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迷宮の花嫁  作者: おたふく
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●あかね ブログ

 朱雀家の内情を知るために、あれからあたしは、ここで働いている使用人達、なかでも口が軽そうな人を選んで、積極的に話しかけている。

 とりわけ、掃除係のおばちゃん達とは仲良くなって、色々と興味深い話を聞いた。屋敷内にまつわる、さまざまな噂話のたぐい。

 夜中になると、広い庭の森の奥から、獣の唸り声が聞こえるとか(ここでは犬とか猫とかペットは一切飼っていない)、お屋敷から離れた別邸には、隠れるように異形な怪物が住んでいるとか、子供ほどの背丈の小さな影が森の中を走り回ってるとか、一族は実は血のつながりのない、邪教団の信者によって構成されているとか。

 まあ、この辺りは面白がって聞いていられるんだけど、ちょっと笑えないのは、朱雀家の兄弟のもとに嫁いできた女性は、その誰もが悲惨な末路をたどっているって話。っていうか、それは噂でも何でもなくて、現実に起こっていることなの。

 例えば、朱雀家の長男である充さんは、すでに三人の女性と離婚していて、一人目は精神病院に入院中、二人目は自殺未遂、三人目は逃げるように海外へ移住。

 次男の憲二さんも、二人の女性と離婚していて、一人目はノイローゼで精神病院に通院中、二人目は冴えないOLに逆戻り。っていうんだから、ただ事じゃない。

 だから三男の薫さんの結婚相手である瑠奈ちゃんがどうなるか、これはもう火を見るより明らかじゃない?

 ほんと、のんびりしてる場合じゃない。どうにかして、この事実を瑠奈ちゃんに教えて、手を打たないと。

 でも焦ったところで、良い策は浮かばなかった。けれど、ようやく今日、その糸口をつかんだ。瑠奈ちゃんの身の回りを世話している、ただ一人の小間使いの女の子が誰だかわかったの。

 日野さんっていう、無口で、伏し目がちな、地味な印象の娘。瑠奈ちゃんがここへ来てからずっと、彼女が担当になってるらしい。余計なことも言わないし、他人に興味なさそうなところがあるから、適任だって思われたんじゃないかな。

 今度、その日野さんに話しかけてみるつもり。何かのきっかけになるかもしれないわ。


●浩樹 日記

 八月三十一日

 あかねちゃんから電話をもらい、その報告を聞いて、愕然としているところだ。

 にわかには信じがたい、朱雀家の三兄弟の話。薫の兄二人がすでに数回結婚し、すぐに離婚して、いずれも相手の女性が不幸せになっているなんて。

 思い出す。瑠奈の結婚式の時に挨拶をかわした、彼らの様子を。薫同様、美形で、スタイルがよく、上品な雰囲気を身につけていた。女性の方からいくらでも寄ってくるようなタイプだ。

 けれど、その内面、性格についてはよくわからない。おそらくこれも薫同様、鼻持ちならない、嫌なやつにちがいない。

 それにしても、二人ともまだ若いというのに、数度の結婚、離婚を経験しているなんて、やはり普通ではない。いったい何があったのだろう。裏に大きな秘密がかくされている気がする。

 とすると、薫と瑠奈もまた、近いうちに離婚することになるのでは? こちらとすれば、そうなってくれるのは願ったりだが、その結果として瑠奈が不幸になったらたまらない。

 取り返しのつかない事態になる前に、僕の方でも、あかねちゃんの報告をただ待っているだけではなく、積極的に動かなければ。


●あかね ブログ

 九月一日

 お兄ちゃんに報告の電話を入れたら、絶句してたわ。朱雀家のお嫁さんがみんな、不幸になってるんだもの。当然よ。しゃれになんない。

 お兄ちゃんを安心させるために、早いとこ何とかしなきゃ、っていうんで、さっそく、例の小間使いの娘、日野さんに話しかけてみたの。

 午後の休憩の時はいつも、庭の噴水そばにあるベンチで一人で過ごしていると知って、新商品のお菓子を手に、ちょっと食べてみない? なんて言いながら近づいてみた。

 でもだめ、彼女、あたしの問いかけに、うん、とかいいえとか、生返事をするだけで、てんで会話にならない。瑠奈ちゃんに関することなんて、とても聞き出せそうにない。何考えているのわからないところがあるし、正直に苦手なタイプだ。

 でも至近距離で見て、日野さんとあたし、背格好がそっくりなことに気づいた。髪型だって、今のあたしの団子状のヘアスタイルをいったんほどいて、日野さんみたく、ポニーテイルにすれば、パッと見、そっくりになるんじゃないかな。

 ……うまいこと彼女と入れ替わるってこと、できないかしら?


