268 心を凍らし、炎を燃やす
咄嗟に躱すことも出来ずに刀の一閃をもろに胸に受けた。力加減が一切出来ていない業は刃こぼれた包丁で指を切った時のように鈍い痛みが走り、切れた肉の間から血飛沫が上がる。
「ぐ……く」
胸を押さえながら膝を付く。
不意に受けた攻撃に防御が一切間に合わなかったのだ。
「は…………ぁ……、……あ…………っ、……あ……………………っ……!」
頭の中がぼうっとする。
傷を受けた場所に炉心でもあるかのような熱を感じる。
(なん、……だ……い、った……い……)
頭の中がぼうっとする理由は何となく理解出来る。胸の傷から流れ落ちる血液の量が量だから貧血に近い状態に陥り、このまま放置すれば失血死してしまうのではないかと考えることは出来る。
しかしこの奇妙な、あるいは異常なまでの体の熱さは何だ?
「灼……け、……熱……い……」
胸の奥を掻きむしってでもこの熱を取りたい。
だがそんなことは出来ない。そんなことをすれば失血が早まるだけだ。無謀無茶。
歯を食いしばって前を向く。
自分に出来ることはこれが精一杯だ。
脂汗を流し、その熱さと苦しみが永劫に続くものかと思いながらも前を向くと彼女もまた、何か様子がおかしい。
「ち、違う……。違う。違う、違う。違う、違う違う違う違う――ちが、う」
頭を抱えながら「違う」と言う言葉を繰り返す。
「梨紅……ちゃん?」
名前を呼んだ瞬間、
「お、まえが」
「え?」
“ソレ”が爆発した。
「――――お前が、かーくんのはずないっ!」
怒声が通路内に響き渡る。
声は衝撃波のような何かを生み出し、自分の体を吹き飛ばす。
「ぐぁ……!」
十数メートルは吹き飛んだ。ようやく止まったのは通路の終着点。丁字路の壁。
受け身も間に合わず、再び交通事故の疑似体験。
しかし妙な感じだ。
どう考えても劣勢なのはこちらなのに辛そうなのは彼女の方。
「なんで……どうして……そんなことあるはずがないのに……どうして? かーくんが二人?」
遠くからでも分かるほど彼女は狼狽えていた。
「ぐ……」
ここからじゃ彼女の声がよく聞こえない。
だけど苦しんでいる様子は分かる。少しでも近づかないと……。
「ちが……う。かー、くん……が言った。“敵”を“殺せ”って……。“敵”……? “敵”……って? 誰? 誰……のこと?」
彼女の様子が変わった。
錯乱しているだけではない。彼女の周りに漂う彼女自身から漏れ出した霊力が乱れている。
それはまるで颶風のよう。
戸惑い。あるいは困惑。
彼女の感情を表すかのような霊力の乱れが視認出来るほどに乱れている。
「斬った。刺した。燃やした。焦がした。殺した。誰を。だ、れ……を?」
本能的に危機感を感じた。
錯乱している少女の姿を見て、“これ以上は”と瞬間的に思った。
決して何かがあった訳ではない。確信めいた何かがあった訳でもない。
ただ単純に“これ以上”彼女を刺激してはいけないと思った。
「り――くちゃ」
と、その時。
「限界だ。代わるぞ、梨紅」
霊力が落ち着きを見せた。
吹き荒ぶ霊力の颶風が静かに落ち着きを見せる。
漏れていた霊力が彼女の体に戻るように纏い、そして消えていく。
「な……」
一瞬何事かと思い、体が動かなかった。
「壊れる前に代われたか。…………よかった」
誰かが増えた訳ではない。しかし――別人。目の前の少女がまるで別人であるかのように振る舞う。
「…………誰、だ」
「さて」
「――――――――!」
気が付いた時には自分の体が吹っ飛んでいた。
吹っ飛んでいく最中、自分がようやく栗栖梨紅という少女に殴られたのだと理解出来た。
ただ、あまりにも高速で、あまりにも重い一撃に。
理解が追い付きそうにない。
「一発目はお前と決めていた」
声には重みを帯びていた。
だからこそ理解が追い付かない。
同じ姿。
同じ声。
同じ霊力。
何もかもが同じ、だが。違う。
背中を打ち付けながら前を見る。
梨紅がこちらを見る。
但し、その瞳には彼女が彼女であったころの面影を一切感じない。
否。
そもそも別人であるかのような、まるで違う瞳で僕を見下ろし、
「でしゃばるな、小僧」
そう言い放つ。




