056 クラリス登場!
月の下。
「ウラァ!」
闇を切り裂くように爪が振り下ろされる。
「うわ!」
“吸血鬼”になりたての僕はその攻撃を後ろへ跳躍してなんとか避けた。振り下ろされた腕が土を抉り、大きな穴が開いて、そこから小さな虫たちが逃げ出した。
攻撃を避けること自体は容易くなってきた。
攻撃のリズム。
そういったものが手に取るように分かってきたのだ。
反撃に出る。
「!」
地面を蹴って、相手に近づく。
生屍人。
人を喰らい、夜にしか姿を現さない屍。
こういった相手なら躊躇が生まれない。うってつけだった。
修行の。
「ウラァ!」
生屍人が僕の視界の中で腕を振りかぶる。またもや爪の攻撃をしてくるようだ。だけどその攻撃はもうすでに読み切っている。大振りすぎる。隙だらけ。
対し。拳に力を入れ、右手を弓のように引き絞る。右手が青白く光っていた。
「ひ~っさつ」
そして、渾身の。
「かなたパアアアアアアアンチ!!」
右ストレート。
「ゴボ!」
ぐぼんという音と共に振りぬかれる青白く発光する拳。生屍人の頬に拳がめり込む。ぐにょという擬音が似つかわしいほどのめり込み具合。そして、
「グボァ!」
生屍人の体が放り投げられたゴム人形のような軌道を描いて、地面を跳ね、柵に激突。そして、ゴミ箱の中に見事シュート。
ゴミ箱の中の生屍人がぴくぴくと痙攣。
「任せろ」
と、背後でクドの声。
たん、と空を飛ぶとクドは指をタクトのように振るって、最後にぴんと指を生屍人に向け、
「氷よ」
と、呪文を唱える。
すると彼女の周りで真紅の光が膨れ上がった。彼女の可愛らしい髪がふわりと浮かんで、揺れる。そして、急速に力が集まっていき、彼女が冷気を纏う。
「穿て」
そして振り下ろす。
ゴミ箱の中心目掛けて極太の氷の柱が突き刺さる。
生屍人もろとも。
生屍人は一瞬で凍り付いて、その後すぐに甲高い音を立てて砕け散った。
この連携も何とか様になってきていた。
「ふう」
と、ここで一息つく。
空中からクドが下りてくる。
「ありがとう。クド」
「ううん」
一度首を横に振ったクドだが、その表情はどこか暗い。
それに気が付かないほど僕は鈍感ではなかった。
「ごめんね」
しゃがみ込んでクドとの目線を合わせて一度頭を下げる。
「無理にこんなことに付き合わせてしまって」
「いい! そんなことは別にいいんだ!」
ぶんぶんと首を横に振って僕の言葉を否定するクド。だけど、と続け、
「カナタは戦う必要なんか……ないんだぞ?」
「クド……」
何を言えばいいのか分からなかった。
クドは僕のことを心配している。そんなことが嫌というほど伝わってくる。だけどそれに返す言葉が見つからない。心配されることが嫌だという訳ではない。むしろ嬉しい。僕のことを心配してくれて。すごく。
だけど、心配されているだけでは僕に成長の見込みはない。
成長しなければ僕はいつまでたっても二人の足手まといだ。二人の関係を少しでも修繕していきたいと願っている僕がそんなんじゃ、ダメだ。せめて二人と同じ立場で、同じ舞台で、同じ目線で。二人と対等な立場で、物差しで、共感しあえなければエゴの塊になってしまう。
そんなのは嫌だ。
傲慢かもしれない。僕なんかが、と。
だから。
だから、あえて。
「……」
ぽんぽんと、クドの頭を撫でた。
理由は告げず。
あえて。
クドはやはりきょとんとした。
人の心の機微に疎い彼女のことだ。本当にこれの意味は分からなかったに違いない。でも……今はそれでいいのかもしれない。
いつか言おう。
この理由を。
いつか言える日になったら。
「あ、そういえば」
と、話題を変える。
拳を握って力を込めてみた。
すると。
ぼうっと拳が青白く光る。
その拳を握ったり、開いたりしてみて、
「これが魔力っていうやつ?」
と、聞く。
クドはこくりと頷いて、
「うん。目に見えるほどの魔力は光って見えるんだ。ほら、わたしが魔法を使う時も光ってただろう?」
「あー……そういえば」
確かにクドが魔法を使う時、彼女の体が光っていた。
でも……。
「色が違うね?」
「うん、そうなんだ……だから不思議なんだ」
クドもまた首を傾げる。
そう。クドが魔法を使う時に光が溢れるのは間違いないのだが、その時の色は。
赤。
僕の拳の時の色と違う。
「個人差があるのかな~?」
「魔力と言うのは基本的に赤く光るんだ。でも青く光るのは……」
「光るのは?」
「霊力なんだよね。だから……う~ん」
腕を組んで心底不思議そうに。
僕は、
「ふ~ん」
と、返すので精一杯だった。
確かに僕は吸血鬼になったはずだ。それはクドからも聞いたし、自分自身の身体能力の向上を実感しているから間違いないとは思う。
事実、こんなこと少し前の僕では出来なかったはずだ。
「それに……」
と、クド。
うんうん唸っていたはずの彼女は何かを思いついて、それを独り言のように。
「カナタから感じるのは魔力だ。それは間違いない……でも、どうしてだ。どうして青く?」
と、呟く。
「???」
クドの言っている意味を理解することは出来なかった。頭を悩ましたところでクド以上の知識がない僕には判断のしようもなかった。僕が出来るのは頭を捻って、腕を組んで、体を揺らしている彼女の姿を、ただただ見ていることだけ。
そんな光景を見ながら……。
すっと視線を上へ。
「!」
いた!
