表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なりたくない女  作者: 山口 結衣
5/8

5.現在:「距離置こう」って台詞、ずるいよね

 彼の、気楽なところが良いと思って付き合っていた。しかし、気楽というのは先のことを何も考えていないだけなのではないだろうか。いざ結婚を考える段階になってそのことに気付くなんて、私も大概何も考えていなかったのだと思い知る。今までは、会社も家も別で、彼の行動や態度によって自分自身の身の振り方が変わることはなかったが、結婚するとしたらそうもいかない。自分の仕事の仕方、生き方に直結してくるのに、彼自身は自分の動きを変える必要性を全く見出していなさそうなところが、酷く気に障った。


 松本さんと話した時の、会社側と子育て社員の「受け入れてあげる側」「受け入れてもらう側」の構造と似ていると思った。


 一人の部屋で寝転がってスマホのゲームをやりながら、彼のことを考えていた。ただ無心で指をスイスイトントン動かしているだけで、画面の中のバルーンは勝手に爆発し、高得点を叩き出す。


(こういうの、ゲームした気にはなるけど、実際のところ全く頭使ってないよね。やったつもりになってるだけっていうか。すぐ飽きてアプリごと消しちゃうし)


 彼との関係も、このゲームと似たようなものかもしれない。何かを動かして、二人の関係を積み上げてきたような気がしていたけれど、実際はただ流されるだけでお互いの意思も大したことなくて、蓋を開けてみれば何も残っていないような――。


 私はスマホをベッドに放り投げ、立ち上がった。

 たまには普段しない箇所の掃除でもするか、とキッチンに向かい、物をどける。


「う、わ……っ」


 スポンジ置きの裏側に張り付く黒カビを見付け、思わず声が出た。

 そんなにしょっちゅう料理するわけでもないし、割と綺麗にしていたつもりだったのだが、目の行き届かないところではじわじわと侵食が進んでいたようだ。

 擦っても落ちない汚れをひたすらゴシゴシしていたら、何故か泣きたくなってきた。


 結婚したら、どうなるのか。もし子供が出来たら、松本さんのようになるのかな。あれから五年近く経ったけど、会社はまだほとんど変わっていないし、肝心の彼もあんな調子だ。子供ができなくて夫婦二人の生活だったら、どうだろう。なんとなく楽しくて、きっとそれなりにやっていける――けど、ゲームみたいに、"やったつもり"を積みあげていくだけかもしれない。それに、このキッチンのように見えないところにカビが根を張って、いつか表に出てくるかもしれない。


 いや、そもそも、"結婚しない"という選択肢もあるのだ。

 彼といて楽しかったけど、彼がいなきゃ生きていけない程依存はしていない。ただ、別れたら、次の男を見つけるのは……面倒くさい。一から出会って、お互いを知って、付き合って、という工程を考えると、気が遠くなる。これだってスムーズに行かなくて、駆け引きしてみたり、自分の気持ちの出し方を調節してみたり、そんな労力をかけられる気力が、続くかどうかかなり不安だ。だからと言って、もう男は不要だ、一人で生きていく、と断言できるかというと、そこまでの強い意志もない。


 私って、本当に中途半端な人間だ。


 休日は、どちらかの家で映画を観るのが二人の習慣だ。共通の趣味である映画鑑賞だったが、映画館へ足繁く通ったのは最初の頃ばかりで、最近は自宅で旧作ばかり観ている。


(そりゃ、新作のつまらないのよりは一定レベル評価されてることがわかってる旧作の方が外れはないけどね)


 冒険しなくなったな、と我ながら思う。

 午後から行った彼の部屋で、数十センチの距離を空けて並んで眺めていると、退屈なシーンで画面の方を見たまま、彼が話しかけてきた。


「結衣、こないだの話だけどさ……やっぱ、なしで」


 咄嗟に反応出来ず、数秒してから彼の方に顔を向けた。それでも彼は前を向いたまま、声だけはいつもの軽い調子で続ける。


「いやさ、結衣あんま乗り気じゃないみたいだし? 俺も軽はずみだったよ、ごめんな」

「あ、うん……」

「ちょっと俺らさ、距離置こうか。将来のこととか、色々考えたいだろ?」

「……そうだね」


 ようやくこちらを向いたと思ったら、その台詞。


 反論してすがる気力もなく、ただ無意識に同意をする。それが私の本心でもあるのか、強がっているだけなのか、もはやわからなかった。

 自分の家にどうやって帰ったか覚えていない、というようなこともなく、いつも通りのルートで、急遽一人で食べることになってしまった夕飯をテイクアウトで購入して、自宅へ帰った。


 私が前向きに考えていないことは、彼にも伝わっていたのだろう。それにしても、私の気持ちを知ろうという素振りも見せないで、勝手に結論付けて「距離を置こう」と決定事項のように告げるなんて、甚だ誠意にかける男だ、と思った。

 プラスチックでできた器のまま、ちょっとオシャレなデリという名のお惣菜をかき込みながら、考える。


(まぁ、私もこんな風に考えるくらいには冷めてたのかもだし、彼もそうだったのかもね)


 "距離を置こう"だなんて、都合のいい言い回し。

 実際この状態から回復したカップルなんて、何割くらいいるのだろう。"別れよう"という台詞によって発生する面倒を、先送りして曖昧にして、お互いの熱が冷めるのを待つためだけの詭弁じゃないか。


 あの彼とは、これから先はたぶんないだろうと、これまでの経験や周囲で見聞きしている情報からほぼ確信している。今後も、特に結婚にこだわらなかったら、私はどうなっていくのだろうか。


 一生の情熱をかけるほど、仕事にこだわってもいない。全力を出すつもりはないが、違う仕事を今から探すほどやりたいことがあるわけでもない。そこそこで、ほどほどでいられたらいい。そう思っているが、いつまで"そこそこ、ほどほど"でいられるだろうか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