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迷宮の花嫁  作者: おたふく
6/8

6

●口述 あかね

 計画実行の時刻が迫っていた。徐々に高まっていく緊張と不安、そして期待。

 うまくいくだろうか? いくはずだ。自分にそう言い聞かせる。

 だってお兄ちゃんの妹を思う気持ち、その強さの前に不可能はないはずだもの。

 でも改めて、お兄ちゃんの発想と、その行動力にはおどろかずにはいられない。

 今からしようとしてること、考えれば思いつく人は多くいるだろう。けどまさか、現実に実行しようなんて、まず誰も思わない。

 時計の針は午後の三時をさそうとしている。宅配便の荷物が届く時間だ。

 その中には朱雀家の住人、一週間分の食材が入っている。メニューを考え、産地を選んで、栄養士のあたしが注文したものだ。もちろん、それを受け取るのもあたしの役目。

 来訪を告げるベルが鳴る。あたしは席を立ち、裏口へ向かった。そう、待っていた荷物が届いたのだ。


●手記 瑠奈

「瑠奈さま、クリーニングされたお洋服です」

 いつものように部屋の掃除をしてくれた後、日野さんはそう言って、わたしを呼んだ。

 異変を感じた。だっていつもなら、そのまま衣服をテーブルの上に置いて出ていくのに。なぜか、手に持ったまま動かない。その様子はまるで何かを伝えたがっているようだった。

 近寄ってじかに衣服を受け取った。その時、そっと小さく折りたたんだらしき紙片を渡されたのだ。

 設置されているかもしれない監視カメラをさけて、わたしは死角になっていると思われる部屋のすみで、それを開いた。

 思った通り、あかねちゃんからの手紙だった。一読して、驚き、そして興奮した。

 何故なら浩樹さんが、この朱雀家のお屋敷に、侵入してくるって言うのだ。今夜の十二時にノックして合図するから、部屋に招き入れるように、と書かれている。そして最後に、何があっても今日は、例の特製のお茶は飲まないように、とも。

 ……これは本当なんだろうか? 何かのいたずらじゃなく? ううん、こんな状況でそんないたずらをするはずがない。やはり浩樹さんはここへ侵入するつもりなのだ。でもどうやって?

 

●キッチンに設置されたカメラの映像

「こんにちは」

 運送屋の従業員二人が、帽子のひさしに手をかけ会釈して、裏口玄関から入ってくる。

「ごくろうさま」

 それに応対するのは柏木あかね。

「じゃ、いつものようにキッチン奥の倉庫に入れておいてもらえますか?」

「わかりました」

 一つ二つと、三十センチメートル四方ほどの段ボールを運び込んでいく運送員。しかし最後の一つは、他に比べて二回り以上も大きかった。かなり重量もあるようだ。二人一組になって抱えてくる。

「重いですね、これ。何が入ってるんです?」

 運送員の問いにあかねが答える。

「予備用に買った小型冷蔵庫なの。あっ、ていねいにあつかって。最新のコンピュータが入ってるやつだから。そう、そこに置いてください。ゆっくりと」

 あかねの指示のままに、最後の荷物が置かれ、そして運送員は去っていく。

 残されたあかねは、その段ボールの上に手を置いて、しばらく見つめたのちに、そこを出て、ドアをしめる。


●浩樹 手記

 息苦しい、緊張の時間が過ぎていく。一つの荷物と化して、暗闇の中、どのくらい待っただろうか。腕時計で、その時が来るのを確かめる。あと一時間を切った。そして三十分、十五分、十分、五、四、三、二……。ようやく、時計の針は夜中の十二時をさした。

 あらかじめ用意してあったポケット・ナイフで、内部からゆっくりと、段ボールを切り裂いていく。

 外へ出た。新鮮な空気を思い切り吸い込むと、ようやく生き返る心地がした。何しろせまい空間に、身動きもできずに、長時間、膝を抱えた格好で座りこんでいたのだ。全身が汗でべとつき、体の節々がいたんだ。

