仕切り直しで行われることを知っていたからな。その前にどうにか洋子をたすけだせないか、そればかり考えていた。けれど、向こうは思った以上に俺に用心して、そんな隙もなかった。結局何もできないまま、あの深夜零時の、儀式が始まるを告げる、鐘の音を聞いていた。その時の絶望感は、今でもはっきりとおぼえているよ」


●あかね 口述

 例の少年、ガルは来てくれるだろうか? 約束の日、その時刻。あたしは朱雀家の正門からはるか離れた塀の前で、息をひそめて待っていた。

 すでに時刻は午後の九時になろうとしていた。大人であればまだ宵の口といったところだが、何しろ相手は五歳の子供だ。外を出歩くような時間ではない。

 しかしはたして、ガルは来た。よほどあたしを気に入ってくれたのか、それとも持ってくると約束した、お菓子の効果だろうか。ともあれ、足音がしてすぐに、目の前の塀の下部分、はめこまれていたレンガがいくつか外されて、そこからガルのかわいらしい顔が飛び出したのだ。

「お姉ちゃん、こんばんは」

 こんな時刻に、こっそり家を抜け出して、他人を招き入れる。このくらいの年頃の子供にとって、それは胸踊る、ちょっとした冒険なのだろう。ガルのほおはかすかに紅潮し、内心の興奮がつたわってくるようだ。

「さあ、中へ入っておいでよ」

 塀にできた穴は小さいもので、大人の男性、もしくは大柄な女性だったら、途中でつっかえてしまっただろう。けど幸いなことにあたしは、標準よりも小柄な体型だ。するりと通り抜けることができた。

 衣服についた土をはらい、立ち上がると、そこはすでに朱雀家の中だ。草木の濃厚な香りが鼻をつく。

 まずは最初に、約束通り、あたしは持参してきたお菓子、シュークリームをガルに渡した。夢中になってかぶりつく、その様子がかわいらしい。

「じゃあ、案内をたのむね」

「よしきた」

 ついて来いという風に手を上げると、ガルは走り出した。遊びなれた場所なのだろう、無数の木々が生え、雑草が生い茂る迷路のような森の中を迷いもなく進んでいく。こちらとしては、ついていくので精一杯だ。

 森を抜けて、ほとんど窓もない、のっぺりとした壁が一面を占めている、屋敷の裏側が見えてきた。

「ほら、あそこだよ」

 ガルの指差す方向を見ると、細長い換気用と思われる小さな窓に灯りがともっている。

「あの部屋に?」

「うん。誰か閉じ込められてるんだ」

 最近、ここに閉じ込めれた人間。となればお兄ちゃんしかいないだろう。実際、あの後、電話をかけても通じないし、メールの返事もないのだ。朱雀家に忍び込んだところ、捕まってしまった、と考えるのが順当だろう。

 しかしここで名を呼んで、確かめるわけにはいかなかった。どうしたらいいんだろう? 窓までは二メートル以上の高さがあって、簡単にのぞくというわけにもいかない。

「ガル、来て」

 ガルに肩の上に乗ってもらい、部屋の中を確かめてもらおうと考えたのだ。

「無理しないでよ、お姉ちゃん」

 小柄なあたしには、たとえ五歳の小さな子供といえど、肩にのせて、立ち上がるのは無理があった。見かけより、はるかにずっしりとした重みに、しゃがんだ状態から、それ以上、身を起こすことができない。けれどすぐ近くに捕まったお兄ちゃんがいるのだ。放っておけない。その強い思いが、あたしに火事場のバカ力ってやつをあたえてくれた。

「ふんっ!」

 鼻息もあらく、気合いを入れると、どうにか立ち上がることができた。

「窓から中が見えそうだよ」

「何をしているの?」

「男の人だ。マットレスの上に座り込んでる。下を向いているから顔はわかんないや」

「ガラスをたたいて、呼んでみて」

「わかった、あっ!」

 そこまでが体力の限界だった。よろめいた途端、膝ががくんとくずれ、あたしは尻餅をついてしまう。すかさず、肩の上から地面へと着地したガルが心配そうにこちらを覗き込む。

「お姉ちゃん、大丈夫か?」

「うん。平気よ。あ、あたたたたっ」

 立ち上がろうとした途端、背筋にぴしりと痛みが走る。どうやら腰の筋を違えてしまったようだ。しかし、ここで弱音をはいている暇はなかった。早くお兄ちゃんをたすけなきゃ。

