323 吸血鬼の居所
「あ」
二人組の気配が消え去った後、ミセがその場にへたり込んでしまった。
今の今までミセの身に纏っていた緊張感が消え去り、力が抜けてしまったのだろう。ぺたんと尻餅をついて安堵するように大きな息を吐いた。
胸に手を当てる。
今でもドキンドキンと心臓が高鳴っている。決して好ましい心臓の音などではなく、安堵と恐怖の狭間に追い込まれた音。
「立てるか?」
オールバックの男が手を伸ばしてきた。
特に断る理由も無いのでミセはその手を素直に受け取り立ち上がる。
「あ……ありがとう……」
礼を言うか言うまいか少しだけ迷ったが、結局お礼の言葉を口に出していたミセはそんな自分の言葉に少しだけ驚く。
男の手に触れた時、また心臓が高鳴る。
今度は安堵の高鳴りに傾いて。
(……不思議な感覚。……変なの)
ミセが立ち上がったのを見て男が手を離す。
「あっ」
男の手が離れた瞬間、吐息が漏れた。
(あっ? 何が、あっ? なの……?)
顔が熱くなって両手で頬を押さえてくるっと回って男に背を向けた。
――気付かれてはいないはずだ。何故か緊張して何故か体の体温が熱くなったことは。
「しかし人間の侵入が最近多いな。流石に見よう見まねの結界じゃ限界があるのか、あるいは結界を見破る力に長けた人間がいるのか。ふー、どっちにしろ、何とかしなくちゃなー」
男は小さくため息を吐きながらそう呟く。
どうやらミセの様子には気が付いていない様子だ。
ミセは少しホッとする。
頬の紅潮も少し落ち着いてきたところで、ミセが、
「ほとんど一本道だったでしょ? 侵入を拒みたいのなら道を細かく複雑化するのが常套の方法だと思うけど」
と、言うと男が「ほう」とミセに視線を向けた。意識を向けたとも言うかもしれないが。
「確かに道を複雑化すれば侵入を拒めるかもしれないが、ここに辿り着く吸血鬼の数も減ってしまう。それじゃあ本末転倒と言うか、この街の存在意義が無くなっちまうんだよ」
「存在意義?」
ミセが首を傾げると男がぽつりと呟く。
「人間社会において俺たちは、吸血鬼ってのは異端者だ。傍に置いておくには危うくて恐ろしいんだろう。その理屈も分からなくもないが、俺たちはそんな風に思われていたとしても生きてるんだ。お前がさっき言った通り、俺たちは生きてる。生きているから急に死ねって言われても嫌だって答えるしかないし、だからと言って迫害を受ける謂れもねえ。だったらどうするか? 答えは簡単だ。俺たちの居所を見つけるか作るか。それしかないんだ。だからここに辿り着くことの出来ない吸血鬼を増やすようなやり方には賛同することは出来ないな」
今まで考えたこともなかったかのような意見を傾聴し、呼吸が止まった。
吸血鬼が迫害を受けることにどこかの諦めがあったことを否定はしない。
人は平均を尊び、特出したモノを忌み嫌う。
世の常だ。
吸血鬼は人間にとって異端であり、人間社会には不必要なモノ。だからこそ異物を追い出そうと迫害を繰り返す。たとえそれが結果的に間違っていようが正しかろうが関係なく、だ。
そしてこの男はそれを分かっている。その現実を受け止めた上で、吸血鬼の居所を作ると言ったのだ。言いのけた。
吸血鬼を迫害する人間たちに仇をなすのではなく、居所を作ると。
決してそれは負け犬の遠吠えなどではない。この男は強い。少なくとも人間二人組相手に一歩も譲ることもないどころか、軽くあしらってしまうほどの実力を持ち合わせている。にも関わらず居所を作ることに固執した。
それは。
――ミセにはない発想だった。
ミセは弱いからここへ逃げてきた。弱いから逆らわなかった。弱いから、諦めてきた。
強いくせに、という言葉が脳裏に浮かんできたが、きっとそれは違うのだろう。
“強いくせに”ではなく。
“強いから”という言葉が適当なのだろう。
強いからこそ、誰かを守ろうという発想が思い浮かぶ。
ミセは小さく拳を握る。自分の弱さが本当に嫌になったからだ。
「――……だったら」
一呼吸を置いてミセが提案をした。
「道標を置いたらどう?」
「道標?」
男が興味あり気に聞き返してきた。
「そう。さっきも言ったけど、道を複雑化することは結界の侵入を防ぐための手段としては有効だし、いいと思う。でも、それじゃあここにやってきた吸血鬼が困るのでしょう。だからそれを回避するために道標を置くの。簡単なことよ。道を複雑化した上で決められた順路で通らなければ街に入り込めないようにすればいい。複雑な順路を案内するという道標をね」
「なるほど。要は人員を出してしまえばいいということか」
「簡単に言えば案内人」
何故こんなことを言い出したのか。あるいは言い出してしまったのか。
何となくその答えに合点はいっていた。
憧れ。
シンプルにミセは男の強さに憧れた。惹かれたと言っても決して過言ではないだろう。
だから何となく理由が欲しかったのだ。このまま何の意味も無く通行人Aになるよりかは、何かしらの理由を付けて通行人Aから知り合いAになりたいと思った。
「その案内人の役目、私に任せてみてはくれないかな?」
「何だって?」
男の瞳に怪訝の光が差す。
ミセにどういう意図があったのかどうかを男が判断するには判断材料があまりにも少なすぎた。よっての警戒の眼差し。とても自然な考え。
敵意とまではいかずとも、少しだけ温度の違う眼光に当惑しそうになる。
「……何故だ?」
その問いにミセの心臓がドキッと跳ねた。
「面倒な役割だ。いつ来るかも分からない吸血鬼の案内人なんてものは。それは誰かがやらなくちゃいけないことなんだろうが、この街にやってきたばかりのキミが率先してやるようなことでもないだろうに。仕事が欲しくてそう言ったのか? だったら先に言っておくが、こんな思いつきに一銭も払うようなモノ好きはそうそういねーぞ」
「それ……は」
もっともな言い分にミセは押し黙りかける。
だが理由の提示が必要ならば提示しよう。理由の証明が必要ならば証明しよう。
それが憧れへの第一歩となるのならば。




