調査開始
「主人公とは、物語の進行には欠かせない存在です。主人公の感じたこと、体験、行動、思惑、全てが無限に織り成されて物語が紡がれていく。だがそれは物語に主人公が必要なことと同時に主人公にも物語という存在が必要不可欠であることを証明しています。」
子供のようなイラストが書かれた両手のひらと同じくらいの大きさの本を広げ、有原誘詩はその項に描かれた少年に目を落としていた。
「ここ最近の様子を見ると君はその本を好んでいるようだ。」
有原と対面して椅子に座っている男はゆっくりと落ち着いた、それでいてまったく警戒を解いていないような声で重い口を開いた。
「ええ、とても。」
「その主人公に憧れているのかい?」
有原は目を瞑り、首を横に振った。
「憧れている、というのは少し違います。人は誰しも生まれてきた瞬間から主人公という使命を受けるのですから。」
「これは失礼した。」
男はそう言うと、はっはっはっと低い笑い声を上げる。その笑みからは外見から想像出来ないような深く長い人生のすべてを小馬鹿にしたような印象を受けた。
「というと、君はその本を読んで何を思う?」
「僕は僕という物語の主人公をやめたいのです。」
有原はパタンと本を閉じると、テーブルの上に置いてあったワイングラスを手に取り、顔の近くによせ、ゆらゆらと揺らした。それに逆らうように、注がれてあった少量のワインが左右にゆれている。
「ただ、やめるというのは死ぬということではありません。死はその人の物語の完結を意味する。いまここで僕が死んでしまったら僕は主人公のまま物語を終わらせてしまったことになる。そうなってしまっては、たとえ第3者がいくら介入したところでどうしようもないでしょう。」
一呼吸置いた後グラスに口をつける。舌の上でワインを転がし、満足げに目を細めニヤける。
「君がこの街に来てやろうとしていることは、つまり、自ら架せられた主人公という称号を捨て去ることにつながるわけか。……だが、あの男にそんな大役が務まるのかね?あれは会議でもかなり地位の低いところにある。」
「僕はあの男の血に興味があるのですよ。」
「血?……というと?」
「ご存知ありませんか?グレイスという名の血のことを。」
有原は持っていたグラスをテーブルの上に置き、座っている椅子に立てかけられたカバンの中から数枚が紐でまとめられた紙束をテーブルの上で対面している男にすべらせた。
「……これは?」
「50年前、かつて吸血鬼病が滅びたとされる年の新聞の写しです。」
言いながら、有原は椅子から立ち上がり窓際へゆっくりと歩く。開けっ放しの窓からほとんど人のなくなった街を眺めた。
「本来、吸血鬼病は世界を滅ぼす予定だった。死に愛が絡んだ以上、人類にとって団結ができないことは滅びを表している。だが、人類は滅びなかった。」
窓際へ寄りかかると、そのまま振り返り、新聞紙を見て目を見開いている男に再び声をかけた。
「地球上初めて抗体を持った人間が現れたからです。」
「なるほど、そこから先はだいたい予想がつく。ということはそのグレイスという血が吸血鬼病の抗体をつくった最初の血ということか。ならやつは吸血鬼病にはかからないわけだな。」
「それはちがいます。オリジナルの血はたった一代経ただけだとしても、元のように効果を持つとは思えない。まぁ、何らかの耐性はあるとは思いますがね。」
男は目を瞑り、しばし考えた後で口を開く。
「惚れても死なないくらいの耐性はあるでしょう。ただ、世界を……ましてや街一つ助けるなんて力はないでしょう。」
小さく首をふる有原に不思議がる目線が向けられた。
「君の話を聞いた後でも、あの小僧になにかできるとは到底思えない。」
「実験はまだ始まったばかりです。かつて世界に救いをもたらした血がこの後どうなるのか、彼の物語の続きを見て見ようじゃありませんか。」
有原はそういうと、窓の外の景色を眺め、ニヤリと不敵に笑った。
「あんた……いつもその格好でいるのか?」
すっかり静まり返ってしまった道を、アルと灯は店を観察するように歩いていた。人通りこそはないものの、それでも営業しなければ困るような、医療系、飲食店などは、ひっそりと店を開いていた。周囲を警戒するそぶりが見られたため、膨れ上がる需要に耐えられず、止む無く営業を再開したのだろう。
自分の店が宝石店である事を恨みたくなった。