●浩樹 日記

 九月五日

 今まで僕は、朱雀家の内情について何も知らずにきた。あかねちゃんの報告を聞いて、改めてそのことを痛感し、先方のことを調べもせずに妹を嫁がせてしまった自分のいたらなさが腹立たしくてたまらない。何とかしなければ。

 正直、のんびりと仕事をしている場合ではないと思う。瑠奈の救出に向けて、全精力を注いだ方がいい。そう考えて、職場からまとまった休みをもらうことにした。

 そして本格的な調査の手始めとして、まずは薫の二人の兄、その結婚相手について調べてみようと考えた。

 最初に向かったのは結婚式場だ。薫と瑠奈が式を挙げた、ルソン・ド・マリアージュ。ここら一帯では名の知られた式場で、おそらく兄達も、ここで式を挙げたにちがいないと、そう考えたのだ。

 しかしフロントで聞いてみても、受付の女性は、個人情報保護法があるために、教えることはできないという。僕が親戚の者だと主張しても無駄だった。しばらくねばってみるも埒はあかず、奥から屈強なガードマンがあらわれた時点であきらめた。他の方法を探るしかない。

 次に思いついたのは、僕と同じ大学で友人だった女性、相葉佐江子に聞いてみることだった。表裏のない、さっぱりとした性格の彼女は、男女の区別なく友人が多く、薫ともかなり親しくしていた。もちろん瑠奈との結婚式にも出席していて、その二次会の時には、薫の二人の兄達と談笑する姿を目撃している。そんな相葉なら内部事情にくわしいだろうと思ったのだ。

 電話に出た相葉佐江子は、相変わらず気さくな調子で、僕の質問にも快く答えてくれた。

 それによると、薫の兄、充と憲二は確かに、あかねちゃんの情報通り、それぞれ複数回、結婚し、すぐに離婚を繰り返しているそうだ。

「何か、性格に問題でもあるのかな?」

 僕が聞くと、わからないという。彼女が知る限りは、二人は共に常識人で、感じがよかったそうだ。

「あれなら女性にもてるのは、当然だと思うわ」

 相葉は言う。しかし「あたしの個人的な意見を言わせてもらえば、魅力を感じないけどね」と最後に付け加えることも忘れずに。

「どうして?」

「だって、あの二人、薫もそうだけど。女が求める理想の男性像を演じているみたいにみえるのよ。外見、内面、全部が理詰めで作られたアンドロイドみたいな。リアルな男ではあり得ないよ、あんなの。気持ち悪いじゃない。瑠奈ちゃんには悪いけど、結婚相手としては考えられない」

「じゃあ何で、友達づきあいしてたのさ?」

「だからこそよ。どうしてそんな男が出来上がったのか、興味があってね。だって薫ってさ、そうとう変な男だよ。知れば知るほど、中身がわからない。っていうか、玉ねぎみたいに空っぽなのかもね。何にもないの」

 なるほど。相葉の言う通りかもしれない。薫に対しては僕も同じように感じていた。

 ハンサムで、頭がよくて、家柄もいい。表側は完璧なのに、その中身は空っぽで、実態というものがない。時折、顔をみせる虚無的な表情に、ゾッとさせられたことも一度や二度ではなかった。

 ともあれ、朱雀家の三兄弟の不思議な性格、その生い立ちは、とりあえず脇に置いておこう。知りたいのは、離婚した女性のその後のことだった。

 しかしあいにく、相葉はそこまでは知らないという。でも充と憲二の友達なら、何人か知っているということで、彼らから情報を引き出せるかもしれない、と連絡先を教えてくれた。

 友達の友達、そのまた友達、という風にして、紹介してもらいながら、連絡をとり、地道に情報を集めていった。何度か見当違いの方向に進んだり、すげない態度をとられたりしながらも、苦労の甲斐あって、一週間後には離婚した五人の女性の電話番号を全て、入手することができた。