 そこは暗い、食材置き場となっている倉庫だ。ドアを開け、人がいないのを確かめて、隣にあるキッチンへと出る。落ち着きを取り戻すため、大きく深呼吸すると、これから自分がするべき行動を頭に思い描いた。

 目的はただ一つ。瑠奈をたすけ出す。それだけだ。この不可思議な一族の住む、広大な屋敷に閉じ込められて、狼男のような化け物の存在におびえている妹をなんとしてもたすけなければ。

 そう意気込んで、あかねの知り合いであるところの、運送会社の手を借りて、こうしてこっそり段ボール内にかくれて、忍び込んできたわけだが、冷静に考えてみると、ずいぶんと思い切ったことをしたものだ。他人の家に不法侵入するなんて。しかし、今、僕には一片の後悔もなかった。

 暗い廊下を進んでいく。他に住んでいる人がいるのだろうか? 疑問に感じるほど静かだった。全神経が緊張に、張り詰めているのがわかる。まるでサスペンス映画のワンシーンに紛れ込んだような気分だ。

 あかねちゃんから、食堂から瑠奈の部屋までの順路は聞いてあった。けれど、無駄に広い邸内だ。曲がり角を一つでも間違えたら最後、迷ってしまうに違いない。

 次の通路を右に曲がり、その突き当たりにある部屋が、瑠奈の部屋、のはずだった。廊下を進む、しかしその部屋のドアは大きく開け放たれたままになっていた。

 異変を感じた。本当にここが瑠奈の部屋なのか? 灯りの消えた、暗い部屋。かすかにただよう香水の香り。その瞬間、間違いなくここは瑠奈の部屋だと確信した。それは実家にいた頃から、彼女が好んでつけていたものと同じだったからだ。

 ソファがあり、テーブルがあり、テレビ、戸棚がある。そしてその奥に、さらに寝室があるようだ。

「瑠奈?」

 小さい声で呼びかけるも、返事はない。そこに瑠奈はいなかった。しかし波打つ、ベッドのシーツを見て、ほんの少し前まで、ここに瑠奈がいたということがわかった。

 心がざわざわと嫌な予感にふるえる。ここで何かが起こったのだ。

 僕は部屋をとびだすと、妹の姿をさがしに、廊下を駆け出した。


●瑠奈 手記

 わたしの前には今、例の、朱雀家特製のお茶が入ったカップが置かれている。その琥珀色の液体を見つめながら、わたしはついさっき読んだ、あかねちゃんからの手紙に書かれていた文言を思い出していた。

「あのお茶を、今日は絶対に飲まないで。おねがい」

 健康な子供を宿すための、母体に良いとされる、お茶。お義母さまに熱心にすすめられ、飲用し始めて早一ヶ月。

 これを飲むようになってからなのだ。一日中、頭がぼうっとして、始終眠けにおそわれるようになったのは。

 やはり、その原因はこのお茶にあるのだろうか? 実をいえば、それを疑ったのはこれが初めてではない。試しに飲むのをやめようとしたこともある。けれど、夕食後、常に一緒にテーブルについているお義母さまが、まるで監視でもしているように、わたしが飲み終えるのを待っているのだ。

「これはあなたと、近いうちに産まれるであろう赤ちゃんにとって、とてもよいものなのだから、ちゃんと飲んでもらわなければね」

 まるで強制するように、そう言われては、飲まないわけにはいかなかった。

 しかし、その日は運が味方してくれた。ちょうど食事が終わる直後、使用人に呼ばれたお義母さまは、わずかの間、席を立って、食堂を出ていったのだ。

 その機会をこれ幸いに、部屋の片隅におかれた、観葉植物の鉢植えに、お茶を捨ててしまった。後は素知らぬ振りをして、食堂を出てきた。

 思った通りだった。その晩は、例の睡魔におそわれることがなかったのだ。そしてゾッとした。

 やはりあのお茶には、睡眠薬のようなたぐいの何かが混入していたのだ。しかし、どうしてそんな真似を? わたしの意識をぼうっとさせ、眠らせて、何をしようというのだろう?

