026 クドラクとクルースニクと許嫁と
僕はあれから。
ずっと走っていた。
そのおかげもあり、思っていたよりも早く学校が見えた。
吸血鬼になったおかげで足が早くなっただけではなく、普段なら障害物になる家やビルなどを飛び越えることが出来たので、ずいぶんと早く学校が見えたのだ。
なんとラッキー。
その後ろを吸血鬼のクドラクがふよふよと飛びながら追いかける。
「どうして急ぐの?」
もう何度説明したか分からない。
「学校。学校に遅刻しそうだから急いでるの!」
「……学校ってなに?」
「なにって言われても……。勉強する、ところ?」
「勉強? それって楽しいの?」
声の調子が下がってしまう。
学校が勉強をするところだという説明は間違っていない。だが、なんとなくそれだけの場所じゃないような気もした。
学校を一言で説明するのって意外と難しいな……。
「うん? 結構面倒だよ。土曜と日曜を除いてほぼ毎日行かなきゃいけないから」
「じゃあ、行かなきゃいいのに」
僕はクドの素直すぎる言葉に笑ってから、
「はは。まあ、勉強だけの場所じゃなかったりするからねー。色んな人がいて結構面白いよ。友達とか先生とか。あ、先生ってのは僕たちに色々教えてくれる人のことなんだけど、クドは先生って言葉も知らない?」
「うん」
「そっか。じゃあ、覚えておくといいよ。先生ってのは子供の僕たちにとっては手本みたいな人たちばかりだから」
と、クドと話しながら屋根の上から跳躍。
地面に降り立つと、時計を見た。
時刻、八時四五分――。
「うわ、やば」
ちょっとゆっくりし過ぎた。
気合を入れないとマジで間に合わない。
「うおおおおおおおおおおお!」
叫ぶ。
叫ぶことにどれだけの効果があるのかは分からないがとりあえず叫んだ。
「うおおおおおおおおおおおお! まだ、間に合う! 間に合うぞおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
と、ちょうど僕が訳も分からない根性論で全力疾走をしていたちょうどその時。
「よしよし、いいところで。いいタイミングで遅刻して来やがったな、おら、久遠!」
校門の近くの女性がこちらへ助走して来て、
「おっらぁ!」
走っている僕の喉元に渾身のラリアットをかました。
「ぐべぇ!」
ごろごろ転がる僕。『走っている力』×『助走した力』が加わりその威力は百万パワーを超えていた。
「カナタ!」
クドが焦ったような声を出す。
「敵か!」
何度か後転を繰り返して、街路樹の茂みにぐしゃあとぶつかってようやく止まる。
驚いて目を丸くして茂みの中から頭を出す。
僕が訳が分からないという感じの表情で喉の有無を確認するように手で喉を押さえながら、涙目でその女性を見上げた。
「にゃ、八神しぇんしぇい……?」
口が上手く回らず、八神と上手く話せない。
そして一方、八神と呼ばれた女性は僕の襟元を掴んで軽々と持ち上げ、
「久遠よ~、答えろ。てめぇ……一時間目の授業の内容をよ、ええ?」
ギリギリと睨みつける。
「な、なんなんすかぁ……なんすか……」
めちゃんこ怖い。
「おら!」
「締まる締まる……ギブギブ! こ、国語……国語っす! うす!」
「正解だ。一年B組のクラス担任であるこのオレが担当する国語だわな」
「うっす!」
すっかりへたれた僕は八神先生の舎弟みたいな口調で首を絞められながら答えた。
えっ? 遅刻ってそんなに悪いことなの……?
「オレのクラスであるてめぇが堂々遅刻とは……死は覚悟出来てんだろうなぁ……あぁ!」
「ひっ、ごめんなさいごめんなさいーっ!」
竦み上がっている僕に対し、八神先生は口元をにやりと歪めて、
「が、心優しいオレはお前にチャンスをやろうと思うが、どうだ?」
「や、優しい……?」
「…………」
「優しいっす! もうほとんど女神様みたいな優しさっす! ミューズっす! だから……怖いんすよぉ……」
無言で睨まれた僕はすっかりへたれた。
「おう、そうだよな」
そのままぐいっと八神先生は肩に手を回し、ひっそりと話す。
「お前、ちょっくらタバコ買って来い。あ、コンビニはダメだ。近くにタバコ屋があってな、そこは年齢認証の機械を置いてないから、そこで買って来い」
「え? でも僕未成年……。ってか、売ってくれませんよ多分」
「馬鹿野郎! 何事も挑戦だろうが。何もてめぇが吸えってんじゃない。買ってくるだけでいいんだ……な」
「いや……な、って」
僕の言葉に苛ついた八神先生は肩に回した手を動かして、渋る僕にコブラツイストをかける。
「あだだだだだだ!!」
「いいから! 買って来い! こちとらヤニが切れてイライラしてんだおっらぁ!」
「ぎぶ! ぎぶあっぷ!」
「買え! クラス担任の八神先生の頼みを聞きやがれ! こっらぁ!」
「ろーぷ! ろーぷっ!! 買います! 買ってきますからっ!」
「よ~し」
ようやく八神先生から逃れる。へなへなと崩れ落ちた。ジャングルの大蛇に体を締め付けられるってのはこういうことを言うんだろうな。
八神先生の豊満な胸が顔に当たりまくってたっていうのに全然嬉しくなかった。
「はぁ……」
意気消沈している僕にじゃらじゃらと小銭を渡してくる八神先生。
「ほら、金だ。これで一つ買って来い。行って来たら遅刻の件はなんとか誤魔化してやるからよ」
「はぁ……」
教師としてそれでいいのだろうか。
…………よくないと思うけど。
あっさりと自問自答で答えが出るが、決してそれは口には出さない。そこまでの勇気はない。
「早めに頼むわ」
「……分かりました」
ここでごねたらまた何をされるか分からない。僕は立ち上がって頭に付いた葉っぱを取る。
八神先生は乱れた髪を直しつつ、
「……ああ、それとな」
ちらりとクドがいる方へと見やって、
「いや。なんでもねー。さっさと行って来い」
面倒臭そうに頭を掻いてから、白衣のポケットに手を突っ込んでカッカと靴音を鳴らしながら校舎へと戻っていく。
「はぁ~」
安堵の息が漏れる。
すると今の今まで気配を消していたクドが一言。
「なるほど」
振り返ってクドの言葉を待つ。
「あれが先生か。カナタのお手本の」
僕はたまらず言う。
「いや。あれは……違うでしょ」




