267 心を凍らし、炎を燃やす
「は?」
彼女自身何を言われているのかを理解出来ていなかったのだろう。
実質、爆弾発言だったとは思う。
が、後悔はない。
「く――――っ!」:
発言の意図が理解出来ずに戸惑う彼女が刀を握る力が弱まったのを見てそのまま刀を奪い去る。
「!!」
彼女は何かを理解し、歯噛みする。
「……そういうこと……! くっ、私としたことが」
奪い取った刀を手から引き抜き、そのままビルの外に放り捨てた。
傍から見れば言葉で相手の動揺を誘い、武器を奪取したように見えるだろう。実質、彼女自身はそう考え、煮え湯を飲まされたような顔になっている。
しかしそれは誤解――というよりは偶然だ。
自分でも驚いているぐらいの幸運。
「……でも残念ながらこれで私に勝てるとは思わないことですね。――私にはまだこれがある」
ぱちんと指を鳴らすと、ぼうっと、彼女の指先から炎が出現する。
まだ戦えると言う意思表示。
実際彼女から刀を奪うという行為は何のアドバンテージにもならない。寧ろ奪った分、相手の警戒度を引き上げ、より強く相手にすることになるだろう。
「……すごいよ」
……素直にそう思った。
驚いたと言うのも当然あるが、驚きよりもまず一歩前に出たのは感心。
「武器を奪われて、それでも久遠かなたのために戦おうって言うの? ははっ、……すごいよ、ほんと」
彼女の強さの根底を見た気がした。
確かに彼女は強いのだろう。但し彼女は強さを二つほど持ち合わせていた。
“十字架を背負う者”としての純然たる強さ。
もう一つの強さは誰でも持っているモノ。そして僕が見ようともしなかったモノ。
――女の子としての強さ。
好きな相手のためならば何でもするという気概。
それは単純に強いモノだ。
強いからこそ根深く、根底で縛り付けている。
呪縛。
……もういいんじゃないかって思った。
――久遠かなたに縛られるのは。
いや。
――久遠かなたが縛り付けるのは。
「うん、キミはほんとすごい。尊敬する」
上がらない左肩を気にしながら僕は言う。
「そんなに“好き”なんだ。久遠かなたのこと。好きだから久遠かなたのために自分には似合わないことをもやり遂げようとする」
「当たり前です。かーくんは“私”の全て」
全て……。
ああ、……全て、と来たもんか。
「もったいない」
断じた。最早迷いが払拭されていた。
「え?」
彼女は僕の言葉に驚いていた。
……自分も少しだけ驚く。
自分の声が自分で思っていたよりも苛立っているのを聞いて、本当に少しだけ驚いた。
「本当にもったいないって思う。キミの…………梨紅ちゃんの男の見る目の無さはもったいなさ過ぎるよ」
「どういう意味ですか」
当然のように彼女は反論をする。
「言ったろ? 僕は久遠かなたのことをクズだと思ってる」
目の前を走る炎。
炎が目の前を横切ったと言うよりは目測を誤り、たまたま炎が目の前を通り過ぎたと言う方が正しい。
「巫山戯たことを……。貴方の戦略に乗る気はありませんが、その言葉だけは聞き捨てならない。撤回するか死ぬか、どちらかを選んでもらいましょうか」
「戦略?」
「そうやって言葉で私を騙し、動揺を誘うのが目的のようですが」
「ああ、違う違う」
彼女の言葉を遮るように僕は言った。
早々に誤解は解いておかなくては。
僕の言葉が嘘になる。
「僕の言ったことは全部本当のことだよ。久遠かなたのことをクズだって言ったのも――僕に惚れさせるって言ったのも。ぜんぶ」
目を瞬かせ、口をぽかーんと開け、文字通り呆ける梨紅ちゃん。
「ああ、それと。キミから戦いの術を奪うって言うのもほんと」
「な、何を訳の分からないことを……」
初めて彼女がたじろいだ。
きっと彼女からしてみれば僕は破綻しているのだろう。
彼女にとって僕は敵。
