092 踏み越える夜
「しかしざるだな~あいつ」
環奈が愉快そうに笑った。
「もう、環奈ちゃんってば結構ムチャさせるんだから。一応、かなたくん未成年なんだけど?」
と、窘める夕実の声。その声を無視して環奈はやっぱり大笑い。
「いや~作戦は大失敗。酔い潰して話をうやむやにしようと目論んだけど、あいつが思いのほかざるだったから、結局話しちまった」
久遠楽斗が、環奈の笑い声に反応して、
「ま、俺の息子なだけはあるな」
「そうそう。お義兄さんもざるだったけな~。そっかー……遺伝だわな、ありゃ」
環奈は部屋で眠ってしまった二人を残してリビングにまでやってきていた。リビングには環奈と夕実と楽斗が三人でテーブルを囲んで座っていた。
どうやら両者共にかなたが部屋で酒を呑んでいたことを知っていたらしい。考えてもみれば、すぐに分かるだろう。あんだけバカ騒ぎをしていたのだから、気が付かない方がどうかしている。
「で。寝たの? かなたくん」
「ん、ああ」
環奈は夕実の問いに、一切の申し訳なさそうな態度一つ見せずに、
「オレのことをおばさん呼ばわりしやがったから、ちょっとだけ教育してやったから。今はぐっすりじゃねーの?」
と、言ってからテーブルの上にあったお茶を一口飲んだ。
「ふーん?」
と、夕実は環奈の言葉の意図が分からずに首を傾げ、
「教育?」
きょとんとした。
「くっくっく……」
環奈と同じように笑っていたのはかなたの父、楽斗だけであった。
「それで。環奈ちゃんはどこまで喋ったの」
口火を切ったのは夕実。
「どこまでっつてもな」
と、環奈。
「いつまでもあいつを部外者にするわけにもいかねーから、話せるところまで」
「環奈ちゃん!」
怒鳴った夕実を隣で話を聞いていた楽斗が窘める。
「まあまあ。続けて?」
「と。思ったんだけどな。あいつが本気で話を聞きたいってんなら、ぜんぶ。と、思った」
「思った?」
「ああ。実際に話したのは二つ。一つはオレの正体。あいつもヴァンパイアハンターに接触したことがあるから話しやすかったぜ」
「誰かさんのせいでね」
「うぐ」
姉さんの口が今日は悪いなと思いつつ、
「まあ。それはそれとしてだ。とりあえずオレのことは話しといた。これから色々あるだろうし、話しておいた方があいつのためにもなるだろ。あ、でも。まー、一応? 一応、八神には触れないでおいた。あいつ……やっぱり八神ことに関しては何一つ覚えていないだろうから、無駄に危ない橋を渡る必要もないと思うし」
「……」
環奈の言葉に夕実が黙り込んでしまった。
環奈は構わず続けた
「あと聞かれたのは“悪疫”のことだ」
「全部話したのか?」
驚いたのは楽斗だった。問いに環奈は小さく首を横に振る。
「いや」
「???」
「話したのは“悪疫”となった事件の顛末だけだ。それ以外は話すなって久遠のやつに釘を刺されてしまってな」
「え」
「正体とか。本性とか。そういうのは一切話してない。あの子が自分自身でも思い出してないことを誰かの口から聞くのは嫌なんだと」
「意外と頑固だなーかなたのやつ」
「姉さんに似たんだろ。きっと」
「え~そんな~」
と、夕実が本気でそう思っている事実に。
「わはは」
「くはは」
二人が一斉に大笑い。
「ちょ、ちょっと二人してなに~!」
本気でおかしかった。
両手をあげて夕実が立ち上がって猛抗議。
それがまた、おかしいのに気が付かないのが本当におかしい。
と、その時である。
「……」
夕実がこほんと咳をしてから、座る。
そして、ぽつりと、
「聞くまでもないと思うけどさ」
と、小さな声で。
「かなたくんの風邪ってやっぱりクドちゃんが原因?」
と、囁いた。
「……」
「……」
環奈と楽斗が同時に黙り込む。それから、
「う~ん」
「ま」
顔を見合わせ、環奈は小さく頭を掻いて。楽斗は天井を見上げながら、
「だろうな」
「お、環奈ちゃん。断じるねえ。根拠は?」
楽斗の言葉に環奈は、
「屋上……。あ、月城高校の屋上な。そこにね。今、……紅い氷があるんだよね~。量的には大したものじゃないから、生徒やら教師やらを完全に立ち入りできないようにさえ、すれば問題ないから別にいいんだけど。紅い氷が根拠って感じかな?」
「じゃ、触っちゃったんだ。かなたくん」
「なるほど」
楽斗がそう言って腕を組んだ。夕実は心配そうに上を見上げ、少しだけ目を瞑る。環奈はというと喋り過ぎて喉が渇いたのかお茶を飲んだ。
「ま、心配いらないだろ。かなただし」
そう言って笑うと環奈は大きく体を伸ばしてから、大きなあくびをした。
時間はすでに深夜を回り、早朝とでも呼ぶべき時間まで一時間もない。
「泊まってく? 今日」
「ああ、そうさせてもらうわ」
コップにわずかに残ったお茶の残りを一気に飲み干すと環奈は椅子から立ち上がって、大きく背伸び。
と、一度。そこで立ち止まる。
夕実と楽斗に背中を見せたまま、
「あ、そうだ」
「どうしたの?」
「あのよ。今度の土日。あいつのスケジュール開けといてくれ」
と、発言した。
環奈の意図が分からずに夕実と楽斗が首を傾げる。
そして同時に不安感も募った。
こういう言い方をする時。
この八神環奈という女は何かを企んでいると分かっているから。
首だけで振り向いて、環奈は二人ににっと白い歯を見せた。
「なーに、心配しなさんな。ちょっとあいつに賭けてみたくなったのよ」
「賭ける?」
「そ。あいつの。あの顔を見たらよ」
そうして環奈は思い出す。
自分のことを“おばさん”と言い切ったあの不敵な顔を。
「ちょっと任せても大丈夫かな……ってよ。んじゃ、オレ寝るわ。ふわぁ~……だ、ダメだ。もう瞼が重くて開かねー」
ふりふりと後ろ手を振って、
「おやすみ~」
環奈はリビングを後にしていった……。




