091 踏み越える夜
先生はYシャツのボタンを胸元まで開け、袖を捲り、盃をあおっている。
「う~ん……どこまで話していいのか分からないが、お前が知りたいのは」
ぴんと指を二本立てて、
「その子、“悪疫”についてと。オレの正体ってところか?」
こくりと無言で頷く。
「まずはオレの正体だな。知っての通り、オレは月城高校で教師をやっている。だけど一方で、ヴァンパイアハンターの真似事もやっている」
「真似事?」
「正確には違うってことだ。ヴァンパイアハンターを名乗っていいのはな、月神結社の人間だけなんだ。オレはそこには所属していない。だからこそ、真似事なんだ。もし、名乗っていたとしても自称がつく。世間一般的にはヴァンパイアハンターじゃあない」
「結社って……あの、クラリスさんって子がいるっていう?」
「そうだ」
僕は少しだけ考えて、そもそもの疑問をぶつけることにした。
「そもそも結社ってなんなのさ。何をしているところなの? 会社?」
酒をあおりながら、
「会社じゃねーな。どっちかっていうと……秘密結社か?」
と、先生が言った。
「ひ、……ひみつけっしゃ? そ、それは……悪の組織みたいな?」
ふっと先生が少しだけ笑った。
「似たようなもんだが、一般的にはやっぱり違うか。やつらがしてるのはな、吸血鬼とか生屍人とかそういうやつらを社会から駆除する……言わば『吸血鬼駆除』を生業としているプロだ」
「『吸血鬼駆除』……」
どこか害虫駆除にも似たような響き。そして意味合いもそれと近いのだろう。
「じゃあ……先生は?」
「なに?」
「結社が『吸血鬼駆除』をやっているっていうのは分かったよ。じゃあ先生は何をしているの? 先生も結社と同じように『吸血鬼駆除』をやっているの?」
先生は僕の問いに小さく首を横に振ってから、また一口。酒を呑んだ。
「いや。オレは……、吸血鬼はやってない。基本的には、だが。オレが主だってやってるのは救いようのない生屍人どもを狩っている。生屍人どもは生屍人になっちまったら元にはもう戻れない。どんな方法を用いてもだ。でも、生屍人は見境なく人を襲う。だから、そういった生屍人を夜な夜な狩っているんだ。これ以上人を襲わないように。これ以上生屍人でいさせないために」
「ふーん」
なんとなく先生が自分のことをヴァンパイアハンターの真似事だって言った意味が分かった。そもそもの思想が月神結社のものとは違うのだろう。
先生はある程度、吸血鬼の存在を認めているように感じ取れた。だからこそ基本的にはとあえて口走ったのだ。そして先生は生屍人を憐れんでいる。人を襲う生き物を憐れんで、慈しむような感じで退治しているのだろう。それしか方法がないと、考えて。
対し、月神結社の考え方は。
吸血鬼と生屍人は等しく。
まるでそれは害虫であるかのように扱い、問答無用で駆除を行っていると思った。生屍人の場合は仕方がないと思う。生屍人に対面して分かったことだが、生屍人は人間としての体をわずかばかりに残してはいるものの、生屍人の中に残っているのは食欲のみだった。
いかにして人を喰らうか。
だからもう問答することすら出来ないのだろう。
だから、仕方がない。
大変身勝手な言い分だが、そうなれば仕方がないと思ってしまうのも、しょうがない。
しかし、吸血鬼はどうだ?