●洋子著 「籠の中の乙女」より

 今や洋子が一日のうちで楽しみにしていることは、深夜、狼男がベッドにしのんでくる、そのことだけになっていた。

 毎夜、その野獣に荒々しく抱かれ、絶頂をむかえる。それだけが洋子の全て、といってもいいくらいだった。

 もちろん、そのことで夫にたいし、後ろめたい気がしないわけではない。けれど、これはしょせん夢。架空の出来事だ。

 それにそもそもは、新妻の欲求にまったく応えてくれない夫の方に非がある。ためらうことはない。洋子は欲望のおもむくがまま、身をもだえさせ、髪をふり乱し、絶叫し、歓喜にむせんで、快楽を求めた。

 そうした生き生きとした夜の夢の世界にくらべ、昼間の現実の世界は何て、味気ないものだろう、と洋子は思わずにいられなかった。

 ぼんやりとした陽の光りのなかで死んだような退屈な日常のあれこれ。もうそんなものいらない。それよりも、月の青白い光りを、夢の世界の支配者である狼男を、その獣の香りを、硬くつややかな剛毛を、愛してやまないようになっていた。


「洋子さん」

 名を呼ばれ、ハッとして顔を上げた。そこはお屋敷内にある食堂。月に一度、一族の皆が集まって晩餐を共にする。その習わしの日が今日なのだった。

「どうしたの? 眠いのかしら?」

「いいえ、お義母様」

 洋子は眠けを追い払うように、頭をゆるく振った。

「ただ、ちょっと……」

 そう、昨晩もまた、狼男との情事に激しく、その身を燃やした。その疲れが残っているのだろう。加えて、例のお茶のせいなのか頭がぼんやりとした状態が続いている。実際、今もいつ自分がこの食堂まで降りてきたのか、その記憶さえ曖昧だ。

 義祖父がいる。義父と義母と。夫の姿も隣にある。さらにその向こうに、夫の二人の弟。屋敷内に一緒に住む、義父の妹夫婦に、従兄弟達。数名の親類達の顔、顔、顔。

 その全ての視線が、洋子に向けられている。まるで実験動物でも見ているような、その目つき。

 耐えきれなくなって、つと視線をそらした瞬間に、立ちのぼる湯気が洋子の鼻腔を刺激した。テーブルに置かれた前菜の牛肉ソテーのスープ。その湯気を吸いこんでしまったのだ。

「うっ」

 洋子は口をおさえ、席を立った。猛烈な吐き気におそわれたのだ。

「洋子?」

 心配そうな夫の呼びかけに、返答する余裕もないまま、食堂を出て、バスルームへ向かう。

 洋子の遠くなる足音を聞きながら、テーブルについていた一族は、意味ありげな目配せをかわすと、誰もが皆、その顔に不気味な笑顔を浮かべるのだった。


「妊娠、二ヶ月になります」

 その診断結果を、洋子は何の感慨もなく聞いていた。一方、隣では付き添ってくれた夫が、ことさら大げさな調子で喜んでいる。

「やったな、洋子」

「わたし……」

「そうだよ。俺達の子だよ。俺と洋子、二人の」

「ええ……」

 お屋敷の誰もが、洋子の懐妊を喜んだ。

 確かにそれはめでたい話だった。義父、義母、義祖父、親戚、誰もが結婚するその前から、赤ん坊の誕生を待ち望んで、ことあるごとに、まだかまだかと催促していたくらいなのだ。

 一族、みんなの、自分に寄せられる祝福の言葉を受けながら、しかし洋子は不安にならずにいられなかった。

 何より気になるのは、このお腹の子が、誰の間にできたのか、ということだ。

 狼男。

 脳裏に浮かぶのは、あの毛むくじゃらのシルエット。ここ数ヶ月、洋子が抱かれた相手といえば、あのモンスターしかいない。

 苦笑する。まさか、そんな。あれは夢なのよ。

 でも……じゃあ誰が?

