予感
休みたいさ、なんて言ったそばから休むことになるなんて誰が思っただろうか。アルは店の開店中の板をひっくり返して閉店中にかえながら心の内で思う。父が突然帰ってきて、店を閉めろと怒鳴り込んで来たのだ。理由を言ってはくれなかったが、きっと楽しい話ではないのだろう。
はっきりとは分からないが、外も騒がしくなっている気がする。
アルは玄関からなんとなく外の様子を観察していた。ジュエリー・グレイス以外にも店を閉めているところがいくつか見えた。
みんな声もなく、ただ静かに、自分と同じくあたりを見回していた。
自分のやっていることが正しいとわかってはいるが、心のどこかが理由を求めているようだった。ひどく自信無げに、それでいてたんたんとシャッターを下ろし、看板を裏返し、店の中に入っていく。
その光景はまさに見えない何かに怯えているようだった。
ここまでのヒントを得て店を閉める理由を聞くほど自分はマヌケではない。
ことは盗賊の範囲内にはおさまらないのだろう。レオノーラの言っていたとおりになるかもしれない。
いや、もうなっているはずだ。
商工業都市でありながら見渡す限りすべての店を閉めさせるほどの事態が起きている。
まわりに見習って店のドアを閉めた。その上から鍵をかける。商品ケースに布をかぶせ、窓のカーテンを閉める。
まるで自分が舞台の一員になったかのように感じた。
この先はどうするべきか。残念ながらここから先の台本は用意されていない。自分のセリフの一字一句すべてが決められていたらどれだけ楽であっただろうか。
気がつくと店にもう父はいなかった。そのままの意味だ。外に出たらしい。毎日人を殴る力があるのだからそう簡単に襲われて負けることはないだろう。
それより困った。
父の指示で店を閉めたはいいが、今襲われたら一人で対処できないだろう。
あたりはまだ明るく、カーテンの隙間から差し込む午後の光が部屋の中をうっすら照らしていた。
盗みを働いている奴ら、鍛冶屋を襲ったあたりからかなり自分の強さに自信があるのだろう。
たしか道具が取られていたとレオノーラは言っていたな。道具?鍛冶屋に入ってか?バジルという鍛冶屋が具体的に何を作っているのかは知らないが、店に入ったら商品か金銭を盗るのが普通だ。
やはり道具という点に何かあるのか。
漁られていた、というなら何かを探していなければ不自然だ。自分が知っている限り、鍛冶屋にありそうな道具はほかの店にもあるはずだ。レストルは大都市……土地勘が無いにも程がある。狙いは別の物……もしくはただ荒らすだけの威嚇行為、まだわからないことが多すぎる。
もう閉めたにもかかわらず、何となく部屋に戻れない自分に少し笑みがこぼれた。まだ2時すぎ、普段なら営業時間内である。
職業病なのか、部屋に戻ることに少しためらいがあった。
まぁ、例の犯人がうちに襲いに来ないとも限らない。
目的が見つからないまま店内をうろうろしていると、立てかけられた箒を見て店のなかの掃除をしようと思い立つ。
……と、ドアがノックされる音が店内に響き渡った。突然の出来事だったので思わずドアの方向へ箒を構えたが、馬鹿らしくなってやめた。
悪人が丁寧にドアをノックするなんてことはないだろう。
「どちらさまですか?」
と聞きつつも、なんとなく誰が外にいるのかは察しがついていた。夕方頃に来ると思っていたのに、少し予想が外れたようだ。
「今朝お訪ねした者ですが、ダリルさんはいらっしゃいますか」
閉ざされた店の中に、透き通るような声が響きわたる。
これはまた間が悪いタイミングで来たものだ。
どう対応したらいいか迷っていると、不思議に思ったのか今度はこんこんと窓を叩き始めた。するとカーテンの隙間から外にいる月宮灯と目が合ってしまった。
一方自分は持っていた箒を置いて腕を組んで考えていたため、灯は自分が無視されたと受け取ったようだ。
鋭い目つきで睨まれる。
だんだんと窓を叩く回数が増えていく。
音も鈍くなってきた。
そろそろまずいと思いドアの鍵を開けると、ドアノブに手をかける前にそれが開かれた。
「どうしてすぐに開けなかったんですか!」
外の空気とともに透き通った声がとんできた。
「別に無視していた訳じゃない。怪しいやつじゃないかと警戒していただけだ。」
月宮灯はまたもやフードを目元まで深くかぶっていた。
「こんな明るい時間に怪しい人なんか出るわけないでしょう!」
外の閉店の板を見ていないのか?と、指摘しようとしたがそもそも事前に出直すと言っていたため、そのことを言うのは理不尽だ。
「外の様子でなんとなくわからないか?」
「……何か起こったんですか?」
灯は鋭い目つきを疑問を含めたものに変えた。
「確かに、表を歩いている人は少ないような気もしますけど……」
「少ないというより、いないに近いだろ。」