僕もクドに噛まれた吸血鬼であるし、クドもヴァンパイアハンターたちから“悪疫”と呼ばれている吸血鬼である。しかし、話すことは出来る。それに人を襲ったりなんかしない。普通に生活をして、日常を生きている。
人を襲っているならともかく。
人を襲っていない、襲おうともしない“普通”の吸血鬼ははたして彼らにとってはどのように映っているのだろう。
まあ。
ぐび。
酒をあおる。
考えても分からないことなのだがね。
う~ん。
「お前」
考え込んでいると、先生が不意に、
「どう思った?」
と、尋ねてきた。
「どう?」
「ああ」
「どうって?」
首を傾げると、
「クラリスって子と戦ったろ。お前」
「そういうのも知ってるんですね」
「まーな。で。どう思ったよ?」
と、先生。
僕は一度黙り込んだ。
黙って、腕を組んで、頭を捻って。
それから、
「どうって……まあ。嫌われているなとは思いました」
「それだけ?」
「う~ん」
と、難しそうな声をあげる。
少し言い辛いものがあった。
一度戦っただけ。それだけの間柄でこの言葉を言ってしまってもいいものかと非常に悩む。
が。
僕は非常に酔っぱらっているらしく、そのまま思っていたことを口にする。
「なんか……」
「おう」
先生が頷いて、僕は、
「……必死だなって思いました」
と、少しだけ小さな声で言った。
「というと?」
先生がことっとテーブルの上にコップを置いて、真剣な眼差しでこちらを眺めだした。僕は少し上を向いて、思い出すように、
「あの子ずっと強さにこだわってました。戦う前も。戦っている最中も。戦いが終わった後も……ずっと。僕も強くなりたいと思ったことはあります。クドのこととか、クルースニクの問題だったり。自分が弱かったら何も手伝えないし、足手まといになる。だから強くなることに対して想いはあります。けど……あの子の場合、強くならなくちゃいけないみたいな想いの方が勝っているような気がしました。……でも、何だかそれって何かが違うような気がするんですよね。同じ想いのはずなんだけど、強くなりたいと思うのと、強くならなくちゃいけないって。どこかがずれているような気がしてならなかった。強さを求めているという方向は同じなのに、何かが違うんですよね~……」
結局答えは分からない。
ただ、そのことを言葉にするとこういうことになるのだろうか。
「心に余裕が無さすぎるような気がします。あの子は……」
さらに、
「もっと遊べばいいのに」
と、思わず出てしまった言葉に先生が「く!」と小さく笑ってから、
「違いねえ! くはは!」
今度は大きく笑ってみせた。
「???」
どうして先生が笑ったのかは分からなかった。
きょとんとして固まる。
そして、すぐ。
「あ、そうだ。先生の正体はなんとなく理解しました。月神結社の人間じゃないけど、生屍人なんかを相手にしている人種だってことは。じゃあ、クドのことも教えてください」
そこで先生が初めてぴくりとした。
コップを掴んでいた手が止まり、じっとこちらを見据えてきた。
「“悪疫”か……」
普段なら押し負けそうな眼光であったが、臆することなく。
真っすぐと。
瞳を見返して、
「教えてください。知っているんでしょう。その口ぶりは」
僕は続けた。
「僕、一度だけ。たったの一度ですけど。この子がこの子じゃないみたいな場面に出くわしたことがあるんです。記憶がないこの子が。あんなに冷たいモノに変貌してしまったのを、見たことがあるんです。この子には記憶がない。きっとそれは嘘じゃないと思うんです。でも、周りはこの子のことをよく知っている。“悪疫”だなんて名前をつけて。まるでクドを畏怖するかのような名前で呼ぶ理由を。お願いします……!」
先生が少し驚いたような顔をした。
「あ?」
そして、
「それだけでいいのか?」
「はい」
力強く頷いて肯定。
「正体とか、本性とか、こいつの過去とか。オレが話せる範囲であれば話しても構わないぞ」
先生の言葉を力強く首を横に振って、否定。
「いいえ」
と、言ってから、
「僕が知りたいのはこの子の正体や過去なんかじゃない。そういうのはこの子が全てを思い出して話したいと思ったら、この子の口から直接聞きます。それまでは絶対に聞かないし、何より他人から聞かされるなんて。クドが可哀そうだと思うから。……僕が知りたいのはね。この子の名前についてだけです。“悪疫”の“悪疫”たる所以だけ。後のことは全部。この子から聞きますから」
真剣な眼差し。
しばらく二人の間に沈黙が流れ、部屋の中にあった時計の針がちくたくと鳴る。
「お前はこの子のことが好きなんだよな」
やがて、先生が口を開いてそんなことを聞いてきた。
だから、
「はい」
僕は迷いなくそう答えた。
すると、先生は、
「じゃあ。聞かない方がいい。好きならなおさら」
声の調子を落として、わざわざそう言った。
「正直に言う。この子のことは全てのヴァンパイアハンターやオレみたいなヴァンパイアハンターの真似事をやっている人間なら全員が知っている。悪名高き“悪疫”ってな。その理由となった事件も、すべてだ。今のこの子に自分のことを喋らせるよりも、ヴァンパイアハンターに聞いた方が早いくらい。それでも聞くか?」
素早く。
そして、同じことを。
尋ねた。
「聞けば戻れなくなる。知らなかった頃には絶対に戻れない。知った上で。知らないフリが出来るのか? お前に。お前みたいな、へたれが」
僕は少しだけ押し黙る。下を見て。
少しだけ含み笑い。
「あのさ」
そして、上を見た。
「あんまり舐めないでよね。おばさん」
顔を上げて対面したのは、先生のにっと満足そうに笑っている顔だった。




