008 ボーイ・ミーツ・ヴァンプ
僕はまず出口のないこの場所に留まるのはマズいと思い、この場所を抜け出した。道々に落ちていた生屍人の体を飛び越え、柵を飛んで、とにかく走った。
とにかく出口へと向かわなければ。
そう思い、全速力で駆ける。
「どうしてだ」
「え?」
走りながら少女は背中で僕に問いかけた。
「どうしてお前はわたしを助ける? 必要がないだろう」
「どうしてって……」
意識が背中に向かう。
「あ、前!」
そう少女が叫ぶと前方に生屍人の一体が現れる。どうやら倒れていた生屍人の一体が立ち上がったようだ。
「ええい! くそ。どけえええええ!」
走りながら右肩を突き出して、僕はその立ち上がって間もない隙だらけの生屍人にショルダータックルをお見舞いした。
「ウバァ!」
そいつは受け身も取れずに後方へとすっ転んでいった。
「へへっ、どんなもんだい!」
と、息巻いたのはよかったのだが、すぐに僕は視線を生屍人から逸らす羽目になる。
「うげぇ」
生屍人が転んだ拍子にぐちゃん、と木にぶつかって生屍人の首がぽろんと落ちた。
「ニ~ク~」
落ちた首がそう言い放つ。
「ニクハココダアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「うげ!」
生首の叫びに後方から追いかけてきていた生屍人の集団が気が付いて、一直線に僕たちを追いかけてきた。そしてその内の一体が落ちた首の前で一旦止まる。走る僕の後姿を捉えると、一気に左足を振りかぶる。
ま、……まさか……?
「オレ……クウウウウウウウウウウウウウウウ!!」
うわー! 本当に蹴ったー!
生屍人に蹴られた生首がサッカーボールみたいに飛んできた。
「あぶ!」
間一髪。飛んできた生首を自分の体に触れるか触れないかギリギリのところで体を捻ってなんとかかわす。落ちた生首がカチカチと歯を鳴らしているところを見ると、どうやら本当に生首だけでも僕を食べようとしていたらしい。
「ぞぉ~~……危なかったー……」
しかも生首は未だに息をしていて、威勢よく“ニクニク”と叫んでいる。あまりにもうるさく不気味だったので腹いせの意味も込めて蹴飛ばしてやる。
蹴られた生首はしゅう~と放物線を描いてから“ゴミはゴミ箱へ”と書かれた看板が掲げられた公園の中のゴミ箱へと見事ゴール。
こんな時でもなければガッツポーズの一つでもしてやりたい気分の爽快さだったのだが、残念ながら今はとても忙しい。
「ねえ」
少女が背中できゅっと抱き付いてきた。
「さっきと同じ人間なの? なんだかずいぶんと印象が違うような……」
「印象?」
「うん。さっきまでは……その……」
言いにくそうにして少女は言葉を濁す。
「いいよ。言っても。何なら僕から言おうか。ずいぶんと情けないやつだって」
「……」
沈黙の答え。
ま、そりゃそうだよな。
何しろさっきまでの僕は足手まといの臆病者でしかなかったのだから、そんな印象を持たれても仕方がない。
「怖くないって言えば嘘さ。むしろ怖い。当たり前だよね。あんなの見たことも聞いたこともなかったんだから。それが命を狙ってくるなら、なお更」
そうさ。怖い。怖いに決まってる。
けど、さっきまでと違い体は動いてくれる。
分かれ道の先に生屍人の集団が待ち構えているのが見え、慌てて違う道を探す。見つけたのは垣根の中。柵を飛び越えて、垣根の中を疾駆する。
「よっ」
垣根の中にまで入り込んでいた死体の生屍人を飛び越えながら走り、目の前に見えた柵を飛ぶ。
「ニク~」
「クワセロ~」
柵を飛び越えた先に生屍人が二体、僕たちを待ち構えていた。どうやら道中で倒れていた生屍人が完全復活を遂げ、さきほどの生首生屍人の叫びを聞いてここへ駆けつけたらしい。
背後を見る。
ダメだ。生屍人がまだ後ろから追いかけて来てる。反転して逃げようにも逃げれない。
だったらまた体当たりを食らわせる?
けど、生屍人がいきなり目の前に現れたせいで一度足を止めてしまったから勢いが殺されてる。今から助走しても大した威力があるとは思えない。
頭の中であるキーワードが過る。
詰み。
背後からは生屍人の大群。目の前に立ち塞がっているのは二体の化け物。
まるで将棋やチェスでいうところの詰みの状態に陥ってしまった。だけど光明がないわけではない。
目の前の二体の生屍人の奥に見えるのだ。出口が。この広いだけが取り柄の森林公園の出口が。
とにかくここを切り抜けてあそこまで駆けることが出来れば、僕も。この怪我をした少女も助かる。そういうこと。
生温い汗が頬を伝う。
(けど……どうする? 別に倒せって話じゃない。ここを切り抜ける……いいや、すり抜けるだけでいいんだ。だったら何か方法があるんじゃないのか?)
周りを見渡して策を講じる。
突っ切る?
いや……無理だ。今までの体当たりが上手くいっていたのは僕が走り続けていたおかげでかなりの助走を取ることが出来たから。今、僕と生屍人の距離は三メートルもない。そんな助走も出来ない距離で体当たりを試みたところで押し返されるに決まってる。
かといって回り込むってのもきっと無理だ。
今いる場所が最悪過ぎた。
ちょうど生屍人二体は道を遮るようにして立っていて、その横から突っ切ろうにも木々の樹木が障害物のようにして道を閉ざしていた。この間を通り抜けるには少女を一度、地面に下ろしてからその後に少女の体を引っ張らなければならないだろう。つまりは通り抜けるには一人分の広さしかないということだ。
どうしよう……どうしよう?