 その時、ふと脳裏をよぎったのは、かつて読んだことのある本の内容、そこにはキリスト教社会における、悪魔に関することが書かれていた。特にサバトについて記された箇所。

 夜毎繰り広げられる、悪魔と狂信者との、性の饗宴。そこに生贄としてささげられる、裸体の処女。

 あの狼男は、まさにその本の挿絵に描かれていた、山羊の頭をもち、全身を黒い剛毛におおわれた悪魔そのものだった。

 そう、あれは狼男というよりも、まさしく悪魔そのものなのだ。そしてそこへ差し出されようとしている、わたしは処女の生贄なのだ。

 それは決して馬鹿馬鹿しい妄想のたぐいではなかった。そう、思い出すのだ。この朱雀家に嫁いできた女性達の末路を。彼女らはいずれも、子供を産んだ後、奪い取られて、捨てられた。

 一族が必要としているのは、あくまでも子供の方。私達に求められているのは、それを産み出す、この母体だけなのだ。

 一人きり、寝室に横たわり、そんなことを考え込んでいたせいだろう、わたしは心細くて堪らなくなっていた。

 時計を確かめる。あかねちゃんが言っていた。浩樹さんがここへたすけにやってくるという、夜の十二時まで、まだしばらくある。しかしいつまでも起きていては、薬を飲んでいないことがばれてしまう。部屋の灯りを消して、ベッドに横になって寝たふりをして待つことにした。

 約束の時間まで一時間を切った。もう少しで、ここから逃げることができる。その時だ、部屋の向こうから、ドアが開く音がした。浩樹さんがやって来たのだろうか。

 しかし。異変に気づく。浩樹さんが部屋を間違えたりしない用心に、合図として、ノックを三回し、中から私が返事をしてから、中に入る、という段取りを聞いていたのだ。しかし、今、ノックの音はしなかった。

 別の人が? そして聞こえる、唸るような声。まさか。今度は寝室のドアが開いていくのが見えた。こちらを覗きこむ人物の影。長身で恰幅がよく、そして全身をおおっている体毛。

 あいつだ。例の狼男が今夜もまたやって来たのだ。怖かった。けれど、不思議とここまできたら変に肝がすわって、心の一方が落ち着いていたのも事実だ。

 行き詰まるような沈黙、のそりと、部屋の中の空気が動いたのを感じる。

 来る!

 狼男は寝室に足を踏み入れ、近づいてきた。灯りの落とされた暗い寝室、眠ったふりをしたまま、わたしの目はしっかりと奴の姿を追っていた。

 その頭が、わたしの上にかぶさってくる。その時、わたしは見た。二つの、ルビーのように赤く光る目を。

 瞬間、わたしはベッドから飛び出すと、灯りをつけた。ベッドを間にして、向き合う、わたしと謎の人物。

 すると意外にも、顔を手で覆い隠しながら、寝室から逃げ出したのは向こうだった。

 反射的にわたしは、その後を追っていた。ここまできたら、相手の正体、その顔をはっきりと見届けなければ、気が済まない。

 廊下を曲がり、男は突き当たりにある書庫へ飛び込んだ。すぐさまわたしもその後に続く。

 本棚の並ぶ室内、それほど広くはない部屋だ。けれど男の姿は見当たらない。その姿は消えていた。窓にははめごろしの格子がついていて、容易に出ることはできない。ではどこへ行ったのか。たしかにここへ入っていったのに。

 わたしはしかし、じきにそのカラクリを見破った。奥にある壁に接した本棚が、よく見ると、微妙に傾いているのに気づいたのだ。

 本棚の周囲を確かめると、思った通り。何か仕掛けがあって、これは動かすことができるのだ。おそらく裏の壁に隠し扉がついているに違いない。

 しかし女の力では押しても引いてもびくともしなかった。どこかに開くためのスイッチでもあるのだろう。

 探していると、後方から近づいていくる気配に気がついた。振り返る。

「あっ!」

 そこに立っていたのは。

「薫さん」

 そう、わたしの夫だった。


●あかね 口述

 じりじりと追い詰められていくような気持ちだった。ただ結果を待っているだけって、こんなにも苦しいものなのね。これなら何か行動している方がはるかにましだと、その時ほど実感したことはなかった。 