 よほど妊娠がうれしかったのか、いつになくべったりと寄り添ってくれている、ソファに一緒に座る夫の横顔を見つめる。もちろん、その相手は彼しかいない。

「あの……」

「何だい洋子?」

「変なこと聞くようだけど、わたし達の子供ができたのは、いつだったのかしら?」

「何だよ、急に。改めて尋ねられると、恥ずかしいな。ほら、二ヶ月ほど前、珍しく早い時間に会社から帰宅して、二人一緒にベッドに入った夜があったろう?」

 さも当然のように言う夫。しかし、洋子に思い当たるような記憶は一切ない。

「あの時だね。子供を授かったのは。間違いないよ」

 そう言って、愛おしそうに洋子のお腹をさする。

「……」

 記憶をさぐって、思い返してみる。二ヶ月前のことを。確か、その夜も、夢の中で狼男に抱かれていたはずだ。

 そう、夢の中で狼男に抱かれながら、現実のわたしの体は、夫に抱かれていた。つまりはそういうことだったのだろう。例によって意識が混濁して、忘れてしまったのだ。そうにちがいない。洋子は己を納得させるように、そう結論づけると、大きくうなずいた。

 そしてその日以降、洋子の夢の中に狼男はあらわれることはなかった。


●浩樹 メモ

 朱雀家の長男、充。

 一人目の結婚相手。大森千穂。充が二十四歳の時に結婚、一年半後に離婚。

 自宅に電話したところ母親が出た。千穂は今、ここにいないから、電話には出られないという。一時は精神が安定して自宅に戻っていたものの、最近また悪化して、再入院しているというのだ。

 当然、朱雀家にたいして、いまだに強い怒りを隠せない様子。娘がおかしくなったのは、元旦那のせいだと主張している。

 しかし、さらにくわしい事をたずねると、なぜだか口が固くなり、肝心なことは何もしゃべってくれない。

 ついにはよくわからない、これ以上関わりたくないから放っておいてと、強引に電話を切られてしまった。

 母親もまた、精神的に相当、参っており、不安定な状態になっているのかもしれない。


 二人目の結婚相手。林文枝。充が二十六歳の時に結婚、一年半後に離婚。

 文枝さんは離婚後すぐ、精神を病み、ノイローゼになった。ある日、精神安定剤を飲んだまま湯船につかり、眠りに落ちて、その結果、バスタブの中でおぼれてしまったのだ。寸前のところで家の者に発見され、一命はとりとめたものの、今でも心を病み、精神病院で療養中だという。 

 こちらは文枝さんの実の妹さんと、連絡を取ることができた。

 妹さんは、姉のバスタブ内での事故を自殺未遂だと考えているようだ。というのも、離婚後、ひどく落ち込んで、死んでしまいたいと何度もつぶやいていたのを耳にしていたからだ。その際に、元の夫である充を、ひどい言葉で罵っていたという。子供を返せと怒鳴っていたこともあるそうだ。

 子供? 充との間に子供が産まれていたのだろうか? 妹さんは子供の存在に有無に関してはわからないという。その点はさらに調べてみる必要がありそうだ。


 三人目の結婚相手。真佐木洋子。充が二十八歳の時、結婚。一年後に離婚。

 母親と連絡がとれて、話を聞くことができた。

 洋子さんは、いったん実家にもどったものの、そのすぐ後、海外の方に仕事を見つけ、単独で移住。現在もそこで暮らしているという。

 仕事内容はバイオ・テクノロジー関係だそうで、文系の大学出身の娘が畑違いのそうした仕事に就いたのが意外だったそうだ。

 今でも定期的に連絡が入り、それなりの額のお金を仕送りしてくれるそうで、心配はしていないというが、以来、一度も帰国しないのが気がかりだそうだ。

 一方で朱雀家に関しては、とにかく、結婚した当初から不審を持っていたという。自由に娘にも会わせてもらえず、連絡も取り次いでくれなかったからだ(瑠奈の場合と全く同じだ)。

 とにかく今は離婚してくれて本当に良かったと語っていた。


 朱雀家の次男。憲二。

 一人目の結婚相手。大貫瑞穂。憲二が二十二歳の時、結婚、二年後に離婚。

 実家にもどった時には、すでに相当、神経が衰弱した状態だったそうで、以降も起伏があり、精神病院に通院する日々を現在も送っているという。

 本人も家族も、朱雀家とはもう一切関わり合いになりたくないようで、取材の申し出は完全に許否されてしまった。


 二人目の結婚相手。石上あいこ。憲二が二十六歳の時、結婚、一年半後に離婚。

 現在、都内某所に一人暮らし。大手金融会社の事務で働いている。

 電話番号を入手して連絡をとってみたところ、快く取材に応じてくれた。


●浩樹 電話でのやり取りを録音

「はじめまして」

「あ、はい、どうも」

「石上あいこさんですね」

「そうです」

「過去の思い出したくないであろう一件についての質問に応じてくれるということで、大変、感謝しています」

「いいのよ。お宅も大変そうだからさ。ひとごとじゃないって思って」

「ええ、そうなんですよ」

「あなたの妹さんが、朱雀家の三男の……ええと」

「薫です。彼のところ嫁いでいったんです。今年の春のことですね」

「そうそう、薫君っていったわね。あたしが憲二の妻だった時は、彼大学に入ったばかりで、とてもかわいらしかった。本当、あの三兄弟は美形揃いよね。しかもそれぞれタイプが違う。全く似てないと思わない、あの兄弟」

