320 吸血鬼の居所
ミセと言う少女は孤独だった。
孤独であることに嫌気が差したことは一度たりとも無い。
一人であることに慣れたから。あるいは一人であることの方が楽だったから。
しかしその一方で孤独を恐れたこともある。
だからこそ、ミセはとある噂を聞きつけてこの街にやってきた。
人間に迫害され、行き場を失った吸血鬼たちが街を作ったらしい。
その噂だけを信じ込み、ミセはようやくその街を見つけ出した。
街の名は『ソムニ』。
人間には認識されず、行き来も制限された霧のような街。
街に入ることさえ可能かどうかも分からぬまま訪れた地。
だったが、あっさりと街に侵入することは出来た。
確かにソムニには結界が張ってあるのを確認出来た。しかしその結界も効力としては微弱なモノで、『人間の自分はこの先には入りたくない』と意識をずらすモノだった。
吸血鬼であるミセにとってその結界は何の効力も働かずに、透明なカーテンの切れ目から腕を通すよりも容易く、結界を潜り抜けてソムニの中に入れた。
あっさりとしたものだ。
ミセは怪訝そうにそう思った。
こんな結界、破ろうと思えば簡単に破れてしまう。
噂の信憑性を疑った。
しかし同時に噂の真相を目の当たりにもした。
結果的に噂は真実であったのだ。
「…………!」
初めて見たソムニの街はとても煌びやかだった。
目を瞠り、瞬きを数回繰り返し、そして、もう一度ソムニを見回した。
「綺麗……」
思わず独り言が出た。
第三者から見ればこの街はなんてことのないただの夜の繁華街でしかない。暗闇に輝くネオンの光。客を呼び込むボーイにキャスト。
ただ唯一異質なところを挙げるとすればその全てが吸血鬼であることだけだ。
客もキャストも、その全てが人間ではないこと。
その事実がミセにとって驚愕に値した。
(吸血鬼の街……。本当にあった……)
ここでなら……、とミセは思う。
ミセはここに来るまでに差別扱いを受けていた。よくある話だ。
色素の薄い白い肌を薄気味が悪いと罵られ、血のような真っ赤な瞳が悪魔のようだと不気味がられ、人並みならぬ膂力を化け物だと揶揄され、町ぐるみの人数で迫害された。
別段珍しくも無い話。
初めて言われた時は傷ついたかもしれない。
まずは言葉で責められ、長い月も立たずに言葉が暴力となり、町を追い出される。
でもその繰り返しに、いつの日にか、その迫害方法に慣れた。
当たり前の日常だと。
その当たり前を繰り返し、老いて死んでいく。
ただそれだけを思って生きてきたのに、とある噂を耳にしてしまい夢を見る羽目になってしまう。
吸血鬼だけが住む街があるらしい。
そんな噂を聞き、その噂の信憑性も確かめずに、ミセはその街を目指した。まるでアトランティスを夢見た冒険家のように。
我ながら子供っぽいなと笑ってしまう。
それでも、夢を見てみたい。
迫害も差別も受けることのない生活をしてtみたいというささやかな夢を。
街の中を歩く。
吸血鬼たちの街にやって来ること自体が目的だったので、この街の特定の場所に行くことが目的ではなかったため、どこに行けばいいのか分からなかったミセはとりあえず街の中を歩いてみることにした。
夜行性の吸血鬼が多いためか、この街の様相は一言で言い表すならば夜の街と言う慣用句がしっかりと当てはまるような気がする。
インキュバスのホストクラブ。サキュバスのガールズバーにキャバクラ。インキュバスのオカマバー? なる建物が建ち並ぶ。
それにしてもこれからどうればよいのだろう?