 段ボールの中に身をひそめて、お兄ちゃんは果たして、お屋敷内の誰にも見つかることなく、そこから瑠奈ちゃんを無事に救出することができたんだろうか。

 心配のあまり、何も手につかなくて、夕食をとることさえ忘れて、部屋の中を行ったり来たりしながら、テーブル上に置かれたスマフォを見つめていた。脱出したら、すぐにでも、お兄ちゃんから連絡がはいるはずなのだ。けれど一向に、それが鳴る兆候はなかった。


●朱雀繁著 「我が半生」より

 こんなことが許されていいのだろうか。いや、許されるはずがない。それはもうずっと長いこと悩み、苦しみぬいてきたことだった。

 私の抱えている、この怖ろしい病を治すため、いく人の女性の心を傷つけ、犠牲にしてきたことだろう。

 あの儀式。しかし、一族に代々伝わる、それを拒むことはできなかった。そして今夜もまたその儀式は執り行われるはずだった。

 しかし、彼女、瑠奈は眠っていなかった。そして突然、身を起こすと、部屋の灯りをつけたのだ。おどろいて、私はその場から逃げ出した。この醜い毛むくじゃらの姿をひと目にさらすことは、何よりも私にとって怖ろしいことなのだ。

 書庫へ逃げ込んだ。しかし彼女は意外にも気丈で、さらに追って来る。幸いにも、その部屋には逃げ道として、隠し扉が設けてあった。奥の本棚の背面、その壁につけられたドアをあけ、秘密の通路へと身をすべりこませて、どうにか追跡をまぬがれた。

 しかしそれにしても、なぜ彼女は目を覚ましたままでいたのだろう? そう、きっと薬を飲まなかったのだ。とすると彼女はすでに気づいているのかもしれない。我々が行おうとしている、例の儀式のことを。


●瑠奈 手記

「薫さん?」

 唐突に姿をあらわした夫に、妻であるわたしは、かけるべき言葉を失っていた。やはり彼は嘘をついていた。数日前、出張へ行くと出ていった、あの言葉は偽りだったのだ。実際はずっと、このお屋敷の中にいたのだ。でもどうして?