そこに飛び上がってくる生屍人のシルエット。
油断した!
もう生屍人はいないものと思っていたのに!
「クド!」
叫び声をあげてクドの前に歩み出て、拳をぎゅっと握りしめる。
「この!」
力を込めると拳が再び青白く光る。
と、迎撃しようとして気が付く。
「カナタ!」
と、いう彼女の声。
「ウラ!」
左右の茂みから生屍人が同じタイミングで飛び出してきた。それにいち早く気が付いたのはクドの方で。クドは指を構える。
が。
その後ろ。
背後の方から飛び出てきた生屍人の方は二人とも気が付くことが出来なかった。
上の方の生屍人を僕がアッパーで迎撃。
左右の方の生屍人をクドが氷の魔法で凍てつかせ、砕く。
それまではよかった。最高の流れ。お決まりのパターン。
「ウラ!」
「え」
そしてその声にようやく僕が先に気が付いた。生屍人は障害物に隠れて様子を窺がっていたのだ。巧妙に気を窺がい、そしてその時を待った。
振り返ると生屍人が飛び掛かってきて、
「ウラアアアアアア!!」
という雄叫び。
僕の方に向かって一直線で加速してくる。大きく腕を上げ、牙を尖らせ。
そして。
「うわああああああああああ!!」
という悲鳴を上げて、小石に蹴躓いて転んで、尻餅をついた。
鈍く赤い光を残像のように揺らして生屍人が飛び掛かって来るまさにその時。
「ったく」
月光を浴びながら一人の少女が僕の前に立った。彼女は優雅に黄金の髪を揺らしながら、僕を冷たい目で一瞥。
「なんなのあんたら? 素人丸出しのその不様な光景は。あんまりにも見てらんないから出てきちゃったじゃない。別にあんたらがここで死のうが生きようが、私には関係ないんだけど、ね」
ふん、と笑って、
「あんたらみたいなど素人と同じにされたら困るから。本物の、プロの力を見せてあげるわ」
怜悧に瞳を尖らせて、
「囲まれたから焦るだなんて、ほんと……ど素人!」
彼女が両手を交差。
一〇本の指にはすべて銀色の指輪がしてあった。
僕に襲い掛かってきていた生屍人が雄叫びをあげている様、少女は憐れむような瞳で、生屍人を睨みつける。
「いい、こういう手合いは……こう、すんのよっ!」
と、少女は一瞬で見えなくなってしまうほどの速度で生屍人の懐に忍び込むと鳩尾に向かって回転蹴り。彼女のスカートがふわりと舞う。
「ぶべ!」
蹴られた生屍人の体が僕に当たって、少女は「ち!」と舌打ち。僕は衝撃で倒れた。
さらにもう一度生屍人を蹴り上げると、生屍人が明後日の方へ。
生屍人が吹き飛んで、少女が一言。
「あら……どこへ行こうとしてるのかしら?」
そして、生屍人の体が空中で停止。
少女は片手で髪を掻き上げ、左手を横合いに薙ぐ。
「ああ、あの世?」
瞬間、空中で停止した生屍人の体が細切れとなった。
「いいわ。行きなさいな」
残っていた生屍人の破片が彼女の言葉と同時に、肉片となり、欠片となり、塵となって、風となる。僕は言葉を失って彼女を寝ころんだまま見上げ続けた。