077 狐と神狼、相まみえる
薄暗い。寒い。痛い。熱い。
痒い。苦しい。寒い。息が苦しい。熱い。
寒い。
お腹が減った。朦朧とする。辛い……。
寒い。熱い。
もう……ダメ、か、も、しれ、ない。
隣で一人の少女が目を覚ました。そのまま上半身をゆっくりと起こして、きょろきょろと辺りを見回す。
「……」
どうやら自分は今の今まで眠っていたらしく、思考がおぼつかない。頭の中がぼんやりとして、眠る直前の記憶がものすごく曖昧だ。そもそもいつ眠ったのかさえ思い出せない。思い出そうとすると自分の中のもう一人の自分が“思い出さない方がいい”と必死に抵抗しているかのように、思い出そうとすると頭の奥がちくりとした。
だからとりあえず、思い出すことはやめた。
いつも通り、
「おはよう……カナタ」
と、言って。
クドラクはいつも起きた時に一番初めに挨拶をする少年の姿を探す。その姿はすぐに見つかった。
「……」
かなたはクドラクのすぐ隣で寝息を立てていた。だから探すまでもない。少し視線を横に向ければ見つかったのだ。
しかし。
「カナタ?」
と、少し心配そうに声をかけた。
いつもなら自分が起きるよりもずっと早くかなたは目を覚まして学校へいくための準備やら下の店の手伝いなどに行ったりしているのだ。自分より遅く目を覚ますことなど、まずありえない。
しかし。
今日はどうしたことか。
かなたはクドラクの隣で、眠っていたのだ。
しかも。
かなり寝苦しそうに、呼吸を荒くして。顔中には脂汗。
何だか嫌な予感がして、クドラクは彼の額に手を置いてみた。
すると。
「わ! あ、あつい!!」
彼の額がとんでもなく熱かった。
はじめてだ!
こんなこと、はじめてだ!
クドラクがものすごく慌てる。
ベッドから跳ね起きて、両手両足をばたつかせて。傍から見ると踊っているみたいにして、ものすごく慌てた。
「あついあつい」
クドラクはとりあえず部屋の中を走り回った。そしてようやく自分の手のひらに魔力を集中させて、
「氷よ」
と、唱える。
魔法。
彼女の得意な魔法である氷を手のひらに出現させた。そして小さな氷の塊をはしっと掴んで、手のひらを冷やした。ひんやりとした温度が心地よく彼女の手のひらから温度を逃がしていく。
「な」
クドラクは目を見開いた。
「なにこれぇ」
とにかく初めての経験だった。
彼女はこれまで一人で生きてきていて、しかも記憶がない。なので、こんなに誰かの体温が熱いという出来事に遭遇したことがないのだ。
クドラクは一旦、落ち着いてベッドを振り返ってみた。
「あつい」
ようやくかなたが掠れた声で呟いているのが聞こえた。
見ると、確かにかなたの顔――いや、体中が汗まみれになっているのが分かった。顔は見ればすぐに分かったが、布団を捲ってみてみないと分からないレベルでパジャマがぐしょぐしょに濡れていた。
「あつい? あついのか。ひやせば! ひやせばよいのか!」
ハッと我に返る。今自分が何をすべきかを懸命に考えながら周りを見渡す。足りない知識ながら、かなたのために何かが出来ないかと最善の策をすることにした。指をぴんと伸ばして、
「氷よ」
唱える。
「この部屋を冷やすんだ!」
次の瞬間。
部屋中の壁、天井、床。全ての物質が氷へと変貌を遂げる。
結果。
部屋の中が真冬のような温度となった。
窓の内側には霜が張り付き、壁にかかっている時計の針が一〇時二三分を差したまま凍り付いて停止。
あきらかにやりすぎである。しかし、彼女はそのことに気が付かない。
とててて~っと。部屋を走って床に落ちていたタオルを拾い上げるとその中にいくつかの氷の塊を突っ込んだ。
タオルをぎゅっぎゅっと絞る。
また走った。
かなたのところまで戻ってくると、
「氷だ」
かなたの首筋とおでこに宛がう。
しかし。
明らかに部屋の温度が下がりまくっているので、完全に逆効果である。なので。今度は。
「さむい」
と、かなたが言った。
もうパニックである。
あついと先ほど言ったばかりなのに舌の根の乾かぬ内に今度はさむいと言ったのだ。
「さ、さむい!? 今度はさむいのか! ど、どうすればよい! わたしはどうすればよいのだあああああ!?」
対処の方法が分からなくなって、とうとうクドラクが絶叫。
そして、部屋の扉ががちゃりと開いて、
「は~い。かなたくん新しいタオル持ってきたよ~」
と、かなたの母親である久遠夕実が真新しい濡らした白いタオルを手に持って部屋の中に入ってきた。彼女はちらりと部屋の中でパニック状態に陥っているクドラクの姿を見て、何かを察したのか。
小さく口元に手をやって、小さくため息を一つ。
「クドちゃんおはよう~。とりあえず部屋の温度をあげるから窓を開けてね~」
そう言って何事もなかったかのようにぶるりと少し身を震わせてから、かなたのところまで歩いておでこに乗っていたカチコチに凍っていたタオルの塊をどけてから持ってきていたタオルをおでこに乗せた。
クドラクは夕実の言葉にこくこくと頷いてから部屋の魔法を解除して、部屋の窓を開ける。部屋の温度からすると生暖かい風が部屋の中に入ってきた。部屋の温度が少し上昇。
部屋の中に少しの春が戻って来た。
と、同時に。かなたの顔に少し明るさが戻って来る。
「ゆ、ユミ! か、かなたは一体どうしたんだ?」
と、クドラクがようやく答えを知っていそうな人物に尋ねた。
すると、
「う~ん」
夕実は口元に指を当ててから。
少しだけ悩むようにして。
「風邪……かな?」
そう言ってから微笑んだ。
「か、かぜ……?」
クドラクは口走ってからびっくりした。
それはそうだ。
彼女は知らないのだ。
クドラクは氷の魔法を扱い、その上、病気になったこともないので風邪という言葉の意味すら分からなかったのだから。
ちらりと眠っているかなたを見やり。
もう一度。
「かぜ?」




