299 勘違い×勘違い+(勘違い)
「男……。そうか。アサギとメアはルシドを取り合ってギスギスしていたのだから、優劣……いや、この場合は勝敗になるのかな。勝ち負けは男を取った取られたになる訳か」
それこそがアサギの感じていた敗北感の正体。ただ強さの優劣を比べただけであれば、それこそアサギが敗北感を感じることなど無い。アサギ本人が負けず嫌いであればあるほどにだ。それは最早当人が気が付こうが気が付くまいが構わない事象に近い。所謂本質だ。負けず嫌いの本質。
「認めたくないって気持ちと現実を受け止める気持ちはきっと拮抗してるんだろう。だからこそ激昂してその気持ちから目を逸らそうとしたんだ」
「…………アサギ」
静かに紡ぐその名前に込められた意味はきっとただ一つだけの想いではないのだろう。だからこそ僕はもう一言足さなければならない。
その想いには足りない言葉がある。その言葉を。
「その現実がアサギって人の勘違いだったとしても――」
現実を打ち砕くような現実を。
「え」
ミセが驚いたように僕の顔を見上げる。
「勘……違い……?」
頷く。頷いてミセの疑問に返す。
「まず大前提としてアサギって人とメアさんがぎこちなくなってしまった理由は同じ男の人、つまりはルシドさんのことだけど。ルシドさんを好きになってしまってお互いがお互いに同じ人を好きになってしまったのだと察したから」
「そうですよ。そのぎくしゃくした関係で不運なことに桜井智に目を付けられて操られて――」
「うん。多分それは偶然。本当に不運な偶然だったんだろうね。それだけが本当に偶然だった」
含みのある言い方が気に入らなかったのか、ミセが不服そうに、あるいは怪訝そうな瞳でこちらを見据え、
「それだけが偶然だと言いましたが。では。それ以外は一体何だと言うんです?」
そう尋ねる。
「不運、アクシデント、色んな言い方はきっとあるよ。でもね、僕はこう思った。“勘違い”って怖いなって――」
ミセに対する返答はこの一言に帰結する。それ以外に言い表せない程までに。
「そう言えば……さっき言ってましたね。勘違いがどうとか。あの……それって一体“何”を勘違いしていて、“誰”がその勘違いをしていると言うんです?」
ここから話すことは決して邪推などではない。
聞いて。見て。知って。話して。
その結果に思ったことだ。
人差し指を一本立てて、
「まず“何”を勘違いしていたかってことだけど。これは明確。ルシドさんを恋敵に取られたんじゃないかって言う勘違い」
「…………」
「言い方を変えればさ、これって、ルシドさんが恋敵のことを好きになったんじゃないかって言う勘違いにもならない?」
「え?」
初めは黙って聞いていたミセが静かに顔を上げた。
「二人はお互いの気持ちを察していた。……いえ、察することでしかお互いの気持ちを確認する方法が無かった。……だから、それも、と言うんですか?」
「うん。しかもこれが厄介なことにね」
続く言葉を言うべきか言わざるべきか、正直迷った。だけど確信があった。男目線での確信。それはきっとメアさんもミセにもアサギって人にも出来ないであろう目線での確信。
「それ、多分“勘違い”だったんじゃないかな」
「それは……どちらの意味ですか?」
何かに気が付いたように、あるいは何かに感付いたように、ミセは僕に問いかける。
だからこそ僕は、
「両方」
と、返す。
「…………っ!」
ミセの乏しい表情筋も流石に戸惑いと動揺を覆い隠せなかったらしく、明らかに驚いた表情を浮かべた。
「両方……ということは、一つはルシドがメアとアサギ、そのどちらかを好きになっていたと二人が勘違いしたこと。そして、ルシドが二人のどちらかに好意を寄せていたという想像自体が二人の勘違い?」
ミセの問いに僕は素直に頷いてみせた。完全なる肯定を示す。その方が分かりやすいし、何より説明がしやすい。
「僕ね、ルシドさんと話をしたんだ。もちろんメアさんともね。だから……うん、だからね。メアさんがルシドさんのことを好きなんじゃないかってのはすぐに分かったよ。彼の前での彼女は奔放で楽しそうに見えたから。歳相応じゃなくて歳不相応に見えた。それって要は甘えてるってことだから。メアさんみたいなタイプが男の人に媚び諂うとは到底思えないから、それってきっと純粋な好意なんだろうなって」
