307 喰い込む鎖
「繋がれて……いない?」
それはおかしな話だと思う。
ここはミセ曰く牢獄。ならばこの部屋の総称はずばり牢屋。牢屋に入れておいて拘束しないと言うのは……。
「はい。この部屋限定ではありますが、事実上自由に動くことが可能です」
気のせいかもしれないというレベルではあったが、ミセの声が若干震えていた。その震えは恐怖や怒りのような相手側にぶつけるべき感情においての震えなどではなくて、口惜しさを表すかのような震えだった。
「ミセ?」
無論、その声の震えが気になったので声をかけてみる。
「……いいえ。何でもありません」
しかし帰ってきた答えはとても淡泊で、どこまでも他人事のような声であった。
ミセにどのような思いがあるのかは分からないが、これはチャンスだと思った。
「じゃあさ、ミセ。何とかこっちに来ることは出来ないかな? 格子をどうにかするのは難しいかもしれない。何せ、吸血鬼を捕らえておくのが主目的のような場所だ、それなりの対策はしているんだろうさ。でも、この牢屋の壁を破壊することは出来ないか? 声が通り合うんだ。そんなに厚い壁じゃないんじゃないかな?」
ミセは魔力による砲撃を行える。実際にその身で受けたのだから、攻撃は可能なはずだ。
だが、帰ってきた言葉は、
「ごめんね」
とてもシンプルな謝罪だった。
いや――何となく予想は付いていた。その身でミセの攻撃を受けたからこそ分かる事実。
「ミセ? この壁を壊せないということ?」
トン、と。壁に何かが当たったような音がした。恐らくミセがその壁に手を当てたか、あるいは壁を背中に預けたかのどちらかだろう。
「こんな薄い壁も、私には壊すことは出来ない」
ミセの絶望するかのような声が近くなった。恐らく先ほどの予想の後者だったのだろう。
「じゃあ……やっぱりあの攻撃って本気だったんだ」
「手加減してあの威力ならまだ笑えたんだけどね」
笑えた、と言う割には語気が弱い。冗談めいて言ってはいるものの、ミセはそのことをすごく気にしている様子だ。
確かに気にしても仕方のない威力だったと思う。
あの砲撃の威力は例えるなら街中で急に背中をどんと押されて少しびっくりする程度にしか感じなかった。つまり攻撃性は皆無。殺傷性も当然ゼロに近い。攻撃性も殺傷性もゼロならそれを攻撃と呼ぶのは流石に抵抗を感じてしまうのだろう。
口惜し気に、そしてどこまでも傍観的に呟く。
探知能力に長けた彼女は自分自身で自分自身の能力を把握している――把握し過ぎているのかもしれないが。
だから出来ないと決めつける。決めつけられる。
口には出さないものの、自分の非力さに相当の劣等感を感じているようだ。
(自分の弱さを分かりきった上で、その弱さを受け入れることも出来ないってな感じかな)
完璧を求め過ぎているのかもしれない。強さの数値を五角形で表した場合、彼女は四つの数値は落第点に近い数値になる。しかし、ある一点だけを見れば彼女の力は飛び抜けて、いやーーずば抜けている。
(なんだかなぁ……)
一呼吸、とりあえず一拍を置いて考えてみた。
考えてみた結果、結論はネガティブな思考に陥っている、だった。そうとしか思えないほど、ミセの心身が疲弊してしまっているのだと感じた。
ネガティブに心を支配されている状況ではどんな慰めも憐みも蔑みも皮肉も、何もかもがネガティブに変換され、何を言っても今は無意味かもしれない。
しかし、やはり選択肢は一つ。
ミセの背中を押してやることだ。
「今この瞬間」
「……?」
壁の向こう側で吐息が漏れたような声がした。急に何を言い出すのかと、勘ぐったのだろう。僕の言葉がちゃんと聞こえているのならば、僕はそのまま言葉を続けることにする。
「今この瞬間だけに限定して考えてみればミセ、キミの力はあまりにも非力かもしれない。牢獄の薄い壁を破壊することも出来ず、自らの怨敵に歯向かい、何も出来ずに捕まってしまった。確かにこの結果だけを見てしまえば、何の成果も得られなかった非力そのものだ」
鋭い尖った事実と言うナイフを自分よりも小さな女の子の喉元に突きつけるかのような罪悪感。しかしその罪悪感を前にしても、僕の言葉は止まらない。
「だけど、ミセ。覚えておくといいよ。非力イコール無力には決してなり得ないよ」
「えっ、それは……どういう……」
ミセが何かを聞き返そうとするよりも先に、ぱちぱち、と乾いた音が僕たち二人の耳に届く。
「まるで慰め合いだな。人間と吸血鬼同士の会話とは到底思えないな。あ、元人間だったか。人間でもなく吸血鬼でもない、どちらからも疎まれるべき存在。ほんと、気持ち悪い男なんだな、キミは」
蔑むような貶めるような、冷たい声と共に僕たちの前に桜井智が現れた。