「薫さん、教えて。このお屋敷で何が起こっているの?」

 そう訴えかけるも、ばつが悪そうに視線をそらせてしまう彼。

 その瞬間、わたしは目の前にいる、愛する夫のことが、感情の全く読めない、赤の他人のように思えて恐怖を感じた。そして聞かずにはいられなかった。

「教えて。薫さん、わたしを愛してる?」

「瑠奈……」

 わたしの怯えを感じとったのだろう、彼はわたしの両肩にそっと手をのせると、やさしく引き寄せようとした。

「僕は君に嘘をついていた。でも心から君を愛している、その気持ちは、神に誓って本当なんだ」

 そっと目を覗き込んで、自らに言い聞かせるようにつぶやいた。

「僕を信じてくれるかい?」

「わからない、わからないの」

 わたしの頭は混乱していた。もう何を信じていいのかわからない。

「だめ、今は薫さんのことを信じることができない」

「瑠奈」

「近寄らないで!」

 夫の伸ばした指先から、反射的にのがれ、わたしは思わず声を荒らげていた。

 その声にまるで応えるように、廊下からまた誰かの人影が、この部屋に入ってきた。それは……。


●浩樹 手記

「瑠奈!」

「浩樹さん!」

「浩樹?」

 瑠奈を探して屋敷内をさまよっていた僕は、偶然耳にした瑠奈の声に、ここへ駆けつけたのだ。するとそこには。

「兄さん」

 救いをもとめるように、僕の後ろに身を隠す瑠奈。

「ここで何をしてるんだ、薫」

「聞きたいのはこっちだ。お前こそ、なぜここにいる?」

 にらみ合う、僕と薫。

「瑠奈が危険な目にあっていると聞いて、やって来たんだ」

「困ったやつだ。住居侵入罪って知ってるか? これはもうれっきとした犯罪行為になるぞ」

「ふん、そっちこそ、瑠奈を精神的に追いつめて虐待していたんだろう? それこそ犯罪じゃないか」

「虐待? それは違う、誤解だ」

「何が誤解だ。知ってるんだぞ、ここで何が行われているか」

「待って!」

 瑠奈の制止に僕たちは黙り込んだ。廊下の方から、駆けてくる複数の足音が聞こえる。

「屋敷にいる他の人達も、騒ぎに気づいたんだわ」

「こっちへ来い」

 すると、意外にも救いの手を差し伸べてくれたのは薫だった。

 奥にある本棚の前に立つと、一番上、右側にある本の中から一冊を取り出し、その奥に手を突っ込んだのだ。ガクンと物の外れるような音がして、その後、薫が本棚の側面を押すと、それはスーッと横に動いて、あらわれた後ろの壁には、ちょうど人が一人通れるくらいの穴がのぞいている。

「ついてこい」

 うながされるがまま、俺と瑠奈は薫の後に続いて、その穴に足を踏み入れた。最後に薫が本棚の側面を押すと、それは自然と元に戻り、穴をふさいでしまう。

 暗闇の中、レンガを積み重ねて造られた細い通路がまっすぐに伸びていた。

「どうして助けてくれた?」

「いいんだ。逃がしてやるから、ついてこい」

 暗く狭い地下の通路を僕たちは進んでいく。こんなからくり屋敷のような、抜け穴が造られているなんて、この屋敷にはおどろかされることばかりだ。しばらくすると、通路の出口となるらしいドアが見えてきた。

「ここから庭の端に出られる。すぐ目の前に裏口のドアがあるはずだ。瑠奈、浩樹と一緒に逃げてくれ」

「どういうことなの、薫さん?」

「今はくわしく説明することはできない。ただ僕は君を愛している。それだけを信じてくれればいい」

「よくわからないが、とにかく僕達をここから脱出させてくれるんだな」

「そうだ、さあ、行くんだ」

 そう言って、薫がドアを開けた途端、無数の白い光りが一斉に僕達の姿を照らし出した。

「そう簡単に逃げられると思って?」

「母さん!」

「薫、あなたどういうつもり? まさか一族を裏切ろうというんじゃないでしょうね」

 数名の屈強な体つきの使用人を従えて立ちはだかる黒い影、それは薫の母だった。しかし、息子とその妻を見つけるその表情は、母親とは思えないほど、けわしく、怒りに硬直していた。

「つかまえなさい!」

 命令と同時に、一斉におそいかかってくる使用人達。そうはいくか、と抵抗を試みた僕だったが、何しろ向こうの数はあまりに多い。あっけなく取り押さえられて、警棒のようなものでしたたかに、背中や腕、足を打ちつけられて、うずくまってしまった。

「やめてっ!」

 そんな僕をたすけようと、瑠奈は駆けよってきたが、あっけなく彼女も取り押さえられてしまう。こうなってはもう逃げることはできない。僕達は捕縛されてしまったのだ。


●館内カメラによる映像

「薫、どういうことなの?」

「……」

 薫の母エリカは、その息子に対し怒りもあらわな、憎々しげな視線を送っている。

「私達を裏切って、瑠奈を逃がそうとするなんて」

 そこは屋敷内の地下にある、礼拝堂内を思わせる部屋。赤い絨毯の敷かれた床。その上に木製のテーブルと長椅子が並んでいる。

 そのちょうど真ん中に、薫は両手首を背中に回し、麻縄でつながれた、まるで罪人のような格好で座っていた。そしてその周りを囲むように、家族の者達が、彼を見下ろしている。母、父、二人の兄、親戚の者達。その目は一様にエリカと同様、怒りの光が宿っていた。

