298 勘違い×勘違い+(勘違い)
「タイミングが悪すぎる……」
零れ落ちた本音。その本音を拾い上げるようにミセが、
「タイミング?」
と、小首を傾げた。
「何の話ですか?」
(まあ、当然の反応だよな。急にこんなことを言えばさ)
驚きは少ない。その返答を見越しての本音なのだから。
「運が悪かったとも言うね。ただひたすらに」
「ひたすらに……運が……悪い……?」
ミセは僕の言葉に逡巡するように頭を捻り、そして、
「いえ。あの……私は、あまりそういう事情に詳しい訳ではありませんが、それって運なんでしょうか?」
言葉を濁してはいるが、要はミセが言いたいことはこうだ。
――男の取り合いに運って必要ですか?
それに対しての僕の返答はこう言うしかない。
「恋愛運って言う言葉が存在する以上、恋愛に多少の運は必要なんだろうけど、それって要は出逢いの運だよね。出逢い運。いい人に巡り合えるかどうかの問題。悪い男、女の人に出逢ってしまうかどうかの話。だからメアさんとアサギって人に関してだけに限定すると――まったくもって必要ないね。だってもう出逢っているんだから」
僕の言葉にミセはますます疑問符を浮かべる。
「だったら運が悪いって言うあなたの言葉は間違い?」
その疑問に対する正しい返答になるかどうかは分からない。だけど、僕は答える。
「いや。言っただろ。タイミングが悪いって」
「タイミング」
「そ。タイミングの問題。その間の悪さが僕の言う運が悪いってこと」
「間の……悪さ……?」
ミセはよく分かっていないように首を傾げる。そういう経験があまりないことも由来しているのかもしれないど、きっとそこは“男”目線か“女”目線かの違い。
「ミセはさ、こう思ったんだろ? メアさんがルシドさんのことを好きで、アサギって人もルシドさんに惚れてて、二人が一人の男を取り合って、ぎくしゃくしたって」
「……? そうじゃないんですか?」
その考え方自体はそう間違ったモノでもないと思う。長い間近くにいたミセがそう思うのだ。きっとそうなんだろう。
だけど僕には気になることが一つあって。そのたった一つの気になることが僕に邪推を抱かせる。
「でもお互いにそのことを確認し合った訳じゃないんだよね」
「ええ、まあ。だけど……それが?」
肯定の返事。
何度も同じことを聞かれることに語気が若干曇るように。
だけど。
「だから」
やっぱりその答えはあらゆる意味で決定的だった。
「だからなんだよ、ミセ。あの二人は決定的な勘違いをしているんだ」
「決定的な……勘違い?」
お互いに確かめ合わなかったことによる弊害とも言える勘違い。一度、たったの一度でも確かめようと歩み寄っていればこんな勘違いは生まれようがなかったであろう些細なすれ違い。その二人の間に洗脳されるというスパイスが加わって、より問題が複雑化して、ややこしくなってしまった。
ああ、なんて不運なんだろう。
「三角関係の終幕って何だか分かるかい?」
「んー、それはまあ、男が女二人に背中から刺される?」
「おっと。ドロドロな方を選んじゃったかー。まあ、それも一つの終幕だね。だけど、割とノーマルな答えは、男が一人の女の人を選んで付き合うってパターンじゃない?」
ミセは「あっ」と当たり前の答えに納得しつつ、
「え? え、えっと……ちょっと待ってくださいよ? 貴方の言わんとしがたいことって……えっとー、その、つまり?」
頭の中に浮かんでくる“邪推”に困惑しながらも、その答えがあながち間違いではないのではないかと戸惑いながら、それでも答えを聞く。
「メアもアサギもお互いに思った訳ですか? 自分じゃない相手をルシドが好きになったものだと?」
邪推の答えに辿り着く。
「アサギって人と対面した時、僕は思った。メアさんに対する憎しみが尋常じゃないって」
「それは……」
ミセは否定しなかった。否定しうる材料を持ち合わせていないか、もしくは心のどこかに僕の言葉が引っかかったのか。その後の言葉に詰まってしまう。
「まあ……恋敵なら、それなりに。それなりに憎しむことはあるんだろうなって思うよ。それだけ恋に本気ならなお更。けどね、“アレ”はちょっと異常だった」
「“アレ”?」
思い返すのはあの変貌。
――“…………まったく、本当によく似てる。――――――アサギって人とメアさんってば”
不意に漏らした言葉。不意に漏れた愚痴。
他意はなかった。本当にそう思ってその言葉が漏れて、その言葉にアサギと言う人は言葉通り豹変した。