考えなしにも程がある。
人間たちの住む街から追い出され、どこへ行けばよいのだろうと考えて、吸血鬼たちの街の噂を聞いてからほとんど身一つでこの街にまでやってきた。この街にくれば何かが変わるんじゃないかと夢を見て。
改めて考えると頭よりも体が動いたんだなと苦笑さえ浮かぶ。
街の目新しさに顔を見上げながら歩いていたにも関わらずいつのまにか頭を垂れ、俯き加減で歩いていた。
それが悪かった、のかもしれない。
どん、と言う衝撃に尻餅を付いた。
普通に考えれば前を見て歩いていなかった自分が悪いのだが、その相手が自分の想定外の相手だったらなお更だ。
尻餅を付いて顔を上げた瞬間、背筋が凍った。
目の前に見えたのは屈強な体躯の男二人組。
問題は明らかにガラの悪そうな二人組の男にぶつかったことではなく、そのぶつかった相手が正真正銘の人間であったことだ。
そして何よりもその男二人組の奇妙な感覚だ。
ミセは相手の力量を図る能力がある。いくら誤魔化そうとしていたとしても、体の中にある霊力と魔力は誤魔化しようがない。
言葉通り、二人組は誤魔化しているのだ。
自分たちは吸血鬼である、と。
わざわざ偽装を施してまでこの吸血鬼たちの街に人間がいることに恐怖を覚える。
この街にはいる必要のない人間の姿に体が竦む。
ほとんど条件反射のようなモノだ。これまで人間には酷い扱いを受けてきた。だから相手を人間と認識した瞬間、体が竦み怯えたのだ。
「なんだ、このガキは」
「魔力濃度もそれほど高くはない。どうせこの街に逃げ込んできた吸血鬼の内の一人だろう」
男たちはミセを見下ろしながら何かの会話を繰り広げる。
「なら、噂は本当だったんだな。この街にいるのは吸血鬼がほとんどであると」
「そういうことになる」
「じゃあ、つまりは」
「一網打尽と言うことだ」
何を言っているのだろうと本気で思った。
今の会話でこの男たちがこの街に侵入してきたことは明瞭だが、それよりも。
一網打尽?
その言葉の意味合いはまるで、この街の吸血鬼を皆殺しにするかのような殺戮宣言のようではないか。
恐怖の壁に隠れた怒りが姿を現すのを感じた。
逃げてきた地にまで人間がやってきて、わざわざそのような宣言をされる謂れなどあるはずもない。
ミセはキッと男たちを睨みつけた。
人間が相手と言うのならば媚び諂う必要も無い。そして何よりも怒りを押し隠す必要もないと思った。
視線に気が付いた男の内の一人がミセを見て不機嫌に唇を動かす。
「よくないなぁ、お嬢ちゃん。いや、お嬢ちゃんには見えるが実際はどうだかも分からん化け物。そんな目で人間様を見て。弁えろ。この世界は人間が住む世界だ。はみ出し者は生きる資格も権利もありはしないんだ。生きたいなら媚びなきゃなあ」
アンタたちに媚びる必要なんかない!
そう心の底では叫んでいるのに、声は怯えて出ない。
自分でも情けないとも思うが声が出ないモノは出ない。体は恐怖に対してとても正直だ。
「その口は飾りか? まあ、いい。どうせ、この街にいる吸血鬼たちは俺たちが皆殺しにするんだ。喜べよ。寂しくないぜ。今、俺たちに殺されてもすぐにお仲間がやってくるんだからなあ!」
男が右手を握り、殴りかかってきた。
女子供にも容赦のない一撃。
蘇る戦慄。
ミセが恐怖で目を瞑る。
すぐに衝撃があるものだと思っていたが、衝撃はなかった。
パシン、と言う乾いた音が聞こえた。
その直後、
「ぐ、ぐおおおおお」
男の唸り声が鳴り響いた。
何が起こったのか、恐る恐るミセが片目を開く。
「おうおう。子供相手に恥ずかしくないのかお前ら。あー、恥ずかしくないのか。だからそんな恥の上乗せが出来るのか。見習いたいものだね、その厚顔無恥っぷりは」
ミセに殴り掛かってきた男は横腹を抑えながら倒れ込み、その手前に新たなる登場人物が立っていたのが見えた。