「ねえ、ガル。中にいるのは、あたしの知ってる人なの。間違ってつかまってしまったのよ。たすけてあげたいの。手伝って」

「いいよ」

 疑うことを知らぬ年頃なのだろう。ガルはあっさりと承諾した。

「で、この中に入りたいんだけど」

「わかった。こっちに来なよ」


●浩樹 手記

 僕は途方に暮れていた。胸にせまってくる絶望感。もうだめだ。そんな追い詰められた気持ちで、頭の中はいっぱいだ。

 鉄格子のはまった小さな窓が一つあるきりの、狭い部屋に、丸一日、監禁されていれば、そんな風に弱気になっても仕方がなかった。

 瑠奈、妹はどうなったんだろう? その身の上を心配しだすと、いてもたってもいられない。

 しかし冷たく固い壁に、四方を取り囲まれたこの状況では、どうすることもできない。その時に音がした。そして感じる、人の視線。ハッとして窓を見ると、しかし、そこには誰もいない。

 気のせいだったのか? 僕はまた力なく肩を落とした。


●あかね 口述

 それは屋敷の裏側に、おそらく後年になって、増築されて取り付けられた一画だった。側面の端に、出入り口用のドアがあり、ガルはあたしに待っているようにと言い残すと、そこから中へ入っていったのだ。

 わずかに開いたドアの向こうから、中の会話がもれてくる。

「おや、坊ちゃん、こんな時間にどうなすったんです?」

 ガルはやはり、朱雀家の坊ちゃんだったのだ。

「うん、ちょっとお願いがあるんだ」

「何ですか? 言ってください」

「ペットの猫が、逃げ出してさ、ここまで追ってきたんだよ。この辺にいると思うんだけど。一緒にさがしてよ」

「猫が? わかりました。手伝いましょう」

 ドアから出て、草むらの方へ行く二人の背中を見送って、あたしは隠れていた木の後ろから出ると、代わりに建物の中へ入った。

 そこは殺風景な事務室のような場所だった。デスクが並んだ小部屋があって、その先に通路が伸びている。両側の壁には、いくつかドアがついていた。ここは人を監禁しておくための場所なんだ。お屋敷の中にこんな部屋が用意されているなんて、やはり異常だ。ともあれ、そのうちの一つに、お兄ちゃんは監禁されている。

 外側の窓の位置から考えて、それは、一番奥の部屋に違いなかった。駆け寄ってノブを回すものの鍵がかかっている。

 小部屋にもどり、周囲をさぐると、デスク脇のでっぱりに、丸いホルダーに通されている鍵束を見つけた。この中にドアを開ける鍵があるのだろう。

 その時だ。ドアの開く音がした。自分でもびっくりするくらいの反射神経で、あたしはとっさに、壁際のロッカーの間に身をかくしていた。

 近づいてくる足音。小部屋にもっとも近いドア、トイレのマークがついたそこから、出て来たのは、もう一人、別の監視員だった。

 注意しておくべきだった。ここにはデスクが二つある。監視員は二人いたのだ。

 あたしは息を呑んだ。すぐ目の前に監視員が迫ってくる。向こうが顔をふと、こちらに向ければ、すぐ見つかってしまうだろう。

「ちょっと、おじさーん」

 その時、声がした。

「ガル坊ちゃん。何ですか?」

「猫がこの辺にいるの。おじさんも一緒にさがしてよ」

 全く機転のきく子だ。警備員のもう一人も、ガルに呼ばれて、架空の猫探しに駆り出され、外へ出て行った。

 さて、これでもう邪魔者はいない。あたしはお兄ちゃんが閉じ込められていると思われるドアに向かうと、鍵束を見つめた。けれど、それを一つ一つさして確かめるようなこともしなくてよかった。そこには数字がつけられていた。部屋のドアに記された数字、五番の鍵をいれると、カチッ。小気味のいい音とともに施錠が解かれてしまったのだ。