「確かにそうですね。それは僕も気になっていたところなんですが。……ところで、妹の瑠奈なんですが」

「そう、瑠奈さん、大丈夫なの? あんな家にお嫁に行っちゃって」

「大丈夫じゃないです。実は連絡をとることさえも、ままならないという状況で」

「ふーん。あたしの時と同じね」

「やっぱり、そうなんですね」

「そうよ。箱入り娘状態。何もしなくていいという名目で、自由をうばわれて、お屋敷の中に完全に閉じ込められていたの」

「どうして、そこまで?」

「わからない。由緒ある一族だからってことなのかな。そこの嫁になったからには、レディとして振る舞うことを求められ、生活に関する雑事をするのは、はしたない。そんな古い考えが、いまだに残っているんじゃないかな」

「じゃあ瑠奈は……」

「ええ。さぞ窮屈な思いをしているでしょうね」

「……他に、あの家にいて、おかしいと思った点はありますか?」

「たくさん、ありすぎて……。でも、そうね、一番気味が悪かったのは、一時不思議な夢に悩まされていたことがあったの。毎晩のように全身が毛むくじゃらの男があらわれて、あたしを……」

「何ですか?」

「……あたしをおそうの。今思い返してもゾッとする。変に生々しい夢だった。あとはそうね、毎日のように子供が欲しい、子供を産め、って親戚一同から言われてたことは、よくおぼえているな」

「……」

「今思えば、あたしがあの家で求められていたのは、子供を産むこと、ただそれだけだった気がする」

「朱雀家として、優秀な後継者となるような、子供を欲っしていたってこと?」

「そう。あれだけあたしが大切にあつかわれていたのは、別にあたし自身がどうこう言うよりも、きっとこの体、子供を宿す母体が大事にされてただけなのよ」

「全ては、子供が欲しいがためにってことですか?」

「うん……。だって、みんな、子供を産んだ後にすぐ離婚させられてるんでしょ。そうとしか考えられない」

「そして親権は完全に朱雀家に取り上げられて、あとは会うことさえもできない、と。何のために? 子供達はどうなったんだろう?」

「わからない。あれだけ大きな一族だもの。できるだけ、たくさんの優秀な子供達が欲しいってことかもしれないわ」

「一人の女性に幾人か産ませるよりも、複数の女性に産ませたほうが、さまざまな可能性が広がるって考え方なのかな。嫌だな、まるで人間をモルモットあつかいしているようで」

「考えたくないわ、そんなこと。でもあの一族なら、そういうことしそうな気がする」

「……ひょっとして、あいこさんも? 子供を向こうに奪い取られてしまってるんですか?」

「ううん、あたしは幸か不幸か、結局子供はできなかったの。色々な不妊治療もさせられたけど。それで使いものにならない奴だって判断されたのかしら、捨てられちゃったわけ」

「ふむ」

「直前まで何の兆候もなかったから、ある日突然、離婚届を突きつけられて、おどろいたわ。なんのかんのいっても、まだ夫の憲二君のことを愛していたし。でも今となっては離婚してよかった。ずっとあんな屋敷に閉じ込められていたら、気が変になってたと思う」

「実際、あいこさん以外の人は、心を病んでいますね」

「でしょう? あんな環境で、しかもお腹を痛めて産んだ子を理不尽に奪われたんだもの、そうなって当然だわ」

「……」

「ねぇ、あなたの妹さん、早く連れ戻した方がいいんじゃない? 手をこまねいている暇はないと思う。いざとなったら法に訴え、強硬手段に出ることも考えて」

「そうですね」


●あかね ブログ

 九月十日

 やった、ついにやったわ。あたし、瑠奈ちゃんに会うことができたの。しかもちゃんと話もして、お兄ちゃんの伝言を伝えることもできた。

 ……ちょっと興奮して先走りすぎたかな。訳わかんないよね。うん。最初から順を追って書いていくね。


 瑠奈ちゃんの身の回りの世話をしてる、小間使いの娘、日野さんにあたしはあれ以来、事あるごとに話しかけていた。相手が無反応でも関係なく、お菓子をあげたり、CDや本を貸してあげたり。瑠奈ちゃんに近づくには、それしかないって思ったから。