端的に言えばブチ切れた。
あれはもうブチ切れたと表現せざるを得ないレベルで差し支えないだろう。あの言葉の中に切れる、逆鱗に触れる可能性のあるワードはただ一つ。
――アサギとメアさんが似ているということ。
似ているということに異常なまでに怒りを覚えた。確かにあの二人は似ている。考え方が。在り方が。負けず嫌いで人間嫌いなところが。
しかしそれを指摘されたからと言って、あそこまで激昂するだろうか。
激昂するにはそれに値する理由が必要だ。殺意を剥き出しにして吐き出すどころか吐き散らかしてしまうほどの激昂っぷりには、それ相応の理由が。
「似ていると言ったらアサギって人は激昂した。本当に怖かったよ。本当に切れてる人って本当に怖いんだって思った。でね、怖いってことはそれだけ気持ち……と言うよりは感情かな? 怒りの感情が本気なんだって思う。で、どうしてそこまで怒るんだろうって考えて、ある一つの考えを思いついた」
「考え?」
ミセの問いに僕は小さく頷き返し、
「アサギって人はメアさんと比べられることに怒った訳じゃない。アサギって人はメアさんと同じだと言われたことに怒ったんじゃないかって」
と、言った。
ミセが小さく小首を傾げ、
「それは言葉の音としては違うように聞こえますが、言葉の本質は同じなのでは? “同じ”だと言われて怒ったのであれば、それは“比べられて”怒ったことと同じ」
と、返す。
「少し違う」
「え」
戸惑うミセに僕はこう続ける。
「それはね、比べられたから怒ったっていうこと。僕が思うに彼女は比べられて、自分が彼女と本質的に似ていることを自覚させられて怒ったんじゃないかって」
「自覚……?」
「うん。あの二人の関係は……何と言うか危ういよね。ただの同僚、仲間というだけなら似てる似ていないなんていう話は笑い話の種で済むようなモノだけど、あの二人の場合適切な表現はこうなる。“恋敵”、いわゆる恋のライバル。一人の男の人を取り合って牽制し合っていたような仲。それこそ関係が破綻するかどうかの瀬戸際ぐらいの」
ミセが否定しきれないような表情で一度、俯いて、
「まあ。そうですね。それで」
僕に続きを促す。
「同じってことはさ、対等な立場であるべきじゃない? 立ち位置的には上か下か。はっきりと言えば優劣。その差が生まれるべきじゃない。その差が生まれればこの場合、同じって表現は間違っていることになるから」
ミセは小難しそうに顎に指を宛がいながら、
「同じなら優劣が存在しない……?」
「うん。でもアサギって人は怒った。僕の言葉に。メアさんと似ているとつい口走っただけの言葉に激昂した。言うなれば戯言だ。名も知らないような相手が何を言おうが普通なら聞き流すし、相手にもしない。だけど場合によりけりなんだろう。この場合の場合はつまり図星だったってこと。言われて自覚したんだ。自分とメアさんが似ているってことを。そして似ていることに対しての“敗北感”を痛感して、言葉は悪いけど八つ当たり気味にキレたんだよ。多分」
「敗北感……? それは……ひょっとして?」
ミセも何かに気が付く。
「つまりこういうこと? アサギが激昂した理由は敗北感を自覚したからだと言うのね。比べられて怒りを覚えたのだとか、そういうのはこの際、どうでもよくて。一番の理由はずばり敗北感」
「至極当然の反応だと思うよ。誰だって負けたら悔しがる。ま、中には負けても平気だと思うような人もいるかもしれないけど、それでもあの負けず嫌いのメアさんに似ていると感じたあの人が負けて『はいそうですか』って素直に引くとは到底思えない」
自分を棚上げにする。僕はきっとそっち側だ。負けて悔しいと思ったことはたぶんない。
だからといって自分が勝ち続けてきた人生を歩んできたのかと言われればそうではないのだろう。徒競走にしろ勉学にしろ、何かしらの勝負の機会は散々あった。その中でも僕はきっと負けて悔しい想いを痛感してきたことは一度たりともなかったような気がする。
「でも……待って。この場合の敗北感って何になるの? 吸血鬼としての腕前?」
余分な考えが頭を過ぎた頃、ミセがそんな疑問を口にした。ちょうどいいと僕は余分な考えを振り払うように、
「それじゃあ白黒は付けにくいと思うよ。実際に戦い合っている訳じゃなかったんだから」
「じゃあ一体?」
もっと明確に、そして残酷に、勝敗の行方を示すモノ。それは、
「ルシドさんだよ」
と、告げる。




