352 友よ
五〇階建ての高層ビルの最上階の一室。明かりも灯らず、月明かりだけが部屋の中を照らし出す。仄かな光が差し込む部屋の中に一人の人間のシルエットがあった。
吸血鬼を狩るべくして設立された『結社』の最長点に位置する者、レディ。
そのシルエットはレディと呼ばれる存在。味方からも敵からもレディと呼ばれ、恐れられている最強の生命体。しかし人間ではない。その正体は『結社』の頂点でありながらの吸血鬼。
矛盾している。吸血鬼を狩るヴァンパイアハンターの頂点が吸血鬼など、笑い話にもならない。質の悪いブラックジョークにも満たない話。しかしレディはそれでもこの『結社』においては頂点であり『君主』と呼ばれる絶対的存在。
しかしその矛盾をもねじ伏せてレディはそこに立っていた。
薄暗い暗闇の中、レディは立っていた。しかし、ただ立っていただけではない。よくよく見るとレディの隣には姿かたちで言うと切頭八面体の支柱を銀、表面には鏡で形作られた『銀の牢』が存在していて、中に一人の少女が捕らえられていた。
本来、牢と称するモノの中に閉じ込めておく存在の相場は捕虜か獲物ぐらいなものだ。しかしレディはその牢に向かって申し訳なさそうな視線を送る。少なくとも捕虜を憐れむような視線などではなく、本当に心の底から申し訳ないと思っているかのような悲哀の視線。
そして再会を喜ぶ無邪気さも添えるような笑みを浮かべて。
「ようやく逢えた。時間がかかった……本当に」
牢の中にいた少女がレディの言葉にすっと瞼を開け、目を覚ます。
褐色の少女、久遠クドは状況も理解出来ぬまま、目の前の牢に手を宛がい、その奥に見えるレディを見据える。
「……誰?」
クドははっきりと見覚えがないと口にした。
あるはずもなかった。目の前にいる人物はヴァンパイアハンターの『結社』の頂点にして最強の存在。そんなものに心当たりがあるのならば既にクドは殺されていなければならない。ヴァンパイアハンターの不倶戴天の敵であるはずの吸血鬼なのだから。
「……やはり儂のことを覚えてはおらぬか」
動揺を禁じ得ないような表情を浮かべるレディ。
その表情を見てクドが困惑する。レディの表情が演技の類に思えないからだ。迫真の演技でクドを騙すためだけにショックを受けたような表情を浮かべたのなら、クドは納得もいった。クドを騙す必要性を感じないという事柄に目を瞑れば目の前の女が食えない役者だとしか思わなかったのだが、今、目の前の女は確実にクドの言動に傷つき、それでも喜びを嚙みしめるように安らかに微笑んだのだ。
「儂は……そうさな、今は『レディ』と名乗っている。レディ・オブ・ヴァンパイア、吸血鬼の女王とな」
「……レディ・オブ・ヴァンパイア」
随分と自分を大きく見せるものだなとクドは思った。女王とは言え、自らを王と呼称するにはどれだけ傲慢になればいいのだろうか。
クドには理解の追いつかない話だ。傲慢になればなるほど孤立し敵対し、孤独の道を歩むことになると言うのに。
「……そのレディ・オブ――長いな。レディでいいか?」
捕らえられているにも関わらずクドの口調はどこか砕けていてそれを見たレディは思わず失笑を漏らす。
「ふっ。構わん。貴様が儂をどう呼ぼうと」
レディは口元を緩ませながらクドの言葉を促した。
「レディ……わたしに一体何の用があるんだ? わたしの首か? だったら諦めて欲しい。わたしは――」
「――死なないか?」
クドの言葉を遮るようにレディはクドが続けようと思った言葉をそのままぶつけた。恐らく一字一句の違いもない言葉にクドの表情が一瞬だけ強張った。
「知っているよ、そんなこと」
レディはクドの言葉を面白くないと言うような感じで遮ったように思えた。周知の事実を説明させることが如何に面白くないのかは説明を受ける側よりも説明する方が感じるのかは火を見るよりも明らか。
「貴様が吸血鬼という種族の中でも特例中の特例である『クドラク』ということは、他の誰よりも分かっているつもりだ」
「わたしを捕らえたのならわたしの正体ぐらいは調べているか」
「違うな」
今度ははっきりとクドの言葉をレディの強い口調で遮る。いや、むしろ遮ると言うよりかはその言葉を否定し、封じたと表現した方が正しいのかもしれない。
「間違っているぞ、オランセ」
そして、断じた。
クドの言葉の間違いを。
久遠クドとはまったく違う名前を。
「貴様は儂にとって唯一の友だ。友のことを一々調べるような無粋な真似をこの儂がするとでも思うたか」
真っすぐ檻の中にいるクドを見据えて。