それが彼女がルシドさんに対する好意を抱いているのだと確信した瞬間。
自信があるという訳ではないがある程度間違っていないのだと思う。
しかし、
「そんなメアさんをルシドさんはとても優しい目で見て頭を撫でていた。多分、それも好意なんだろうなって思った。間違いなく好意。好きか嫌いかで単純に言えば好き。だけど僕はその好意の延長線上に恋愛感情は無いような気がしたんだよ」
好意は大まかに分けて二種類が存在すると思っている。
日本語はとても曖昧だ。あるいは情緒的とも言える。だから端的に英語で表現するのが何よりも分かりやすい。
友好か情愛か。
どちらも好ましい感情であることは間違いのない事象なのだが、決定的に違う点はその先に恋愛感情があるか否かだ。
家族を好きになることはあるだろう。しかし劣情は抱かない。親友を好きになることはあるだろう。しかし一線を踏み越えようとは思わない。
僕が感じたモノはそういった類の話。
「どうしてそう思ったんですか?」
ミセは小首を傾げながら当然の疑問をぶつける。
正直その質問が来ることは当然想定していたし、その質問に対する答えも用意している。しかし、その質問の答えをミセに伝えたところでミセが満足出来るような綺麗な回答という訳でもない。
だが答えない訳にはいかないだろうなとも思った。
「少しね、本当に少しなんだけど。ルシドさんの彼女を見る目が僕に似ているような気がしてならなかったんだ」
「………………」
沈黙。
「え?」
そして困惑の混じった声。
いや、混じった、というのは正しくはない。正しくは混ぜ込んだ、混じったと言うよりも主成分の多い声音。
「これが僕の錯覚であればいいなと思わなくもないんだけれども、割と自信もあって。何せ、心当たりがあるってことだから」
「心当たり?」
「絶対的な好意を向けられていると自覚しているのに、その好意に対して明確な答えを出すことに困惑している、っていう心当たりがさ」
言葉にしてみれば、これほど最低な男というのも珍しいと思った。そんな男に心当たりがあると言ったものだから、なお更自分に対して嫌悪感を覚える。
これは卑下ではなく、正当な評価。
少なくとも僕はそう考えている。
「貴方も……?」
そう言うミセの相槌に「まあね」と言う意味合いを込めた頷きと視線を返し、話を続ける。
「だからそういう部分を見て僕はそう思った。結局はこれも僕が察したってことになるから憶測でしかないけど」
あくまで自分の予想――邪推であることを前提に話を続けようとしたが、
「いえ」
僕の言葉を遮るようにミセが否定の言葉を口にした。
「合っていると思いますよ。人を見る目はあるみたいですね」
ありがとう、と返すべきか迷うようなことを言われてしまう。何かを言い返すよりも先にミセが、
「ルシドは……私たちの扱いは等しかったと思います。メアに対しても、アサギに対しても、私に対しても。平等と言えば聞こえはいいですが、要は扱いが同じということですから。誰だって好きな人に対しては態度や扱いが特別になるような気がします。だけど、ルシドにはそれを感じられなかった。……なるほど。そういうことであれば、納得です」
納得という言葉を使い、自分に言い聞かすような瞳で目を伏せるミセ。その様子はまるで後悔しているかのよう。
「……何となく自己嫌悪です」
「自己嫌悪?」
よう、ではなかった。
ミセは明確に後悔していた。
「何が仲間だと思います。ずっと一緒にいたのに二人が険悪になっていく様子を黙って傍観して、問題は時間が解決するだろうと楽観視して、結局問題は解決するどころかトラブルによって肥大化してしまって。……こんなところまで来てしまった」
自分を嘲るように囁く彼女の頭をいつの間にか撫でていた。同情にも憐みにも取られかねない僕の所作にミセは複雑そうにしながらもその手を振り払うことはしなかった。
「後悔するのは後にしよう。……ま、後でするから後悔なんだけど。今、すべきことは後悔なんかじゃなくて、行動だ」
僕の声にハッと顔を上げるミセ。
「行動……」
しかしその小さな囁き声だけは僕の耳に届くことはなかった。