「瑠奈を解放してあげてくれ」

 薫はそんな険悪な雰囲気の中で、屹然と声をあげた。

「そんな例外がゆるされると思うのか?」

 さえぎるように大声で長兄の充が言うと「そうだ、一族の掟を忘れたのか?」次男の憲二が続ける。

「まあ、落ち着きなさい」

 するとこの場を仕切っているらしき、母エリカが兄弟を制して、一歩前へと進み出た。

「瑠奈を本気で好きになってしまった。つまりはそういうことなのね?」

 力なくうなずく薫。

「これまでにも確かにそういった例はありました。若い頃、男女の間のことですもの。勘違いしたあげくに、感情を抑えきれなくなるといったことは私にも理解できます」

「じゃあ瑠奈を見逃してくれるんですか?」

 かすかな光明を見出したかのように、薫の顔が明るくなる。けれど無情にもエリカは首を横に振った。

「あなたも気づくでしょう。何年かしたら、あれはただの一時の気の迷いに過ぎなかったと。その時に後悔させないために、これまで通り儀式は行います」

「!」

 薫は一瞬、動きを止めて、次に縄をほどこうとして暴れだした。けれどすぐに周囲の者に取り押さえられてしまう。

「独房にしばらく入って、頭を冷やしなさい」

 冷たい声でそう告げると、エリカは使用人らにあごで指示を出した。両側から腕をつかまれ、引きずられるようにして、この部屋から連れ去られていく薫。


●あかね 口述

 結局、一晩中眠れなかった。お兄ちゃん、あかねちゃんの身が心配で。

 そして朝となった今、はっきりしていることは、作戦は失敗に終わったんだろうってことだった。

 うまくいけば電話が入ることになっていた。それがないということはつまり、そういうことなのだ。

 だから屋敷へ行くのは気が重かった。大騒ぎになってるんじゃないかしら。警察が来ていたらどうしよう?

 けれど行ってみると、普段と何の変わりもなかった。でもすぐに気づいた。奥様のあたしを見る視線が、いつもよりさらに鋭く険しいってことに。

 案の定、仕事が始まってすぐ、呼び出されて、予定よりも数日早いけれど、本日付けで退職せとの通告を受けた。反論する気力もない。それほどに、奥様の様子は有無を言わさぬ迫力があったのだ。

 そしたあたしはその時、さとった。全ては終わったんだって。お兄ちゃんはつかまってしまったんだ。

 でも警察沙汰にはなっていないようだ。とすると、お兄ちゃんはまだこのお屋敷の中にいる? どこに? 探して、たすけなきゃ。でもいくら考えてもその方法が浮かばない。

 そうこうするうちに仕事の引き継ぎを終えて、もはやあとは帰るだけとなってしまった。定時まであと一時間もない。このお屋敷を一歩出てしまえばもう、二度と入ってくることはできないだろう。そしてお兄ちゃんや瑠奈ちゃんとも、永遠に会うことができないかもしれないのだ。

 ……いやだ、こんなの。こんな風に見殺しにしたまま、ここを出て行くなんてできない。

 でも、どうしたらいいんだろう。その時、脳裏に浮かんだのは、あの洋館だった。森の奥にある別邸。やはりそこがすべてのキイとなる場所のような気がする。もう一度あそこへ行ってみたい。でも今日はさらに普段より監視がきびしいようで、森の付近もいつもより人が多い。その目をかいくぐって森へ入るのは無理がありそうだ。けれど、今しか、機会はない。だとすれば……。

 何気ない風をよそおって、庭へ出て様子をうかがった。ここから見える監視員は二人。今彼らはあたしの存在に気づくこともなく、話をしている。仕事熱心ではないみたいだ。都合がいい。

 一か八かやってみるしかなかった。話し込んでいる今なら、庭を突っ切って森へ入ることができるかもしれない。大きく息を吸い込むと、あたしは森に向かって全力疾走した。

 おねがいっ、どうかこっちに顔を向けないでっ!