「いろいろ、事情がありまして。……暑いのが苦手なんですよ。」
「苦手ならなおさら脱げばいいだろ。そんなに深くまでフードかぶって。それこそ暑くないのか?」
真昼と言える時間はもう過ぎて太陽も少し傾き始めていたが、まだ陽射しは強く、ほのかに暖かさが残っていた。汗をかくという程ではないながらも、フードをかぶりながら歩くには不自然さが感じられる。
「いいんです。暑いというのは、陽射しが強いという意味です。」
かすかに見える肌の白さは、およそ極東のものとは思えないほどの不自然さがあった。よほど日差しが嫌なのだろう。これまでもできるだけ避けてきたに違いない。
灯をじっと見ていたことに気づかれ、見つめ返された。灯は、どうかしたのか?と言った感じに首をかしげた。あわてて視線を前に向ける。
「それより、手がかりのありそうなお店って言ってましたけど、どこなんですか?」
「バジルという人が経営している鍛冶屋だな。つい最近盗人の被害にあったらしい。まぁ、関係があるかどうかはわからないけどな。それに鍛冶屋っていうくらいだからなおさら見当違いだろうさ。」
「まだわかりませんよ?私が前いたところは、金属製の食器類を作っていましたが同時に薬草なんかも売っていて、主人さんはお医者さんの知識も持っていてました。あとは、そう、料理も振舞っていたり。」
「……ずいぶん幅広い鍛冶屋だな」
それはもう鍛冶屋ではないんじゃないか、という言葉を飲み込みつつアルは灯が言っている人物を頭の中に想像してみた。食器をつくり、料理を振る舞う。おそらく、料理を食べた人に間接的に食器を見てもらうためだろう。薬草もその延長上にあるに違いない。そんなに自由なことができるのは、個人でやっているちいさな街の職人しかありえない。
だが、ここじゃあ意味がない。レストルは店ごとに作れるものが制限されている。そのため、鍛冶屋だといっそう区切りが激しくなる。刀なら刀でこの店はこの長さからこの長さまで。食器なら食器でスプーンだけ。ナイフだけ。フォークだけ。という具合に細かく決められている。
一見それらの制限は売上が落ちると思われがちだが、むしろ市民に安定した暮らしを与えている。なぜなら、細すぎる区切りが、他のライバル店の誕生を阻止しているからだ。そのため、ひとつの商品を求める場合、その販売店はレストルに数件、計算された距離をおいて置かれている。
また、この場合値段設定を自由に決められる権利がある店舗はほとんど存在せず、すべて会議によって街の上層が判断しているため、商売独占が起きることはめったにない。この街において困ることといえば安定されすぎていることだろう。予定害の赤字が出ないとともに予定以上の儲けが出ないことも保証されているため、レストルのような非進行領域は一獲千金を企む人間からは嫌われている。
だが密かに街の外の人間と商売をしている店もある。宝石店、戦争の道具類を売っているところなんかがそうだ。
「あんたが前いたところってのは、こことだいぶ雰囲気が違うんじゃないのか?たとえば、宿の主人と話したんだっけか、その時なにか思わなかったか?」
「宿……、宿ですか。そうですね。落ち着きがある所でしたよ。シンプルなつくりで、とてもすごしやすかったです。」
そういう言葉が欲しいのではないのだが、という言葉は灯のにこやかな笑顔に牽制されてしまった。自分は宿の店主でもなければ、宿泊者でもないため詳しい店の造りについてはわからない。
ただ、レストルに住む人間として一つだけわかることはある。
「確かに、シンプルに感じただろうな。なにせ酒場がないんだから。」
「え?……ああ!確かにその通りですね!違和感の正体は酒場だったんですね。」
……違和感を感じる前に気づくべきだろう。
「でも、どうして酒場がないんですか?店主さんだって儲かるでしょうに。」
「儲かるからダメなんだよ。」
「??」
「そういうふうにできてんの、この街は。ほかの店の儲けを邪魔しないように厳しく制限がかかってるんだよ。」
「……。」
灯はなんともなかったかのようにゆっくりと顔を空に向け、聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声で言った。
「でもそれって、つまらなくないですか?」