「お兄ちゃん、たすけにきたよ」

 ドアを開け、そう呼びかけて、あたしの動きは止まってしまう。だって、そこにいたのは……。


●浩樹 手記

 視線を感じてからすぐ、今度はドアの向こうから、何やら鍵穴をいじっているような音がしだした。

 不安におそわれる。誰かがここへ入ってこようとしている。ここに閉じ込めた奴らが、僕を始末しに来たのかもしれない。悪い予感しかしなかった。

 ガチャッ、キィィ。

 しかしドアが開いて、そこに立っていたのは、長い髪、白い肌が印象的な、美しい女性だった。初めて見る顔だ。

「あんたは?」

「……浩樹さん、でしたわね? 瑠奈さんの、お兄様の」

「ええ、そうですが」

 とりあえず、その女性から敵意のようなものは感じない。僕は警戒を解いた。

「あなたをたすけたいの。というか、瑠奈さんをたすけたい」

「!」


●あかね 口述

「君は確か、ここで栄養士として働いていた……」

「そう、柏木あかねです」

 そこにはてっきり、お兄ちゃんが監禁されているとばかり思っていた。けれど、あたしの前には今。

「薫さん、どうしてあなたがここに?」

「いや、色々と訳があってね。柏木さん、君は……浩樹をたすけにここへ忍び込んできたのか? なかなか思い切ったことをするね」

 察しがいい薫さんの言葉にうなずいた。

「そして君は間違えた」

「間違えた?」

「ここに浩樹が閉じ込められていると思ったんだろ。でも奴はまた別の場所に監禁されている。でも、間違ってくれてたすかったよ。一緒に逃げよう。大丈夫、浩樹もたすけてやる。でもその前に、瑠奈をたすけないと」

 どうなっているのかわからない。けれどどうやら今、薫さんはこっちに味方してくれているようだ。信じていいのだろうか? けれど逡巡している余裕はない。今は彼と協力するしかなさそうだ。


●浩樹 手記

「わたしは洋子といいます。森の奥に建つ洋館に住んでいます」

「洋子ってまさか?」

「知っているのですか? わたしはかつて、朱雀家の長男、充の嫁でした」

「行方不明になって、たしか海外で働いていると聞いたけど」

「ええ。表向きはそうなっています。けれどそれは両親を安心させるための、偽の情報。実際はずっとここにいました」

「なぜ? ここであなたは何をしているんだ?」

 尋ねたいことは、それこそ山ほどあった。しかし混乱していて、何から聞いていいかわからず、言葉が出てこない。

「わたしは、愛する人と一緒にいることを選んだのです。それまでの生活を捨てて」

「?」

「ああ、でもそんな説明をしている余裕、今はありません。すぐにたすけにいかなければ、あなたの妹、瑠奈さんを」

「そうだ、瑠奈、妹はどこにいるんです?」


●あかね 口述

「俺はもう瑠奈をだますことに耐えられなくなっていた。それで一族を裏切って、彼女をたすけようとした」

「……」

「そうさ、瑠奈を本気で愛してしまったんだ。心からね。一族の絆よりも、瑠奈の方を選んだんだ」

「何なの? あなた達は瑠奈ちゃんに、何をしようとしているの?」

「瑠奈は今、朱雀家の人身御供として、その身を捧げられる寸前にあるんだ」

「えっ?」

「だから早くたすけなきゃ」

 まさに事態は一刻を争うほど、緊迫しているようだ。薫さんの瞳に宿る、焦燥の色から、あたしはそれを感じ取った。

「どうすればいいの?」

「とりあえず、屋敷の中へ入る。そして地下へ降りるんだ。危険だから、君はここで待っているといい」

「そんなことできない。あたしも手伝うわ」

 駆け出す薫さんの後を、あたしは追った。

「そうか、でもくれぐれも気をつけてくれ。いざとなったら君をたすけている余裕はない」

「大丈夫、自分の身は自分で守る。あたし、こう見えても、子供の頃から合気道をやっていたの」

 先を行く薫さんについて、あたしは屋敷の中へと侵入する。曲がりくねった細い通路を通って、その先にある重厚な鉄製の扉を開けると、地下へ続く階段があらわれた。

 一段降りるごとに、ひんやりとした空気が肌をさす。そこは一種独特な冷気に満ちていた。この先に何があるのか、あたしは武者震いに身を震わせた。


●朱雀繁著 「我が半生」より

 広い地下のホール、祭壇の上にしつらえたベッドの端に腰掛け、私はシーツに横たわる瑠奈の顔を見つめている。今、彼女は焦点の合わぬ瞳を宙に向け、その体は微動だにしなかった。それはまさに操り人形のようなもの。どんなこともいとわずに、されるがままだ。

 例の薬。感情を封じ込め、体の自由を奪い、催眠にかけた状態にしてしまう。それが今も効いているのだ。

 そんな彼女に私がしようとしていること、それはその操を奪うこと。いや、彼女だけに限らない。私は過去、この場所で、何人もの女性の貞操を奪ってきた。

 しかしそれは決して、己の男としての欲望を満たすためではない。これは朱雀家の跡取りとして、課せられた義務、厳正なる使命だった。朱雀家のけがれた血を清浄なるものへ戻すための。

 しかし、ここへきて私はためらいをかくせない。というか、そもそもの初めから、このような、相手の女性の人権を無視した行為には嫌悪の念をいだいてきた。

 加えて今の私には妻がいる。数奇な運命によって結ばれた相手、洋子が。彼女を裏切るような真似はもうしたくない。

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