 あたしは茂みの中へ飛び込んだ。はあっ、はあっ、はあっ……、しゃがみこんで、息をととのえる。やった、やったのだ。あとはあの洋館に向かって進むだけ。

 けれど、そううまくいくことばかりではない。今度は洋館への道がわからない。森の中で迷ってしまったようなのだ。どうしよう。定時まであと数十分ほど。いつまでもこんな所をうろついているわけにはいかない。

 その時だ、茂みの奥から、葉のこすれる音がした。何だろう。草むらの奥を動いている、何かがいる。

 子供? 一瞬、見えた、その小さな体は五、六歳ほどの子供のように思えた。

「誰か、いるの?」

 やさしく呼びかけて、ハッとする。そうだ。あの時、洋館で見かけた子供。まさしくあれくらいの背丈をしていた。

「ねえ、出て来てよ。あたしと友達にならない? ほら」

 ちょうどいいことに、エプロンのポケットの中に、おやつ用に作っておいたビスケットが数枚残っていた。食べ物で釣ろうというのだ。

 沈黙。茂みの奥は静まり返っているばかりで、何の物音もしない。諦めかけた時、茂みが大きく揺れて、現れたのは、思った通り、洋館の中で見かけた男の子だった。

 おかっぱ頭に、仕立ての良さそうな服を着て、品のいいお坊ちゃんという感じだ。指をくわえて、視線はあかねの手にするクッキーにじっと注がれている。

「あげるわ。こっちにいらっしゃい」

 声をかけると近寄ってきた。

「ねえ、君、ここに住んでるの?」

 クッキーを食べながら、こくんとうなずいた。

「いつもは森の中にあるお家に住んでるんだ。その近くでしか遊んじゃいけないんだけど、たまにこうやって森のはしっこまで冒険しに行くんだよ」

 物欲しそうな視線に気がついて、あたしはポケットに入っていたクッキーの残りを取り出すと、その子に渡してあげる。

 食べ物の威力は絶大だ。子供はすっかりあたしに心をゆるしたみたいで、もう警戒する様子もない。

「ねえ、あたし達、友達にならない?」

「いいよ」

「あなた、名前は何ていうの?」

「ガル」

「変わった名前ね。あたしはあかねっていうのよ」

 しばらくそうした他愛のない会話をしているうちに、少年はすっかり気をゆるしたようだ。夢中になって自分のことを話し出した。きっと聞いてくれる相手が欲しかったのだろう。

「ねえ、ガルのパパとママのこと教えてくれない?」

「うん、いいよ」

「パパとママは、どんな見た目をしてるのかしら?」

 子供相手にどういった言葉をつかえばいいのか、逡巡しつつもあたしは聞いた。

「パパはおひげがいっぱい」

「おひげ? 顔じゅうにひげが生えてるってこと?」

「そうだよ」

 間違いない。洋館で見た、あの狼男。それがこの子のパパなのだ。

「ママのお顔は?」

「ママは真っ白でつるつるさ」

 思い出す。洋館の二階で会った、あの女性。外見はいたって普通の姿だった。あれがガルのママなのだろう。

 しかしどういうことだろう? 狼男のパパと、普通の姿をした人間のママと、その間にできた子がガル? この三人は家族なのだろうか?

 そしてもう一つ、重大な情報を手に入れた。屋敷の離れの一角に、今朝から誰かが閉じ込められているというのだ。森で遊んでいる時に、そこに引き立てられていく男性の姿を見たと言う。それはひょっとして、お兄ちゃんではないだろうか。

 もっとくわしいことを聞き出したかったが、すでに終業の時間がせまっていた。

「そろそろお姉さん、帰らなきゃいけないの」

「えーっ」

 ガルが不満の声を上げる。

「じゃあさ、明日も会おうよ。友達だろ」

「それがね、実はお姉さん」

 自分が本日をもって、この職場を退かねばならない事情を話した。どの程度、理解できているのかわからないが、ガルは深刻な面持ちで聞いている。

「ふーん。じゃあさ、こっそり会いにくれば」

「まさか、抜け道でもあるっていうの?」

「うん、あるよ。森のはしっこ、そこの塀はさ、もうぼろいんだ。だからレンガが何個か、手で外すことができるんだ。そこから入ってくればいい」

 思いもかけぬ情報に、あたしはすっかり興奮していた。

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