002 ボーイ・ミーツ・ヴァンプ
(ん? …………何の音だ?)
帰宅途中、奇妙な音を聞いた。
聞き慣れない音だった。
音は帰宅途中にある公園の中から聞こえているようだ。
月城町最大の敷地面積を誇る森林公園で、緑の多いその公園は日中は子供やジョギング中の大人などで賑わいを見せる人気スポットである。
よしておけばいいのに、好奇心に負けた僕は音の正体を探ろうとして公園の中を進んでいく。
ただ、今は夜だ。
人通りは日中に比べるとやはり少ない。
……?
おかしい。それにしても人が少なすぎないか?
今さらだが公園の中を進んでいるというのに誰ともすれ違わない。
時計は二〇時を回っていて、日中の人通りと比べれば人通りが少ないのにも納得がいく。だが、それにしてもさっきから人とすれ違った記憶がない。昨今の健康ブームで夜間にジョギングをする人もいると思うのだが、それすらないというのはどういうことだろうか。
……静かだ。ううん、静かすぎる。
ここは帰宅路の途中であり、周りには民家もあるため、閑静な場所とは言い難い。しかし、今の公園はまるで月城町から切り離されたような、そんな空間に思えるほどの静寂に包まれていた。
音は相変わらず続いている。
と、しばらく歩いていると広場に続く道の途中、声を聞いた。
「ようやくここまで来ました」
聞こえてきたのは女の声だ。
気のせいか、その声はどこか聞き覚えのある声のような気がした。
心地がいい、とでも言うべきか。聞いていて心が安らぐような、安心するみたいに透き通った美声。
どうやら誰かと何かを話をしているらしい。
「なぜ、本気を出さないのですか。人間に対する同情ですか」
「…………」
もう一人の声。これもまた女――というよりは少女の声だろうか。先に聞こえてきた方の声よりもわずかながら幼く聞こえる。
「だんまりですか。まあ、いいです。同情だろうが何だろうが。それでも我々の宿命に対する決着の時であることに変わりありませんから」
「宿命……」
「私たちは一般的に言えば不幸であると思います。なぜなら望まぬ、望んですらいない宿命に勝手に躍らせ続けられているのですから。そうは思いませんか、クドラク」
「クルースニク……」
……一体何の話をしてるのだろう。
断片的に聞こえてくるキーワードがどうにも現実感を薄れさせている要因な気がする。
宿命だの。決着だの。クドラクだの。クルースニクだの。
まるで聞き覚えの無い言葉ばかりだ。
もっと声を聞きたくなって、僕は声のする広場の方へと静かに進む。
「う、お……っ!」
思わず声を漏らしてしまったが、慌てて口を塞ぐ。
木々の間から広場の様子が見れたのだが、一言で言って壮絶な光景だった。
広場の中央には二人の女の子が対峙していた。
対峙と表現した理由は簡単で。
広場の中央には背丈の小さな女の子一人と、刀を抜いた制服姿の女の子の姿があったからだ。
長さは七〇センチ前後。いわゆる太刀と呼ばれているものだと思う。映画やドラマなどでしか見たことがない“本物”がそこにはあった。
ド、ドラマの撮影……?
にしては本物が“過ぎる”のではないだろうか? テレビカメラなんかも見えないし、テレビクルーの姿も見えない。
顔はよく見えない。公園の広場には外灯が少なく暗がりになっていて、ここから窺がい見ることは難しい。
だが、その刀から放たれたギラギラとした殺気は身が凍り付きそうなほど、本物であった。
だからこそ対峙していると思ったのだ。
もう一人の体躯の小さな女の子は刀を持っている女の子と違い、何も得物を持っていない。
しかしそれでいて、目の前の刀を持った女の子を前にしていても威風堂々と臆することなく立っていた。まるでそれが日常の一コマのように。当たり前に。
……っ。
思わず息を呑んだ。
ごくりと唾を呑み込むかすかな音でさえ酷い雑音に聞こえる。
と。
呑気に事を影で傍観していると、不意に刀を持った女の子が柄に乗せていた手に力を入れた。
……っ。
ただ僕は見ているだけなのに喉の奥がジリジリと焼けつくみたいに妙な緊張感が全身を駆け巡る。
――殺気。
おそらく言葉にするとそういう言葉を用いるのであろうものが、僕を襲った。
刀を持った女の子が刀を持ち替えた瞬間、女の子は脇目も振らずに疾駆する。
「……ッ!」
流れるようにしなやかに、クルースニクと呼ばれた女の子は小さなクドラクと呼ばれた女の子に向けて腹から肩口に向けて刀を突き上げ、小さな女の子の右肩を掠める。
だが小さな女の子はそれでも動じず、体勢を低くしてから、逆袈裟斬りを放った女の子の僅かな隙を狙ってから、まるで黒獣のように飛び込む。
「ハッ!」
「くっ!」
ガキンッ――――!
クルースニクと呼ばれた女の子が流れるような逆袈裟斬りからの袈裟斬りを放つとクドラクと呼ばれた女の子の手――獣のような爪の攻撃を受け止め、その時に激しい火花が散る。
――剣戟。
凄まじい剣戟の応酬。
刀を持った女の子の攻撃は攻防一体になっていて、攻撃と回避行動を同時に行っていた。虚空を引き裂くような攻撃は小さな女の子の攻撃をかわすための布石となっている。小さな女の子の攻撃をかわした際に振り放った刀は小さな女の子の頭を捉えていたが、それを難なくかわすとどうしても一瞬の隙が出てしまう。その隙を逃すまいと刀を持った女の子は、腰を落として背後に回る。そして間髪入れずに再び刀で小さな女の子を切り払う。
一方、小さな女の子の攻撃は一目見て、超攻撃型のようにも見える。小さな体躯を生かし、常に体勢を低く保っている。それは相手の攻撃をかわしやすくするためでもあるが、回避行動をとった際の隙を小さくするのが目的のようだ。凶刃を寸前でかわし続け、相手の隙が大きい時を狙いすかさず懐に飛び込む。
しかし、アレは残像なのだろうか。
少女が飛び込んで爪を伸ばしたその後すぐに、まるで大気が凍り付いたかのような青い亀裂が走る。まるで大気に真っ青な爪痕が残るみたいに。
まただ。
青い爪痕は少女が爪を振るうたびに刀の女の子を襲う。
しかしそれでいて刀の女の子は一切動じない。まるで興味がないかのように。
飛び込んできた女の子の攻撃を上体を逸らしてかわし、軸足を旋回させてからの横一閃。
体幹を狙った攻撃は確実に小さな女の子の芯を捉えたと思った。
が、小さな女の子の体に凶刃が突き刺さる瞬間、小さな女の子は跳躍し、刀を軸にまるでベリーロールのようにわずかな隙間だけを開けて回転しながら飛び、スピードを落とすことなくやはりこの攻撃もかわす。そしてそのまま飛びしさる。
双方ともに構えを解くことなく相対する。
そんな二人に対し、僕は心臓の音を抑え込むでやっとだった。
音の正体。
それは――二人の試合――いや、死合で奏でられた剣戟。
まるで現実感の無い、しかし現実に起こっている事象が引き起こしている、戦いの音。