289 小さな勇気、大きな手
「本当にやるの?」
「……やる。やらなきゃ――駄目」
「……分かった。けど、無茶しないで。最悪、僕のことを差し出せばいい」
「どっちにしても貴方の立場は危険なモノだけどね」
「それはここに来た時点で覚悟してるよ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。まあ、虎程度で済めばいいけど」
「くす。なにそれ」
ちょっとした軽口で少しだけこの場が和んだような気がした。それは僅かばかりの緩みだが、張り詰めっぱなしだった緊張の糸が少しでもほぐれたのであれば、それは幸い。
色々と話し合った。いわゆる作戦会議。
時間にすれば五分も満たないような時間だったけれど、それでも有意義だったんだと思う。何もしないよりはずっといい。
◇
「このまま捕まっちゃいましょうか?」
僕はミセに押し倒されたまま、そんなことを言われた。
「はい?」
思わず聞き返した。もしかしたら担がれたんじゃないかと思ったぐらい意表を突かれたから。
「えっと……それは何? 勝利宣言? 役者は自分の方が上だったみたいな?」
「くす。別にそうしてもいいけど?」
そう言ってミセは三日月のように口角を上げて、妖艶に、しかし悪戯っ子ぽい笑みを浮かべる。
あ、悪い顔。
ミセと接している内に何度か見かけたその悪い顔を見て、それがただの冗談だと分かる。
僕を散々からかって満足したのかミセの表情が元の無表情ちっくな端正なモノへと戻っていく。
「いい? 何度でも言うけどレディは危険よ。私だったら出くわした時点で逃げる。逃げの一手。レディ相手に関しては逃げ一択。逃げるが勝ち」
このことにだけミセはひどく臆病になる。実際怯えている。彼女がレディという言葉を口にするだけでミセの体はガチガチに固まってしまっている。僕をからかっておどけてみせたのも自分の緊張を隠すための儀式めいていたと今にしてみればそう思う。
だから僕はそこにあえて言及はしない。
彼女だって仲間を助けたいと言う想いは本物のはずなのだから。
「……それで?」
「え……」
ふにっと彼女の頬を軽く抓った。
「……緊張し過ぎ。……僕がいる。キミを助ける“仲間”が」
「……! 別に緊張なんかしてない。調子乗るな」
そう言っているミセの口元が笑っていた。少しは効果があったらしい。
「それで? それからは? 僕をレディに献上して皆を解放してもらう?」
「いえ。それは……多分無理、というか無駄。私たち吸血鬼部隊にレディは関わっていないはず。もちろん存在は認知しているでしょうけど、関与はしていないと思う。……まあ、勘だけど」
勘……か。
でもミセの言う“勘”は何となく当たりそうな気がする。
「じゃあ僕を捕まえてどうする?」
「…………………………」
問いかけにミセは押し黙った。
その沈黙は何かを隠すというよりかは何かを言い淀むようなニュアンスの混じった沈黙。
しかし観念してミセが沈黙を静かに破る。
「私……色々とこの組織で探っていたの。アサギたちをどう助ければいいのか。外部に助けを求める方法は何か、内部に誰か協力者を作れないのかとか、まー色々」
色々、ね。
本当に彼女は色々な手を尽くしたんだろう。それこそ色々という一言に集約出来ないほどの手を。
「その時にね、桜井智のある癖を見つけた」
「癖?」
ミセはふっと笑いながら、
「もちろん悪癖。自分を侮る相手をいたぶって殺すの」
キーワードが何やら穏やかではない。だけどそこにもう一々驚いている場合ではない。
「いたぶる?」
「そ。弱い者いじめというか……ほとんど死体蹴りかも。前に言ったけど桜井智は確かに弱い。けれどその弱い男をこの結社の頂点、レディが守っているの」
「あ、もしかして」
イメージがふっと湧いた。
これまでに色々と話を聞いてきて、何となくそのイメージが想像出来た。