街をまわって一時間ほどたつ。もう少しで山に隠れてしまうくらいに遠くに行った夕陽の光がスポットライトのように空を赤く照らしはじめていた。そんなことがわかるくらい、灯の放った言葉はいとも簡単に体の中に染み込んだ。
「つまらないって?」
「前の街の鍛冶屋の主人さん、何でもできる人でした。少なからずそれをよく思ってない人もたくさんいました。でも、なんというか……、楽しんでました。兼業野郎に本職が負けてたまるかっ!って」
灯は、おそらくはその主人と競い合っているであろう男の口調を真似て、思い出話を懐かしむようにたんたんと話した。
「でもこの街にはそれがありません。争いがないのはいいことだとは思うのですが、競う相手がいないと、自分の居場所ってわからなくなると思うんです。」
ほっ、と言って灯は店沿いに広がっている段差にとびはねて、手を大きく広げてバランスをとるように歩き始めた。飛んだ瞬間、来ていたローブが少し揺れる。
「居場所がなくなるのは怖いことです。」
自分は月宮灯の過去を知らない。この少女がこれまでにどんなことを経験し、何を思ったのかを知るのは不可能である。だが、なんとなく、アルには、灯が言った言葉が彼女自身に向けられているような気がして、少しの寂しさを覚えた。
自分の居場所とはどこなのだろう。
宝石店で働くことが当たり前のようになっていた。
自分は求められてそこに居るのか、何のために生きているのか、そういった言葉が次々に頭の中に浮かんでくる。
灯は両手でバランスを取りながら無言でゆっくりと、自分の少し先を歩いていた。
夕陽が作った灯の影が彼女の歩みとともに伸びていく。
美しい光景を目にしてもなお、頭の中にかかった薄い霧はその存在感を強くしていった。
目的のバジルの家に着いた頃にはもう夕陽は完全に沈んでいた。南門ということもあり、北門に近いジュエリー・グレイスからはかなり時間がかかってしまった。
本人が自分達の訪問を受けてくれる確証はないが、それでも自分の目で見に行くことは少なくともなにか新しい発見があるだろう。
店名や場所こそ知ってはいたが、実際にその店を見たことがないためはじめに抱いた印象は思っていたものより小さい店、だった。見た目も新しいとはいえない様子で、壁にひび割れやなにかの植物のツタがはっているのがわかるくらいだった。
「ここなんですか?」
灯が不安げな表情でこちらに視線をよこす。
「街の全体地図だとこの店を指しているが、こんな場所で鍛冶ができるのか怪しいところだな。」
灯はちらちらとアルと店を見比べてから、とりあえずいきましょ、といい建物のドアをノックした。
すると強い勢いでドアが開き、罵声が飛び出した。
「何回来れば気が済むんだ!……!?」
建物から出てきた男は少しの間あたりを見渡してから、驚気のあまり方をすくめている灯を見つけ、視線を下げた。こころなしか灯の身長が少し縮んだ気がする。
「お嬢さん、がノックしたのか?……あぁ、済まなかったよ、毎度毎度会議の連中が事情聴取とやらで訪ねてきてな、ついうるさくて。おや、あんたは……宝石のところの子だったか?」
灯から自分に視線が向けられた。灯はまだ固まったままだったが、そんなことはお構い無しに話を進めようと思った。
「ご存知でしたか。アル・グレイスと言います。ジュエリー・グレイスで働いているものです。そちらは、なんというか……お客様のようなものです。」
固まったままの灯に手のひらを向けて指し示すと、男は一目見てから再びアルに視線を向けた。
「なんの用か伺ってもよろしいかな?」
男は小さくため息をついて呆れ顔で訪ねた。
「実は、泥棒が入ったとのことで、少しお話をお聞かせ願いたいと思いまして。」
大きくため息をついてから、男は扉を小さく開けて顎をくいっとした。入れという合図だろう。アルは灯の肩をつかんで、その古びれた建物の中に足を踏み入れた。
「まったく、こんな時間に来るかよ、普通。」
後ろで鍵を占めながらブツブツとつぶやく声が聞こえた。
灯は怒鳴られ慣れていないらしい。
「大丈夫だ。ほら、しゃんとしろ!」
「いえ、その……大丈夫です!びっくりしました!」
どっちつかずの返事を発した灯の足は、ようやく血が通って来たらしい。肩を支えているアルの手を払って、ありがとうございますと軽く会釈をした。
「これから、まだまだ怒鳴られるかもな。」
アルは後ろのブツブツに聴こえないように小さくつぶやいた。