061 クラリス登場!
かなたがクラスの男子に追いかけ回される直前、月城高校の校門の前に一人の少女の姿があった。少女は黄金の髪を掻き上げながら校舎を見上げる。
「ここか」
やたらと不機嫌そうな声と顔だった。
またあの変態に逢うのかと思うと気が滅入る。
そんな感じで少女はとにかく不機嫌だった。
校門に着いて、少女はスカートの裾を押さえ直してから校舎の中へと入ろうとして、
「おっと」
肩を掴まれて、反射的に指を動かして振り返った。
そこには一人の女が立っていた。
タバコ臭い、嫌な臭いを放っている女だった。
見てくれだけならかなりレベルの高い女性なのに、そのタバコ臭さが全てを台無しにしていた。
知的に見える銀縁のメガネも、清潔感のある左分けのセミロングの髪も、少し眠たそうな瞳に色っぽい厚めの唇も、少女が軽く苛ついてしまうほど大きな胸も、そのタバコ臭さで全てをプラスからマイナスにさせていた。
胸元に無造作に刺してある名札には『月城高校養護教諭 八神環奈』とあった。
「申し訳ありませんが、他校の生徒はいかなる理由があろうとも校舎の中へ進むことは出来ませんよ」
慇懃な言葉遣いで校舎の中へと入ろうとしている少女を諫める。
少女はちょっと目を細めた。
「教師ならもっと教師らしくしたらどうですか? 他校とは言え、生徒の前でタバコとは。あまり、穏やかではないように思えますが?」
最もな意見であった。
環奈はたまらず、
「く、くはは……」
陽気に笑った。
対し少女が眉をひそめる。
「お堅いんだねぇ……天津女学園の生徒ってのは」
環奈はタバコを吐き捨てるとハイヒールの角でタバコの火を踏み消した。
口寂しそうに口元を触りながら、ポケットの中に片手を突っ込んで、
「いいじゃねぇかよ、タバコくれー。ったく、ほんとお堅いわ。それに……油断しないね。このオレの気配を読み切って、いつでも戦闘に移行出来るように準備をしてんだから。さすがは史上最年少で結社の盟主を任せられるだけのことはあるわ。いや、うん。ほんと、すげぇすげぇ。頭が下がっちまうねぇ。クラリス・アルバートちゃん」
くあ~とあくびをして、面白そうに少女の肩を叩く。
「なぜ」
対して、クラリス・アルバートと呼ばれた少女は怪訝そうに、
「それを?」
と、息を呑む。
肩に置かれた手を払って、鋭い眼光で睨み返す。
環奈は、
「そりゃ……同業者だからね」
軽く肩をすくめて喋る。
「同業者? 所属は?」
「所属だぁ?」
環奈は少しだけ考えて、
「オレはあんたんとことは無関係。なんつったっけ。えーっと、あ、そうだ。月神結社。世界規模で吸血鬼狩りを生業とする、いわゆるヴァンパイアハンターの家系。この日本にも支部があって、夜な夜な生屍人だの人間社会に紛れ込んだ吸血鬼を狩っているっていう、あのエリート集団。ま~正直、オレとは無縁なとこだな。だって、オレってば完全な日本生まれのただのか弱い一教師だぜ? ま、あえて所属はどこかって聞かれたら……そうだな。八神、かな?」
「八神……。なるほど」
クラリスが軽く笑った。
「思い出しました。あなたのこと」
クラリスは環奈に体を向き直す。少しだけ、辺りを見回しながら、
「色々あなたには通り名があって、私としてはどれがあなたのことを明確に指しているのかは分かりません。ですが、あなたと直接会ってみて、分かりました。八神環奈。“行かず後家”もっともあなたにふさわしいと思いましたよ」
挑発気味にそう言う。
環奈はポケットに入れた手で頭をがしがし掻いた。
「嫌な方知ってるね。本当に意味分かって言ってんのかね。それ、嫁き遅れって意味だぞ?」
「知ってて言っているんですよ。嫁き遅れのタバコ臭いババア」
「オレ的には“月城の鬼”の方が気に入ってんだけどな~」
クラリスの挑発めいた言葉を軽くスルーしてそっぽを向く環奈。
やはり情報通り、この八神環奈という女に安い挑発は効かないらしい。まるで挑発をものともしない厚顔無恥な態度。正直、クラリスが最もやりにくいと思う相手であった。
自分自身を真っ向から貫いて。隙が無い。
八神環奈という女はそういう手合いだ。一瞬でそう思った。
「ですが。答えになっていませんよ」
「答え?」
環奈がわずかに眉をひそめる。
「私の所属に関して知っていたことは、まあ。まあ……結社が有名という話で落ち着きます。けれど、私の個人名を知っていることに関しては答えになっていないのです」
そして、
「く!」
噴き出す。愉快そうに笑って、
「おめー。もっと自覚しな。テメェは自分で思っているより有名だってことをさ。この業界は割かし狭いぜ? オレもヴァンパイアハンターの真似事みたいなことをやってるから知ってんだ。月神結社のことはよ。嫌でも耳に入ってくる。世界に支部を置いて活動していることも、その日本支部の盟主は史上最年少で抜擢された女子中学生で、しかも日本でも有数のお嬢様学校、天津女学園の生徒で、日本育ちの外国人。……知らないようだから言っとくけど、日本人ってのはほとんど、男女問わずブロンドコンプレックスでな、金髪の白人に弱いんだ。鏡見たことあるか? お前、相当レベル高いぜ? んで、そんな条件に該当する人物は当然のように絞られる訳だ。それに加えて妙な恰好をしてる女子中学生ってのは嫌でも目立つ。指輪を一〇本もしてる学生なんてそうはいない。だったら、お前がそのクラリス・アルバートその人ってな具合で分かっちまうんだよ。オレも直接お前の顔を知ってた訳じゃねーけど、そうなんじゃないかって思ってカマをかけた。したら……くく、ほんと素直なやつだなーお前」
最初の慇懃な態度が嘘のように砕けた喋り方で話す環奈。
何となく心の籠っていない口調のような気がしていたが、どうやら間違いない。この女は知っていたのだ。このクラリス・アルバートという少女の正体を。はじめから。
クラリスはまんまと環奈の手のひらの上で踊らされていた。そういうことになる。
ばしばしとクラリスの肩を叩いて大笑いする環奈。対し、クラリスは顔を真っ赤にして震えていた。
クラリスは思った。
この女、嫌い!
馴れ馴れしい上に、人を小馬鹿にしたようなその態度。
本当に気に入らない!
少女もまた、性格に難があるのだが少女はそれが普通だと思っているので、自分が変だとは少しも思っていない。
そういえば、と彼女は思う。
この八神環奈という女はもう一つの通り名があったはず。
確か……その名は……。
思い出せない。
でも……、結社の方でも日本のヴァンパイアハンターをマークしていて、その記録があったはずだ。
…………なんだったかな?
と、クラリスが環奈の通り名を思い出そうと頭を捻っていると、不意に、
「で、どうする?」
と、尋ねてきた。
クラリスは顔を上げる。怪訝そうに。
「どうするとは?」
環奈は口元を歪めつつ、
「決まってんじゃん。会ってくのか?」
いともたやすく、
「“悪疫”に」
核心を突く。




