331 ぶつかり合うことを恐れない
「私はナンバーツーだった。だからナンバーワンのお前には決して敵わないと思った。――思っていた」
アサギの言うナンバーツーとは二人の働く店においての売り上げの話だ。しかしその差は他人から見れば微々たるモノで、大した差があるとは言いにくいモノではあった。しかし、二人にとってその差こそが二人の間においての絶対的な数値化された優劣の証だった。
メアは微かに目を伏せた。
心当たりがあったからだ。
その優劣の上に胡坐を搔いていたことを。その優劣の数値に驕っていたことを。
しかし、それは裏を返せば、
「だから……私は、負けないと思っていたし、負けたくないとも思っていた。ナンバーワンだったから」
だけど途中で気が付いたのだ。
小さな店のナンバーワンとナンバーツーの差など大したモノであるはずがないと。
「私はいつか絶対に追い抜かれると思った。私よりも綺麗な人。私に嫉妬を生んだアサギ」
「私に……嫉妬していた……?」
冷静にも思えるような声で『嫉妬していた』と言うメアにアサギは絶句しかける。
意味が分からないといったような表情のまま、
「どうして私に嫉妬する必要がある? お前はナンバーワンで私よりもずっと強くて――」
と、言った。
そんなアサギの言葉を遮るように、
「――関係ないの」
と、述べた。
「嫉妬に理屈なんて関係ない。私がたとえ店のナンバーワンだったとしてもルシドを取られるかもしれないと思わない理由にはなり得ない。だってそう思い込んでしまったが最後、もうその感情に支配されてしまう。嫉妬なんてそんなものよ。理屈とか理由は全部後付け。その時に感じた感情に何の因果関係も無い」
顔を上げたメアの瞳には薄く涙が滲んでいた。
負けず嫌いが流す涙など、相場が決まっていて、その涙の成分のほとんどが悔しさ。
「私はルシドを取られるかもしれないと思ったから、精一杯強がって、精一杯嘘を吐き続けただけなの。……ごめん」
今度は本当にアサギは言葉を失った。
神妙な面持ちだったのは最初だけで、気が付けばアサギは乾いた笑い声を上げる。
「ほんと。大した女優だよ、メア。私……ずっと騙されてた。ずっと信じてた。――アナタの嘘を」
「私がルシドと付き合い始めたっていう嘘も?」
メアの言葉に再び湧き上がる憎悪をアサギは無駄な感情だったのだとすっかり悟ったので、それを黙殺する。
「そう……ね。それが私がメアを憎み始めたきっかけだったんでしょうね」
「後悔しているわ。牽制にしてはやり過ぎだったって」
メアの放ったボールは牽制球ではなく死球球だった。溝を作るきっかけとしては十二分過ぎるほどの。
その嘘は確かめようのない嘘だった。本人に直接問いただすことも可能だった。しかしもし仮にその話が真実だった場合、紛れもなくアサギは敗北していたのだ。敗北を恐れるあまり、アサギの取った手段は戦わないことだった。
とても単純な話。
戦わなければ勝利もあり得ないが敗北もまたあり得ない。
敗北を認めない代わりに限りなく敗北を喫した気持ちを味わった。
「それに関しては謝るわ。だけど一つ聞いていい?」
「……分かっている。ミセにだって指摘されたんだ。アンタが気にならないはずがないだろうさ」
ほとんど無意味な問答であることは二人が理解していた。だから、これはただの答え合わせ。終わった問題の答えを聞くだけの何の益も無い行い。
メアは一度息を呑んだ。素直に呑み込めるほどその息は軽くは無かった。
息を静かに整え、そして。
「アサギ。――どうして貴女はアレがルシドに見えているの?」
と、尋ねた。
人間嫌いの吸血鬼が人間の言うことなんて聞くはずがない。
有害であり、不愉快な存在。
それが人間嫌いの吸血鬼の抱く人間に対する印象、そして評価。
だからアサギはただ単に洗脳された訳ではないとメアは考えたのだ。
メアは知っている。アサギの誇り高さを。アサギの強さを。アサギの、人間に対する憎悪を。
たとえ洗脳されていたとしてもそれが人間だと分かれば、理屈ではないアサギの中の感情がそれを否定し、それを拒む。全力を持って。
そんなアサギがどうして人間の言うことを聞かなければならないのか。答えは一つの答えに至る。
それはあの洗脳術師が別の何かに見えているのではないかということだ。
「アサギが素直に言うことを聞く相手なんて知れているもの。ルシド以外の言うことなんて聞きやしない。だったら貴女が見えているのはルシド、なんでしょう?」
「…………」
アサギは沈黙で答えた。
言わずもがなと言うことに相違ないだろうが、何よりもそれがアサギの唯一の抵抗だった。
「……分かっている。…………分かっているんだ。ルシドが……あの人がミセを、仲間を冗談でも殺せだなんて言うはずなんか無いってことくらい……分かって……いるんだ……」
アサギが呻くように言う。
苦悩を言葉として形作るように、今にも掻き消えてしまいそうなほど弱々しい声でアサギは言った。
「アサギ……」
それに対してメアは何と答えてやるべきか分からなかった。
きっとアサギだって頭では理解しているはずなのだ。あそこにいる男が自分の想い人ではないことぐらい。
姿かたちどれだけ酷似していたとしても、それが自分の嫌がることを強制するような男であったのならば、そもそもその人に好意を抱く訳がないと。
しかしそれでも頼まれればどうだろうか。
恋敵に想い人を奪われたと思い込んで、その想い人が恋敵などではなく、自分に助けを求めてきたとして、それがどのような頼みであったとしても、どのように歪んでいたとしても、それを懇願され、頼られていると知り、想い人の中の序列が、万が一の可能性として入れ替わることが出来るのかもしれないと考えてしまえば、きっと誰もがそれを実行する。
恋とはそういうことだ。
恋は盲目という言葉の盲目とはそういうことなんだ。
だからメアはアサギを否定出来なかった。
きっと立場が逆であれば同じことをしていたかもしれないから。きっとそういう恋心を利用するような卑劣な洗脳の術に違いない。
「とことんまで女を道具として扱って、女の心を踏みにじりながら利用するような考え方、反吐が出る」




