273 吸血鬼部隊
顔を上げれば、引きかけていた緊張感がどっと湧き出す。
見えたシルエットは二つ。
一つは背丈の高い女性。
一つは小柄な少女。
見たことのある姿。
「……吸血鬼……!」
確か、大きい方の女がアサギで小さい方がミセ。
「……ち」
隣で小さな舌打ちの音。
「どうして人間が、って思ったけれど……はっきりと言って期待外れ。侵入者って人間? 人間同士だから同情でもしちゃった?」
「…………」
蔑むような瞳で見下ろしながらアサギは言う。
それに対してクルースニクは何も言わない。言わずに目を伏せ、
「……申し訳、ありません……」
(謝った……?)
クルースニクが謝ったと言うこと自体にも驚いたのだが、何よりも驚いたのはクルースニクが吸血鬼に対して下手に出たということだ。
「一人?」
「はい」
「なお更」
おかしな問答だった。
人数を聞いたのはずばり“侵入者の数”のことだろう。ではその“数”の答えが一人と言うのはおかしくはないだろうか。
だってそれは誤りなのだから。
ちゃんと見ていたはずだ。僕の他に二人いることを。
(どうして言わない……?)
「まあいいわ。初めから“人間”なんかに期待しちゃいないし」
“人間”。ああ、これって……。
人嫌いの吸血鬼。
もう何度目だ。最早人間嫌いの吸血鬼と言う言葉に驚きさえしない。目の前に見えなくても空気が存在するような当たり前さ。
しかし。
上下関係は見え隠れするものの、彼女たちとクルースニク――梨紅ちゃんは仲間ではないのか?
(……ん?)
こちらを見下し、人間と言う種族を心の底から蔑むようなアサギに対し、小柄な少女、ミセという名だったか。そのミセという女の子が奇妙な反応を示した。
あれは……何というか。
ぴくりと反応し、その後に何事もなかったかのように目を伏せる。
それはまるで隠し事。
そう、何かを隠す時のような仕草。
「アサギ」
「分かってる。ミセ、一応確認。他に反応は?」
「ないよ。――――あの人だけみたい」
「そ」
と、彼女は何かを確認し、再びこちらを見下ろし、
「じゃあ問題はそれだけね。じゃあ。とっとと」
姿を消し、
「――――――!!」
眼前へと現れ出でる。
「――――――殺すわ」
空間を引き裂くかのような風切り音。
爪を伸ばし、赤い残像の軌跡が確認出来た。
「シャ――!」
上体を出来る限り反らし、その襲撃を何とか躱す。
一撃目は何とか躱した。
しかし攻撃は終わらない。
「ふん」
二撃目。
「ふん」
三撃目。
四撃五撃――。
目にも止まらぬ爪攻撃を幾度となく繰り返す。
どの攻撃も一撃でも受ければ致命傷と呼べるものに成り得るのだと本能が察する。だから爪の攻撃だけは躱さなければと、
「ぐ――――!!」
意識が上半身ばかりにいっていたのが仇となり、腹に見事な中段蹴りを浴びせられる。
「はい、隙だらけ♪」
片膝を付きそうになるが、
「こんの!」
気合で何とか阻止。
ここで膝を付ければ待っているのはただの絶命。
体勢が崩れそうになる勢いのまま僕はそのまま転がってアサギとの距離を離す。距離にしてみれば一、二メートルほどの僅かな距離ではあるが相手の有効範囲外であることに変わりはない。
辛うじて一命を取り留めたが、アサギという人はかなりの実力者だ。
(三対一……。結構マズイかも……)
街の喧嘩ならほぼ負け確。
金品を要求するならばとっとと財布を出すが吉……そんな状況の悪さだ。
しかも相手はただのごろつきではないのだ。吸血鬼にクルースニク。もう一人は実力の判断は未だ不明だが、見た感じアサギが信頼を寄せているような雰囲気だったので、実力は不明だが恐らくは折り紙付きであることに間違いないだろう。
すこぶる状況が悪い。悪過ぎる。
ああ……駄目だ。状況の悪さに考え方がネガティブになってきている。
気持ちは連鎖するって言う。
悪いことを考えれば悪い方向へと向かうし、良いことを考えれば今の状況も少しは良い方向になるかもしれない。
だからポジティブに考えよう。
分かってる。その考え方自体が現実逃避であることぐらいは。
でも……こんなのそういう風に話を持って行かないと、正直やってられない。
でも……ポジティブかー。
現状、頭の中に浮かぶポジティブな考えって、せいぜいが……。
(この状況より最悪なことってないよなー)
……ぐらい。
あれ? やっぱりネガティブ?
と。
気持ちは連鎖する。
もう一度その言葉が頭を過ぎった。
ざ。
と、音がした。
気のせい、と言う訳でもない。何故ならその音が一つや二つ程度のモノだったら異音は気のせいで片付くほどの些事ともなろう。しかしその音が一〇、否。数十とも重ねれば気のせいだと思い込むことさえ出来ない。
「うーわ。最高」
ネガティブなトーンでポジティブなことを言ってみたりする。
元々状況は悪かった。
多勢に無勢。
いや、それ以前にクルースニクだという化け物染みた傑物を相手にしなければならないところに人間嫌いな吸血鬼二人。
だからこれ以上の最悪な状況などそうそうあるはずがないと思ったのだ。
見上げる。
冗談だろう? と、苦虫を噛み潰すかのような表情を浮かべながら、今目の前にある現実を直視。
現実はいつだって非情だ。非情で無情で、理想を簡単に粉々に打ち砕いていく。
ざ。
謎の異音は足音。
そしてその足音は幾重にも音を奏で、まるで交響曲のように。
今、目の前に映る光景は異様な数の交響曲を演奏する演者の姿。




