311 あなたはだぁれ?
自分は何者か。
その問いかけに心を揺り動かされた自分がいることに何よりも自分が一番驚いていることに、僕はとても驚いていた。
「何者か、か。そんなことを言われても困る。僕は久遠かなた。自己紹介をし合った訳ではないけれど、それでも僕の正体や名前ぐらいはキミなら知っていると思っていたけど?」
「白々しいことを」
僕の言葉が癇に障ったように桜井は不機嫌そうに謗る。
が、生憎と僕の言葉に嘘偽りも無ければ、強がりも虚勢も無いのだ。
「知っているよ、そんなことはさ。当然ね。月城高校一年B組の一六歳の高校一年生。親は喫茶店『スタブロス』の経営者で家族構成は父、母、息子の三人家族。どこか間違っているか?」
情報収集能力だけは流石だと言わざるを得ない。
自分で言うのも何だが、僕みたいな一介の高校一年生の男の子なんて数えきれないほどいるのに、そこまで調べ上げていたのには単純に感心する。
「よくもまあ、僕のことなんて調べたもんだね」
「誰が好き好んで! 調べたくなんてなかったさ!」
悪意、いや、明確な敵意の篭った一言。
歩み寄ることも歩み寄られることさえも拒絶しているかのような言葉。
「おっと。悪いね。どうもキミ相手だと感情が昂って仕方ない。話が一向に進まない。今すべきことはキミの正体、あるいはキミの本性を探ることなんだからね」
苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべながらそう言う桜井。このままでは埒が明かないことに苛立ちを覚え、譲歩することにしたらしい。
「ま、本性とは言っても別にキミの性格の裏表がどうこうと言うちっぽけな話なんかじゃないさ。別に性格の裏表なんて誰にだってあるだろうし、キミの性格が性悪だろうと別に気にもしない。だから僕が気になっているのは、そのままキミの中に潜む闇だ」
「闇?」
仰々しい言葉が出てきたなと思った瞬間、
「見えないんだよ、お前が」
と、桜井が言葉を紡ぐ。
「見えない……?」
一瞬、何を言っているのかを理解出来なかったが、先の言葉と今の桜井の言葉を繋ぎ合わせてみるとその意味が見えてくる。
「僕の……過去のことを言っているのか?」
「そうだ」
一言で肯定。
過去を見る力があると自分が言っていた。それも自慢げに。僕相手にマウントを取るように。
だからこそ、その言葉がブラフであるとは考えにくい。その力があるからこそ、相手を洗脳出来るのだと言っていたのだ。
そして、それが事実ならば納得もいく。
この桜井智という男がこの結社でナンバーツーだと言われている事実に。
要は戦闘能力自体が大したことがないとしても、ある一点の能力がずば抜けて優秀ならばそれは相応の評価となり得る。
過去を覗く力。
それは謂わば、諜報能力に特化したモノ。
普通、特定の人物を探る場合、その人物の素性を調べるのが得策だ。そして素性を調べることにおいて、最も手っ取り早い方法の一つがその人物の過去を調べること。たとえ過去を隠そうとしていたとしても、過去はすでに起きてしまったモノ。過去は隠すことは出来ても過去にあったことは変えられない。変えようがない。だからその過去を調べることがその人物の素性を知るとっかかりとなり、、ある意味それこそがその人物の弱点ともなり得ることなのだ。
そしてその過去を調べるという本来ならば困難な作業も、この桜井智ならば相手に触れるという簡単な作業だけで済むのだから、一から過去を洗い直すよりも早い。
「分かってる? 過去が見えないということがどれだけの異常事態なのか」
「なんだって?」
「たとえ記憶喪失だったとしても記憶を失うことはあったとしても記憶そのものを忘れてしまうことがあったとしても、過去が失われるはずがない。過去をまるごとぽっかり穴を空けるみたいに、その過去だけが覗けないなんてことは普通、あり得ない。過去喪失なんて言葉聞いたこともないだろう。何故聞いたことが無いのか、そんなことはあり得ないからだ。分かっていないようだから教えてやるけど、お前はおかしい。まるであまり大したこともないような顔をしているようだけど、これは本当に異常な事態だ」
じっと見ている。
桜井が警戒の色を強めた表情で僕のことをじっと見ていた。
過去喪失だなんて造語に踊らされる気などさらさらないが、何となくそのぽっと出たその馬鹿みたいな造語にどこかしっくりと来ている自分がいるのを感じた。
(過去……喪失……)
誰かに指摘されなければ疑問視さえしなかったであろう着眼点に驚きを禁じ得ない。
しかしその可能性を考えると、色々としっくり来る。
自分が忘れていただけかもしれない事実を、仮に記憶を喪失したからではなく、過去そのものを喪失してしまっているからだと仮定すると色々と都合がいいし、何よりも自分の中で納得も行く。
つい数か月前まで吸血鬼のきの字も知らなかったような自分がどうして吸血鬼やヴァンパイアハンターたちとの戦いに付いていけているという事実。相手の能力を視る能力に長けたミセが言った僕が眷属ではなく、僕が生まれつきの吸血鬼であるという事実。
もし、この馬鹿馬鹿しい仮定が全て事実だった場合、とある問題に直面することになる。
(……父さんと母さんには吸血鬼のことはおろか、クドのことだって誤魔化して僕たちの家族にしてもらった訳だけど、どこまで知っているんだろう? もし僕が本当にクドの眷属じゃなくて吸血鬼だったら、僕が生まれつきの吸血鬼だってことを知らないはずがない……。僕は、あの人たちの息子なんだから)