「じゃあ……こういうこと? 桜井智は正直に言えば弱い。それを察した結社の誰かがレディには敵わないにしろ、自分よりも弱いであると認識して桜井智を殺そうとして、その桜井智をレディが守っているからそのレディに殺され……いや、殺されかけるのかな。ミセの話だと。半殺しか何か、とにかく瀕死にまで追い込まれた上で、桜井智はその相手を散々いたぶって、そして――殺す、みたいな」
物事には順序がある。そうやって桜井智はミセの言ういたぶって殺す“悪癖”を行っていたのだろう。
ミセは小さく僕の考察に頷いた後、
「だからこそ正面衝突は避けるべき。意味分かるでしょ?」
「正面切って乗り込めば桜井智は助けを求める。そしてレディはその助けに“絶対”応える……ってこと?」
「だから取るべき対策は一つしかない。闇討ち、桜井智を奇襲ののちに始末。これが一番手っ取り早くて一番確実な方法」
それがミセの考え出した答えと言う訳か。
理には適ってる。
正面衝突を避け、術者を倒して術を解く。
すごく分かりやすくてとてもシンプルだ。
「闇討ち……、闇討ち?」
頭の上に疑問符が浮かぶ。
「あれ? それって前に僕が言った作戦と一緒? それじゃ意味ないんじゃないの。結局レディが来ちゃう」
ミセがここまでの二の足を踏む原因がそこにあるはず。
「もちろん――」
そんな僕の顔を見てミセは不敵な笑みを浮かべつつ、
「――ただの闇討ち、奇襲ならね」
と、僅かばかり勝ち誇りながらそう言った。
だけどその顔がすぐに曇る。
簡単な慣用句で言い表すならばつが悪い、そんな感じ。
「……あまりね、この作戦はしたくないってのが本音。でも……」
ミセが言いにくそうにしている言葉を僕が代弁してやる。女の子が言いにくそうにしている言葉を男の子が口にするって言うのも男の子の義務だと思う。ま、強がりとも言うかもだけど。
「普通じゃダメなんだろ? 多分。普通の闇討ちや奇襲じゃ意味がないんだ。背後からの闇討ちも闇に乗じた奇襲も。一撃で確実に始末出来なきゃ何の意味もない。少しでも桜井智の身に危機が迫っているんだとレディに感付かれたら、きっとレディは桜井智を助けるんだろう。そうなったら全てが終わり」
普通はダメ。ある意味正攻法はダメという意味にもなる。
闇討ちの正攻法が相手の見えない状態からの奇襲。
そうした場合の普通ではない方法、“奇策”――。
(あ)
分かっちゃったかもしれない。
ミセの考え出した普通ではない方法、“奇策”、その手段。
「なるほど」
一度目を瞑り、そして、
「――優しいんだ」
「な!?」
今まで散々からかわれてきたお返しも兼ねてからかい返してやった。
ミセは顔を真っ赤にしてキッとした目でこちらを睨む。
割合的には恥ずかしさ半分、戸惑い半分。
そんな感じの瞳で。
「頭の回転が早いのも考え物ね。……そうよ。きっと貴方の考えたことを私はずっと考えてた。もうそれしかないって。けどね、けど……!」
ミセが弱気と優しさを同時に見せた。
そうだ。この作戦は割り切れば簡単なんだ。作戦実行が第一である軍人なんかだったらこの作戦を実行することに迷いなど出るはずもない。だけど、この作戦を考えたミセという少女はその作戦を割り切って実行に移すことが出来るほどの非情さを持ち合わせてはいない。ただの女の子に過ぎなかったのだ。
だから、そう。だから――
「大丈夫」
彼女の頭をそっと撫でる。
あの子にするように、僕の大切なモノを撫でるように。
「やろう。――ミセ」
「……かなた」
ミセの瞳に闘志が宿る。
小さな炎。だけどその炎は誰よりも熱く誰よりも暖かい。
「……そうですね。貴方がやると言っているのに、私が怖がっていてどうするんですってなもんです。やってやりましょう」
もうその炎の勢いを止めることなど出来るはずがない。
「味わわせてやります。私の仲間を奪い、奴隷や小間使いのように扱った報いを。――必ず」
そう、誰も――。