「いえ、いないわけでは……というか、そんなことよりダリルさんは居るんですか?」
話を変えられてしまった。まぁ、もとよりこいつにとって話を変えられていたのは自分の方だろう。
灯はドアを占めたあと、疑問を投げかけながらゆっくりと中に進んでいき布がかけられた商品ケースに手を置いていた。
少し不思議そうな顔をしている。
「残念ながらうちの店主はまた席を外しているよ。行き先はわかっていない。間が悪かったな。商談で来ているなら俺が代わりに話を聞くが……どうした?」
灯が手元を見ていた顔を上げ、店内を見渡した。少しまゆにシワを寄せたあと会計場所の陰に立てかけられている鉄製の棒に目を向けた。その後、怪しいものを見るような目つきでこちらに目を向けた。
「このお店……営業してるんですか?」
「店主の話をしたいんじゃないのか?」
「それは……そうですけど、何か変です。あなたの言うとおり、街の様子も変だし、店主さんもなんだか忙しそうだし。本当に何かあったんですか?」
店がやっていないのを心配しているらしい。
店主がいないのは来るタイミングが悪いからなんだが、それもきっと会議の影響によるもののためだろう。
「最近泥棒が多いからな。みんな用心しているんだろ。」
レオノーラから聞いた話はおそらく上層の者しか知らない話である。ここで、赤の他人に向って、言うべきではない。
「吸血鬼病……ですか?」
「!?」
なぜこいつが知っているんだ?驚きのあまり表情に出てしまったらしい。灯の顔が確信を持ったものに変わった。
「この街にも来たんですね。」
「なぜその病気を知っている?」
アルは唾を飲み込まない。いたって平静を装うことにした。
「……わたし、各地で昔の話などを集めていまして……吸血鬼病についてもその過程で知りました。文献では50年以上前に滅びたとされています。ですが」
「まだ完全に消滅したわけじゃない?」
アルは灯の言葉を続けた。
「そう、何らかの方法で今も病気自体は残っている。私はそのことを訪ねに来たんです。」
「訪ねるって、この街に?それともこの店にか?」
アルは少し首をかしげ、苦笑いを浮かべながら質問した。
「このお店の主人、ダリル・グレイスに、です。」
なぜそこで父の名前が出るのか自分にはまったくの謎だった。
「このお店が代々吸血鬼病に関わっていることが分かったからです。このお店、というよりはグレイス一族が、という方が正しいですね。あなたも親子ならその血を受け継いでいるはずです。現に、あなたもこの病気の存在を知っていました。」
灯はたんたんと話を続けた。
わからないことが多すぎる。自分がその病気を聞いたのはレオノーラからである。
喋りながらも灯はまっすぐに自分のことを見つめている。おそらく今ここで誤解を解こうとしても信じてはもらえないだろう。
アルは表情を変えないことを意識して、灯を見つめ返す。
「仮に、うちの一族がその病気に関わっていたとして、あんたはどうするつもりだ?」
「もしあなたが意のままに病気を操れるのだとしたら、私の経験上おそらくは商品にしているでしょう。」
病気を商品に?そんなことが出来るのか?アルの心の中に疑問が生じる。が、それはすぐに消え去った。
「お店の宝石……ちゃんとした鉱石ですね。良かった。」
灯はかすかにだが優しく微笑んでいた。
ちゃんとした、という表現から彼女の言っていることを理解した。吸血鬼病は人を結晶のようにする病気。うちは宝石店である。悪用したいならすることは一つしかない。
レオノーラは愛とかどうとか言っていたが、おそらくそんなものではない。結晶になる条件のようなものの比喩表現である事も、意のままに操れるという表現から予測できた。
でなければ、自分は相当顔がよければならない。遠回しにバカにされたのではないかと感じる自分とはよそに、灯はめくっていた商品ケースの布を再びかぶせた。
「ダリルさんは何か言っていましたか?」
「なにも……というか、吸血鬼病自体噂として流れてきただけで、まだこの街にあるだとか、そもそもまだ存在しているかもわからないだろ。あんたはその文献で調べたのかもしれないが、俺にはまだ信じられない。」
「確かに、それもそうですね……。」
そこにあるのに手が届かない、そんな顔をしていた。情報が足りないのだろう。
せめて会議の内容が盗み見れたら……と考えるが、自分にはそこまでする理由もない。
「見た限りじゃこの街のものじゃなさそうだが、ここへはそれが目的できたのか?」
うなだれていた顔を少し起こす。
「はい、そうなのです。だから、噂だとしてもあなたが知っててくれて嬉しかった。街に来てから何もつかめていない状態でしたから……このお店を訪ねて手がかりがなかったらまた別の街に行こうかと思ってました。」
何もつかめていない?