 その甲斐もあってか、しだいに日野さんは、あたしに打ちとけて、ぽつぽつと自ら喋ってくれるようになった。その会話から、彼女が今、話題のビジュアル・バンド「ビラン・ガラリヤ」のファンだってことがわかったの。

 偶然にも、あたしの大学時代の友人で、音楽関係の雑誌編集者をしている娘がいる。業界の裏ルートってやつを通じて、ビラン・ガラリヤのライブチケット、手に入れることできないかしら? 

 早速連絡してみると、あたしって運がいい。希望している日、時間にちょうど合った、ライブ・チケットをすぐに入手してくれたのだ。

「ねえ、日野さん、ビラン・ガラリヤのライブ、行きたくない? 来週の十六日、午後六時開演の渋谷エッグマンのチケット、友達が一枚、余ってるっていうんだけど」

「! 行きたい! 行きたいわ、わたし」

 うふふふっ。日野さんたら、案の定、目の色を変えて、この餌に食いついてきた。でもふと我に返ったように、更衣室の壁に貼られたカレンダーに目をやると、ため息をこぼす。

「でも、その時間、ちょうど仕事が忙しいころね。だめだわ……」

 日野さんはこのお屋敷で、昼から午後八時まで働いている。

「代わりにあたしが、日野さんの仕事をしといてあげてもいいけど?」

「でも、そんなことしたら、奥様に怒られる」

「平気よ。ほら、あたし達、姿形がよく似てるでしょ。髪型だって、あなたみたいにポニー・テイルにすれば、そっくりよ。見分けがつかない。こっそり入れ替わって、日野さんの振りをして仕事しとくから。で、あなたの方は、あたしの振りしてここを出て、ライブに行けばいい」

「……」

「ビラン・ガラリヤのライブだよ。こんなチャンス、滅多にないと思うけど」

 ということで強引に了承させた。

 その当日、日野さんとあたしは服を交換して、髪型を変えて、お互い入れ替わった。姿見に並んで映る二人。うん、パッと見にはわからない。双方を知ってる人でも、うつむいていれば、ばれることはないと思う。

 最初は不安そうだった日野さんも、ちょっとしたミッションめいた行動がしだいにおもしろく感じられてきたのか、妙に高めのテンションで、あたしに成り代わって屋敷を出ていった。

 さあ、本番はここからだ。この時間帯に日野さんがするべき仕事内容は、もちろんあらかじめ聞いてある。瑠奈ちゃんの部屋のお掃除。ベッドのシーツを新しいものに替えて、掃除機をかけて、タンスやテーブル、棚を乾拭きして、ゴミをまとめて捨てる。ま、そんなところだ。

 その際、瑠奈ちゃんは奥様の方から、仕事中に話しかけて邪魔しないようにと、言い渡されているようで、近頃ではこちらに注意も払わないというから、ばれることはないと、日野さんは言っていた。

 掃除用具一式を持って、瑠奈ちゃんの部屋へ向かう。ずっとうつむいて、天井の監視カメラに決して顔を向けないよう、気をつけながら。そして瑠奈ちゃんの部屋の前に来た。さすがに緊張して、ノックする手が震えていた。

「失礼します」

 ドアを開け、中を覗くと、部屋に瑠奈ちゃんの姿はなかった。困ったわ。せっかく手間ひまかけて、ここまで来たっていうのに、会えなかったらこんな無駄足はない。

 でもすぐにそれが杞憂に過ぎないってことがわかった。二間続きになっている、奥の寝室に、書き物をしているらしき瑠奈ちゃんがいたのだ。

 記憶にある幼い頃の瑠奈ちゃんしか知らないあたしは、大人の女になったその美しい姿におどろいた。整った目鼻立ち、雪のように白い肌、艶やかな黒髪。と同時に、悩みを抱えているような、暗い雰囲気をまとっているのにも気づいた。

