052 あなたさえいれば……
「あ……」
ほとんど無意識だった。
力の暴発。
梨紅は唖然とする。
そして、手足が震え、顔を逸らす。
やってしまった……。
と、焦る。
つい“力”が出た。
他者から見ると“つい”では済まされそうもない威力の炎だが、梨紅からすると“つい”出てしまったのだ。
何だかよく分からないけどかなたが襲われそうになっていた。それを排除するために“つい”。
手が震えた。
過去の。
思い出したくない過去の出来事が走馬灯のように走る。
ずっと一人だった自分に友達が出来た。それがすごく嬉しくて、自分の“力”を隠すようになった。自分が“特別”でもなんでもない“普通の女の子”になれた気がして、それを守ろうとして。とにかく“秘密”を隠して、守って、禁じた。
でも……。
破ってしまった……。
禁を。自ら。
がくっと崩れ落ちて、膝をついた。
体が震える。
怖い……。
まるで子供の時に戻ったみたいな恐怖が梨紅の体と心を支配する。
寒い……。
辺りは炎の波で熱風が生み出されて熱いくらいなのに。
声を出そうとする。
違うの!
そう言えばいい。
けれど、声は出ない。声は届かない。
目の前にいる相手に。ほんの数歩歩くだけで歩み寄れるような相手に。
届かない。
だから。
だから、どうしていいものか分からなくなる。
思考がパニックに陥って、心の中で懸命にあたふたする。模索。色々考える。でも人間っていう生き物はこういう時に考えることがネガティブなことばかりになってしまう。
化け物扱い。
言葉では言い表さずに距離を取られる。
――嫌われる。
いや!
それだけは、や!
梨紅は頭を抱え込む。
指先の爪が伸び、唇の端から牙が零れ、髪が白く変色し、肌に獣の毛が生えてくる。
頭の先に爪が食い込んで血が滲む。
“あ~あ”
いつの間にか声が聞こえてきた。
“今回、私は何もしていないぞ? 望んでいるんだ。“力”を。恥じることはない。“力”は振るうためにある。それはお前も分かっているはず。だから“力”が暴発したなどと言い訳をして。……本性に戻ろうとしている。そう、暴発して、な。くくく……”
嫌らしく。
どこまでも人を小馬鹿にするような男の声。
だけど、逆らえない。
“殺してしまえ”
と、声が言う。
“傍から見ていても分かるぞ。お前はあの男が好きなのだろう。ならばあの男に言い寄る全ての邪魔者を殺してしまえ。それだけの力がお前にはある。力があるということは権利を所有していることになる。くくく……。憐れな恋心。理解出来んとは言わない。それが人間らしい――いや、女らしいとでも言うべきか。ま、子供という訳だ。リク。別に構わん。恋をするなと私は言わない。すればいい。したければ。したいだけ。すればいい。が、その前に”
怜悧な声で。
言う。
“殺せ。全てを”
声が梨紅の心の奥底まで入ってくる。
その男の声が全て正しいとさえ思える。
命を軽んじる男が正しい、と。
間違っている訳がない、と。
自分でも知らず知らずの内に手が伸びた。
霊力が手のひらに集中する。すると、梨紅の体に明確な変化が訪れる。
爪が伸び切り、牙が生え。
あともう一歩の変化を残して。
“くくく”
と、笑う男の声を脳内で聞いて。
「大丈夫?」
という声を聞いた。
虚ろ気な瞳に光が宿る。
爪が元の長さに戻り、牙が引っ込む。腕に生えていた獣の毛が透過して見えなくなる。
前にはかなた。
かなたは炎の柱を背後にして、梨紅の元にまで駆け寄っていた。
手を取って、梨紅の体を支える。手のひらに集まっていた霊力が散って、辺りから熱気が消えていく。
炎の柱が消え、いつの間にかセラの姿が見えなくなっていた。
焼却されたのか。
それは誰にも分からなかったが、かなたはそんな疑問をたったの一言で一蹴する。
「く~、逃げ足が速いな~あの人。あ~あ……また来るんだろうなぁ……いやだなぁ」
まるでちょっと会うのが嫌な程度の軽口で笑う。
もう一度、梨紅の方に顔を向ける。
「あ、それよりも大丈夫? 怪我とか……って! 血が出てるよっ! は、早く手当しないと!」
焦りながらも張り詰めたような声。
必死な。
まるで自分が怪我をしているみたいに。
(あ……これ……)
梨紅はぼんやりと過去の記憶が掘り返されていく。
初めて彼と出逢った時、彼はすごく怒ってくれた。信号無視をしようとしていた自分のことを。まるで自分のことのように。
そして。
「うん。これなら大丈夫かな? よかった少し掠っているだけみたいだね。よかった~!」
心の底から。
「ほんと、よかった~!」
安心する。
ずきん。
梨紅の心臓が跳ねる。
覚えている。
いつの間にか彼女は呟いていた。
「ごめん……なさい……」
彼は不思議そうに首を傾げる。
「え? いきなりどうしたの?」
「怖い……思いを……させて……」
「???」
腕を組んで、本当に何のことか分からないみたいに首を大きく傾げる。
そして、
「怖かった……ですよね……」
彼はそこで真正面から梨紅の瞳を見据える。
やがて、
「え、どうして? 全然怖くないよ。僕を守ってくれたんでしょう。むしろありがとうって言わないとね。ありがとう」
梨紅の記憶の中の幼い声と現実の声が重なる。
「ありがとう栗栖さん」
そう言って彼はぽんぽんと梨紅の頭を撫でた。
ああ……思い出した。
そうだ……わたし。
だから……好きになったんだ。この人のこと……。
好きで、好きで、好きでたまらなくなっていったんだ……。
はじめて怒られて。
はじめて感謝されて。
はじめての友達で。
はじめて恋をした相手……。
それがかーくんなんだ……。
居心地がよい場所。
それが彼の隣。
そのために留まるためならば私はなんでもする。きっと。
「うぷ……」
と、ここで。
梨紅は俯いたまま。
「栗栖さん?」
というかなたの声を最後に。
意識が途絶えた。
ふらついて、よろめく。その体をかなたが支える。深夜の繁華街で見る酔っぱらい同士の光景のように。
少しだけ梨紅は笑っていた。
幸せそうに。
彼女が気が付くことは決してないが。
彼女は少しばかり吐いた。




