062 クラリス登場!
死ぬほど驚いた。誇張表現ではなく。
心臓が止まりそうになった。
目を見開いて、反射的に指を動かして飛びのいた。そして、その瞬間、目の前が突然発火。
環奈は眠そうな瞳でそんな異常事態を前に大あくび。驚いたのはむしろクラリスの方だった。環奈は目尻に浮かんだ涙を拭いつつ、まるで日常で物を投げられた程度のテンションで、
「あぶねーな」
と、軽く注意した。
ごうっと炎が立ち上り、環奈の前で燃え続けている。クラリスは声を失ってその炎をただただ見ていた。
少女が息を呑む。
「それが、あなたの……力」
クラリスは一瞬で考えた。この女の力の正体を。環奈は何もしていない。霊力が感じられなかったのだ。人間が何かしらの超常現象にも似た力を使う場合、霊力を使わなければならない。しかし、この環奈という女。その力を使ったような形跡も動作も見られなかった。しかし、何らかの方法で目の前を燃やし、身を守ったことは間違いない。全く見たこともない技だった。何かしらの呪文も唱えずに炎を出すことなど、本当に可能なのだろうか。
だとしたら、相当な技術のはず。呪文も唱えず、媒介物も介さず、これだけの威力。はっきりと言って自分にはない力だ。盟主と呼ばれる自分でさえ、恐れてしまうようなモノだ……。
油断ならない。
クラリスの体が一気に硬直する。
そんなクラリスを見て、環奈がため息を吐く。
「びびんなよ。くく……」
言葉にクラリスがハッとなる。
「何もしねーよ」
「……」
その言葉に嘘はないように思える。何となくだが、この女はあまり嘘が得意ではないように見えるのだ。そもそも嘘をつく必要がないようにも。
警戒を解いて体を環奈に向き直す。相変わらず飄々としている環奈に対し、クラリスは淡々と、
「すいません。つい」
軽く謝罪した。
誰から見ても分かる。心の籠っていない上辺だけの言葉。
それでも環奈はそれを見透かしているのか分からないような声で、
「おう。別にいいぜ」
と、軽く流す。
クラリスはそれを見て目を細める。
「話を」
と、心なしか声の調子をわずかに下げて、
「戻していいですか」
尋ねる。
「どうして私がここに来た理由が“悪疫”であると断言するのですか?」
環奈は片目を瞑る。
「もしかしたらここの生徒に逢いに来たという可能性もあるのでは?」
そして、
「ぷ!」
噴き出した。
「わははは!」
大笑い。
とにかく愉快そうに、とても可笑しくなったのか笑い続ける。
「いや、悪い。け、けど……わはは! は、腹……腹いてぇ……」
「……」
クラリスは少しムスッとした。
「自分で言ってて悲しくならないか~?」
クラリスは答えなかった。
ひとしきり笑うと環奈は体勢を戻して話を続ける。
「まあ、そうだな。その可能性もなくはないか。中学生の女の子がここの生徒に恋い焦がれてやって来ちまったってのも、あるのか。う~ん、じゃあその相手って……」
にやっと笑って、
「もしかして久遠か~? お前が片思いしてるやつってのは」
「は?」
クラリスは意味が分からずに首を傾げた。
「久遠? 誰です、それ」
「誰って……決まってるじゃねーの」
環奈は嫌らしく笑いながら、
「“悪疫”が憑いてる相手だよ」
と、言った。
瞬間的に思い出したのはあの変態の顔だった。
ここへ来た経緯は昨晩の電話で“悪疫”がこの学校に入り浸っているという情報を入手したからであり、クラリスはその“悪疫”が憑いている相手については何一つ知らなかったのだ。スマホに送られてきた写真を元にこの学校の生徒だとは知っていたが、名前までは知らなかった。そもそも興味がなかった。
クラリスは反射的にぶんぶんと首を横に振った。
だって。だってありえないもの!
「そ、そんな訳ないでしょうが!」
誰が好き好んであんなやつを好きなんてなるか。
あんな変態は死んでればいいのよ!