時間さえあれば、何か秘策を閃くかもしれないが、あいにくとその時間は僕に用意されることはなかった。
「ウラアアアア!」
生屍人が先に動く。
まっすぐとこちらへと駆け、そのまま爪撃を伸ばしてきた。ただの攻撃というよりは熟練された剣士の放つ突き攻撃のような勢いで腕が伸び、僕の頬を掠めた。
不幸中の幸いとでも言うべきか、その突きはあまりにも真っ直ぐに伸びてきたので僕が考えるよりも先に僕の首が動いて頬を掠める程度で済む。
もちろん安心は出来ないけど。
つーっ。
僕の頬に汗とは違うぬるりとした液体が流れる。
思わずその液体を拭う。
正体は僕の血液。
しかも結構深く生屍人の一撃が入ったのか血は止まらず、僕の頬を赤く染めていく。
「チ……チダア……」
僕の流れる血を見て前の生屍人は喜びに打ち震えている。
「もういい」
少女が言った。
「もういい。人間。お前はよくやった。あそこを見ろ。あそこの隙間ならお前でも抜けられる。あそこから逃げて」
「何を言っているんだ。あそこは僕も見たから分かってる。けど、どう考えでもキミを連れては通れないよ」
「だからもういいと言ったの」
少女は再度言う。
「もう……十分。わたしのことは捨てて逃げて。…………元々関係のない人間を戦いに巻き込まないようにするためにわたしはここを戦いの場に選んだの。人間は巻き込まれただけなんだから、逃げても誰も笑ったりなんかしない。だから、……いいの」
背負っていたからこそ、僕は彼女の震えに気が付いた。
どうして体が震えているのか。それはきっと彼女自身も分かっているんだろう。自分が満足に戦えない状態であるということに。魔力とか氷の魔法……みたいなのとか。僕にとってその言葉は何の現実味もない笑ってしまうような言葉ばかり。
だけどこの子は戦えないことを悟って、それでもなお。僕に逃げろを言う。そんな彼女の強がりを直に感じ取って、僕は思わず軽く笑った。
「ねえ、キミ。僕に聞いたよね。どうしてわたしを助けた……って」
「え」
「じゃあ僕も聞くね。どうしてキミは僕を助けてくれたの。絶対に足手まといにしかならない僕を。自分の腕を自分で突き刺してでも、僕を助けたわけを。教えてくれるかな?」
「それは……」
少女は一度だけ考えるようにしてから、
「……わからない」
首を横に振った。
「わたしには……記憶がないから。覚えていることは自分の名前がクドラクだということと、自分が吸血鬼であること。……そして、戦い方。それしか覚えていないんだ。だから……どうして人間を助けたかなんて見当もつかない……」
「え……記憶が……ない?」
「……うん」
流れるようにさらっと衝撃の事実が零れ落ちた気がしたのだが、今はあえて深く聞くのはやめておこう。今度また、ちゃんと話を聞かせてもらえばいいから。
「えっと……キミ、じゃないや。クドラク。答えになってないよ、僕の質問の答えに」
「でも……」
と、喋っている最中に横合いからいきなり飛び込んできた生屍人を軽くいなして、空いた大きな隙間を駆けていく。
「僕が聞いてるのは、どうして僕を助けてくれたかってこと!」
駆けながら僕は叫ぶ。
「それってさ! きっと答えなんかない質問なんだ!」
夜風が頬を撫でる。
「けど、あえて言葉にするならこうさ!」
天の満月にかかっていた群雲が晴れ、辺りを明るく照らす。
「助けなきゃって思ったから!」
「!」
「キミと一緒さ。クドラク! キミもそう思ったから僕を助けてくれたんだ! だから僕もそう思ったからキミを助けたいと思うんだ。そこに記憶とか吸血鬼とか、そんなの関係ない! キミが優しいから、僕はキミのことを守りたいって思ったんだ!」
「まも……る……」
「ああ! そのためだったらなんだってしてみせる!」
と、駆けながら意気込んでいると視界が散漫になり地面に転がっていた石につっころんでモノの見事に地面に顔面を強打した。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
かっこつけた癖にこの体たらく。ださい。ちょーださ。いや、超絶ださい。三段活用でださい。
「…………」
ぱちぱち。
少女が背に乗ったまま瞬く。
そして、
「ぷ!」
「はは……」
どちらかということなく湧き上がった声は、辺りに高らかに響き渡る。
「かっこ悪いよね……」
「くすくす」
少女は目尻に浮かぶ涙を指で拭い取る。そして、首を横に振る。
「うん!」
僕とクドラクは心の底から笑いあった。
こんな状況なのに笑いがこみ上げてきた。そしてそれを抑えることが出来なかった。だから笑った。心の底から。
だけど、それもここまでだ。
ざっ。
「大丈夫」
ぐしぐしと鼻の頭を指で擦り、クドラクを庇うように背後を振り返る。
生屍人の群れ。
不思議だ。あんなにも恐ろしい軍勢だったはずなのに、今はちっとも怖くない。
守らなきゃいけないものが出来たから。
僕はちらりとクドラクを見た。
この子が笑った顔を思い出す。
それを思うだけで心がずっと強くなる。
この子の笑顔を曇らせてたまるか。
「キミは僕が守るから」