しかも愛しの久遠かなたの命令を邪魔する害虫。聞く耳を持たないどころか言葉に耳を貸すことさえもおぞましいと思っているぐらい。
そんな敵が自分に惚れろと言う。そしてその舌の根も乾かぬ内に自分の大好きな久遠かなたのことを馬鹿にされ、あまつさえ戦いの術を奪う、と来た。
きっと彼女にとって僕の言葉はただの戦略でしかない。相手の動揺を誘う心理戦。
「本気だよ」
「……!」
何かを言いたげそうな顔をする彼女。だけど言葉は続かなかった。言葉を続けようという意思は感じるのに、その言葉が見つからないようだ。
「キミからすれば、お前は何を言っているんだってなるんだろう? うん。それは正しい。だって、そりゃあそうだろうよ。まず、前提がおかしいんだから。キミにとっての僕は……きっと“見ず知らずの赤の他人”なんだろうからね」
僕は忘れられると言う恐怖を知った。
忘れられると言うことの辛さを知った。
「前提……? 何を……それではまるで……」
「まるで?」
彼女は僕の問いかけに我に返ったように首を横に振る。
あるいは僕の言葉を否定するように首を横に振った。
「いえ。いいえ。いいえ! あり得ないこと、そう、あり得ないことです。貴方の言葉は嘘ばかり」
「あり得ない? 何がだい?」
「……っ!」
今度は彼女の声が苛ついたように聞こえた。
それは彼女にとって違和感なのだろうか。ならば僕はその違和感を指摘してやることにする。単純なことだ。僕の言う前提の部分をそのまま言葉にするだけでいい。
「――僕のこと忘れちゃったの?」
と。
「し、知らない……あ、貴方なんか……知らない。知る……訳が、ない……。わ、私を惑わすな!」
言って。
彼女が炎を飛ばしてきた。
僕はその炎を躱す。躱しながら言葉を続ける。
「僕は……! キミのことを忘れた! 忘れていた……! だからおあいこ、だから僕は気にしない! 例え今のキミが何をしたって……!」
「喋るな! 語るな! 燃やす! 燃やす、燃やす、燃やす、燃やす、燃やす、――焼いて、――焦がす!」
次々に飛来する光の炎。
それは鮮やかで、目も眩むほどの。
「僕を殺したいって言うのなら……本当に、キミの本心でキミの意志でキミの心が僕を燃やしてしまいたいと願っているのならこの身を捧げたって僕は構わない。……だけど。……だけどっ……!」
「うるさい。……うるさい。うるさい。うるさい……! な、何を言っているんだ。何が言いたいんだ……お前は……っ!」
光の炎の柱を躱しながら僕は彼女に近づいていく。
徐々に。徐々に。
彼女との距離は詰まっていく。
そして、
「あっ……」
とうとう彼女の腕を掴む。
「……やめよ」
そして言う。
「もう見てらんないんだ。ほっとけない。そんな顔で。――今にも崩れそうなほどボロボロな顔で戦っているキミを。……無理しないで。――――りっちゃん。……戦いなんてやめな」
「りっちゃ……ん?」
「ましてや人殺しなんて。そんなものキミがする必要なんてない。必要があるなら、僕に……僕に、言って。本当にどうしようもなくて。それでも……それでも誰かの命を奪わなければキミの心が死んでしまうと言うのなら……僕がやる。キミの代わりに。誰よりも優しいりっちゃんの代わりに。――僕が。久遠かなたが、やるから」
「久遠……か、なた……? ………………かーく」
ん、と続くはずだった言葉は、
「あ、あ、あ……あ、あ……あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああ!!」
彼女自身の絶叫によって遮られた。
腕を捻るようにして僕の拘束を解除した彼女の手元に見覚えのある刀が出現した。
そしてその刀を握り、横合いに力一杯に薙ぐ。
(や、ヤバ……よ、避けられ……――――!)