というより、どうしてこの女はそこまで知っているのだろうか。
まるで情報が漏えいしているかのような感じさえする。しかし結社の情報が洩れることなどあってはならない。それだけの情報規制はやっているし、気を付けている。
またクラリスの顔が険しくなる。
環奈はというと肩を震わせて、笑っていた。
「へー……やっぱ知ってんだな。久遠のこと」
やられた。
クラリスは唇を噛んで、俯いた。
この女はクラリスの反応を見ていたのだ。本当に知らない相手ならこの反応はおかしかった。知っているとしか思えない反応をつい取ってしまった。ここら辺の処世術は未だに未熟である。
環奈がそんなクラリスを見て、からかうように、
「そんなしょげんなよ。クラリスちゃんってば若いんだろ。だったら、別に気にすることもねーよ。つーか、これってばただの世間話だぜ?」
環奈が笑った。まるで教師のような笑み。
「そんなに肩に力入れて生活して、息苦しくない? もっとゆる~く行こうぜ♪」
クラリスは首を横に振って、改めて顔を上げた。
「……やはりいるんですね。ここに“悪疫”が」
「おう。いるぜ。今もいると思うけど?」
「あなたはヴァンパイアハンターなんですよね。ならばなぜ狩らないのですか? 吸血鬼を」
「うーん」
「野放しにする理由もないですよね? 吸血鬼なんてものは百害あって一利なし。あなたの好きなタバコみたいなものです。他人からすれば迷惑な存在でしかないんです」
「く」
その時、環奈が目を光らせた。
両手を広げて、
「ほんと、お堅いねぇ。タバコと吸血鬼を同列に語るってのもどうかと思うけど、愛煙家でヴァンパイアハンターの真似事をやってる俺からすると一利くらいはあると思うけど?」
クラリスは冷笑で返す。
「は! やはりタバコを吸っている人間は害をまき散らすだけの存在ですね。何も分かってない。存在するだけで迷惑なんですよ。副流煙って知ってます?」
「教頭みてーなやつだな。お前」
やれやれ、と環奈が肩をすくめる。
「お前、嫌いなんだ。吸血鬼」
クラリスは答えなかった。険しい表情で歯噛み。もはやそれが答えだった。
途端、環奈が笑い出した。
「わははは。そうかそうか。だったらしゃーない。けどな、俺は好きだぜ吸血鬼。割と。あ、もちろん人を襲うような吸血鬼には容赦しない。そこんところは誤解して欲しくないからはっきりと言っとく。そういう吸血鬼が相手ならオレは容赦しねーよ。けどな、普通に生活して人間社会に溶け込んでいる吸血鬼ってのは意外といいヤツが多いと思うけどなー」
「ふん」
クラリスは環奈の言葉を聞き流した。ありえないほどの世迷言。聞くだけ無駄。そう思った。
ふう、というため息の声。
環奈はため息交じりで、
「オレがな“悪疫”を野放しにしてるのもそこだ。害がない。だから狩らない。それ以外にないんだ。お前んところの結社のお偉いさんがどんな考えを持ってお前をここへ送り込んできたのかは察しが付くし、理解も出来る。けど、無駄なんじゃないかな~。それでも逢うか?」
「え」
と、クラリスが声を漏らした。
「逢わせるのですか?」
環奈はきょとんとして、
「逢わねーの?」
「それは……」
「別にいいと思うぜ。逢っても」
本当にこの女は意味が分かって言っているのだろうか。
クラリスがどうして“悪疫”に逢いに来たのか。
もし、クラリスが“悪疫”に逢ったらどうなるのか。
「なんだったらやりあえば? やってみりゃ分かることもあると思うし」
「……殺しますよ。私。“悪疫”を」
冷ややかに言う。
「殺す?」
と、ここで環奈が眉をひそめる。
そして、大笑い。
「わはははは! お前、ほんとになんにも知らないんだな。無理だって。やめとけやめとけ。あいつは殺せないし、多分……邪魔が入るから」
「邪魔?」
「久遠がお前のこと許さないと思うぜ。あいつは“悪疫”のことを妹だと思ってんだ。妹を殺されそうになってムキにならない兄貴がいると思うか?」
「……妹」
その時、クラリスの心がちくりとした。しかしそれに気が付かない。
クラリスは、髪を掻き上げて、
「それがなんです? 邪魔をするなら排除すればいい。吸血鬼の味方なら吸血鬼と同列の悪です。私は躊躇いません」
と、大真面目に言うクラリス。その途端、堰を切ったように環奈は爆笑。
クラリスが「な」と声を発した。
「正直な、“悪疫”が相手ならともかく。お前……というよりはオレもだけど。オレがガチで久遠とやったってまず、間違いなく勝てないしよ」
「……」
言葉を失う。
何を言っているのか理解出来なかった。
「もう一度言ってくれます? 言い間違えですよね。“悪疫”ならともかく? 何を言っているのか意味分かってます? その久遠という人間にあなたが勝てない? 何かの冗談ですか?」
疑問符が飛び交う。
「ああ。勘違いしてんのか。久遠は人間じゃねーよ?」
「……そういう意味で言ったんじゃありません。“悪疫”が憑いているということは知っています。ならば吸血鬼になっているか生屍人になりかけているか。そのどちらかでしょうよ。だけどそれぐらいであればほとんど人間と変わらないでしょう。吸血鬼になりたての、雑魚のはずです。そんな相手にあなたが負けるなどとは一切思えませんが?」
真剣な言葉に、環奈はたまらず、けらけらと笑いが止まらない。
「お前ちょっと勘違いしてるわ、やっぱ。オレのことそんな強いって評価してくれるのは嬉しいけどよ、か~、もうダメだ。おい、出てこい!」
と、環奈が周りに声をかける。
すると、
「わん!」
という鳴き声と共に目の前の空間が歪んで、そこに一匹の狐が現れた。