「あんた、この街に来たのはいつごろだ?」
「はいっ?ええと、1週間と少し前です。」
「最近泥棒が多いとかは知ってるか?」
「……宿の方からは聞きましたが、それが何か?まさかそれが吸血鬼病に関係しているとかですか?……ですが、それに関してはもうそれとなく聞き回りました。知っている方はいません。おそらく関係ないかと……。」
……知っている人がいないというのは不自然だ。
アルは今朝のレオノーラとの会話を思い出してみる。あの会話の登場人物は、誰だった?レオノーラとその父、それから客だったか……。あの口ぶりからもう世に出回っているものだと思っていたが、どうやら違うらしい。
とすると、知っているのは会議の連中だけ……か。たしかレオノーラの父も参加していると言っていたな。
……なんだか、そう思うと現実性が増してくるな。
「どうしました?」
「あぁ、いや、なんでもない。」
顔の前で手を小さくふる。
あまり厄介ごとに巻き込まれたくない。
喋るのはやめておこう。自分は何も知らないんだ。父に話を聞くというのなら自分がそれをどうこうしたり、情報を教えたりする必要もないだろう。そう思うや否や灯が一歩近寄り自分の袖を少しつまんできた。
「あの……もし良かったら」
灯が口を開く。
「街の案内をしていただきたいのですが……。」
「街は調べたんじゃないのか?」
「それはそう……なのですが、詳しい慣習がわからなくて。定期的にあの広場に集まっている人達とか……あとは、ついでにこの街の美味しいところなんかも教えて欲しいです……だから。」
つまんだ袖をくいくいとしながらそう告げた。
「それはいいけど、美味しいところって、店くらい自分で探せよ。」
からかうようにそう告げたが、半分位は当たっていたようだ。灯は軽く目線を下にそらし気まずそうにしていた。
「いえ、調査です……。もしかしたら店員さんが何か噂を聞いてるかもしてないじゃないですか……。」
真面目で女の子らしくないとは思っていたが、少し違ったらしい。
店員さんが何か知っているかも、か。
こいつとの会話で何回レオノーラの顔を思い浮かべればいいのだろう。運がいいのか勘がいいのか。
短くため息をついて、口を開く。
「わかったよ、でもいまは出入りしている人もやっている店も少ないからあんまり楽しくはないと思うぞ。」
それにこの状況であまり外に出たくはなかった。
「楽しくなくて結構です!でも、そうですか。よかった。早速行きましょう。」
「えっ……もしかして今から行くのか?」
「はい、善は急げです。」
灯の目はらんらんと輝いていた。袖を引っ張られていたつもりが、いつの間にか腕をつかまれていた。
避けたい事態になってしまった。これは簡単に断ることは出来ないだろう
店を開けている間に父が帰ってきたらまた怒鳴られるんだろう。そんなことを考えながら、店の鍵を用意する。自分も人が良いものだなあ、と思ってもいないことをつぶやいて、店のカウンターに戻りドアを開ける。灯はもうすでに外に出ていた
時計の針は時刻がまだ3時であることを告げていた。