 その時だ、視線を感じ取ったのか、ハッとして瑠奈ちゃんは、こちらに顔を向けた。

「誰? 小間使いの人? いつもの娘じゃないのね」

「あたし、あかねって言います」

「あかねさん? 日野さんはどうしたの?」

 ここで変に嘘をついても仕方がなかった。今すぐに、はっきりとここへきた理由を告げてしまった方がいい。そう判断して、口を開いた。女は度胸よ。

「あたし、あなたのお兄さん、浩樹さんに頼まれて、ここへやって来たの」

「浩樹さんに?」

 お兄ちゃんの名前を聞いて、瑠奈ちゃんの動きが止まる。その顔に何とも形容しがたい表情を浮かべて。

 嘘をついていると思われているのだろうか? 疑いを晴らすために、さらに何か言おうとした時、ドアがノックされた。

「声がするけど、瑠奈さん、誰と話しているんです?」

 ドアを開け、入ってきたのは奥様だった。とっさに顔を下に向け、隠すように手で口もとをおおう。

 もう駄目だ、一瞬あきらめかけた。どうやら瑠奈ちゃんはこちらを疑っているらしい。ここで奥様に告げ口されたら、身代わりになっていることがばれてしまう。

「わたしから、日野さんに話しかけていたの。退屈だったものだから」

「あら、そうだったの」

 奥様の視線を感じて、背中を冷たい汗が伝うのがわかる。

「日野は仕事中ですから、必要以上に話しかけて、邪魔などなさらぬように。いいですか、瑠奈さん」

「ええ、お母様わかっています。以後気をつけます」

 ドアを閉め、そのまま奥様は立ち去った。

 ホッとして顔を上げると、瑠奈ちゃんはほほえんで、こちらを見ている。

「どうして、あんな嘘を?」

「あなた、ずっと前から知っている人のような気がして。信じても大丈夫だって思ったの」

「うれしいわ。その直感、当たってる。友達だったのよ、あたし達」

「えっ?」

「あたし、柏木あかね。子供の頃、瑠奈ちゃんの近所に住んでいたの」

「かしわぎあかね? ……あっ! そう、思い出した。浩樹さんの後ろにいつもくっついていた娘。あなた、あのあかねちゃんなの? よく顔を見せて」

 再会を喜びあったあと、あたしはこの部屋に来ることになった経緯を説明した。

「お兄ちゃんは瑠奈ちゃんから手紙がこなくなったことを心配しているのよ」

「ええっ!」

 しかし瑠奈ちゃんの方でもまた、お兄ちゃんから返事がこないから心配していたというのだ。

「書き終えた手紙は、いつも日野さんに投函をお願いしているんだけど」

 それを聞いて、あたしは推測した。おそらく、奥様が日野さんからその手紙を取り上げて、処分してしまうのだろう。外にいるお兄ちゃんと連絡をとらせないために。

 何が目的なのか、あたしは怖くなった。だから忠告したの。

「ねえ、ここから本気で逃げることを考えた方がいいよ。薫さんとの離婚も視野にいれたうえで。だって知ってる? 二人のお兄さん、充さんと憲二さんと結婚した相手は、その後すぐに離婚して、みんな不幸になってるの。中には自殺未遂した人までいるんだよ。おかしいよ。このままじゃ瑠奈ちゃんもあぶない」

「ええ、お義兄さまの奥様だった人たちの話は噂に聞いたことがある」

「ならどうして、ここにじっとしているの?」

「薫さんは違うと思うの。わたしを不幸な目に合わすはずがない。きっと守ってくれる。疑うなんてできないわ」

 そう呟く目は真剣そのものだ。夫である薫さんを本当に信頼しているのだろう。

「わかった。無理強いはしない。でもくれぐれも気をつけて。このお屋敷はおかしなことが多すぎるんだから」

「ええ、ありがとう。気をつけるわ」

 その後、お兄ちゃんの近況を伝えたり、逆に伝えておいてほしいことを聞いたりしているうちに、時間はあっという間に過ぎて、一時間が経っていた。これ以上いると、いつまで掃除をしているんだと、あやしまれちゃう。

「そろそろ戻らなきゃ」

「またここへ来てくれる?」

「そのつもりだけど、いつになるかわからないわ。そうそう入れ替わるチャンスがあるとも思えない」

「それなら大丈夫」

「えっ?」

「わたしが何とかするわ」

 瑠奈ちゃんが、どんな策を思いついたのか、わからないけれど、とにかくいったん、あたしは部屋を後にした。

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