305 喰い込む鎖
『お願いだからもう止めて!』
『何を言っている? これは必要な処置であり、我々が成すべきことだ。忘れたのか。我々は人類の味方だ』
『私はもう候補から辞退します。だから、お願い、しますっ、もう、止めて、くだ、さい』
『お前は間違ったんだ。だがそれを私は糾弾しない。確かにお前は拙劣な行いをした。しかし幸か不幸か。我々が一歩先を行く実験体を手に入れることが出来たのだ。候補を辞退することはない。お前ほど優秀な人材を私は知らない。どうせ選ばれるのはお前だ。私ではない。あるいは私の娘だが、娘が育つまでには時間がかかる。そうなった場合、やはり選ばれるのはお前なのだよ。選ばれる者としての責務を果たせ。選ばれなかった者に対する矜持を見せつけろ。それがお前の取るべき義務であり責任だ』
『そんなにいけなかったことなの……? 吸血鬼と人間の間で子供を産むことが、そんなにいけなかったことなの……!』
◇
懐かしい夢を見ていたような気がした。
……まあ、懐かしいと呼ぶにしては少し殺伐としていたような気もするけれど。
過去夢と言うヤツだろうか。しかしノスタルジーに浸るには今の状況は受け入れがたい。
(……繋がれている……)
目が覚め、初めに気が付いた異変は自分が拘束されていることだった。目が覚めたばかりで色調がはっきりとしないが鉄よりも銀のような材質の鎖に自分の体が繋がれていることに気が付く。
ご丁寧なことにどこからか調達してきた銀色の鎖で体も動けないほどぐるぐるに巻かれていた。
きっと手足だけを拘束する鎖だけでは逃げられると判断したのだろうが、それなら最初から腕の鎖を短くすればいいのではないかと、少しだけ呑気に思った。
「さて、と」
余計な考え事はここまでと僕は頭を切り替えることにする。この状況がよくないことだとぐらいはすぐに分かった。
まずは周りに目を向けた。
空気が淀んでいる……ような気がする。陰鬱な空気と呼ぶべきか、正直あまりここには長居したくないと素直に思った。
とにかく臭いが酷い。
常温で放置した生肉が腐ったような臭いがする。所謂腐臭のような臭いだった。腐りかけ、なんて言う生温い表現などではなく、この腐臭は間違いなく腐った臭い。
何が、などと現実逃避をしたいのは山々だが、この臭いの根源はきっと死体だろう。
(この……臭い。……どうしてこの臭いに僕は覚えがあるんだろうか……)
自問自答したくなるような謎だった。
腐臭を目の当たりにして、普通なら迷い込んだネズミが餓死して放置された臭いだと思ってもおかしくはないはずなのに、僕はこの腐臭を嗅いで真っ先にこの臭いの元を死体だと思った。
何の不思議もなく、何の迷いもなく。
それは嗅ぎ慣れた臭いの元をすぐさまに判別出来たよう。
人は五感を刺激されて記憶を取り戻すことがあると、何かのテレビ番組でやっていたのを思い出した。今の状況における五感は恐らく嗅覚だろう。
嗅覚で自分はこの臭いの元が何かをすぐさまに思い出したし、何より昔の光景らしき夢を見た。
自分で自分が嫌になる。
最早、この感覚が錯覚であると思えなくなりつつある。
僕は何かを忘れている。
「はあ……」
深いため息を吐いた。
状況うんぬんよりもそちらの方が気になってしまう。一体僕は何を忘れているんだろうか。
ああ……でもこれはきっと現実逃避なんだろう。この状況をどうにかする方法をまったく思いつかなくて、ありもしない妄想に攻め立てられる。
銀色の鎖で磔にされ、光も差し込んでいないどこか暗い部屋に監禁されている。
知らず知らずの内に現実逃避をしてしまったところで、誰が責められよう。
と、思考がループに陥るよりも先に、
「……久遠かなた?」
微かに少女の小さな声が耳に届いて来た。




