253 潜入
「盟主争い?」
ビルの中を進みながらそんな話を聞く。
依然ビルの中は閑散としている。人とすれ違うなんてことはなかった。
「聞いているか、久遠かなた」
「あ、ああ。ごめん。少しぼーっとしていたかも」
「ふん。いい気なものだな。このビル全体で盟主争いが行われていると言うのに、まったく」
厭味ったらしく僕たちの前を歩く前川さんがぼやく。
(どうしてこんなに敵視されているんだろうか……)
ちょっと謎だった。
……まあ、嫌われているのに慣れているっていうのもどうかと思うけど、正直、最近人に嫌われ過ぎだったから……今さらかな。……それよりも。
「その……盟主争いって言うのは?」
「簡単に言えば椅子の奪い合いですよ。かなた殿」
「――椅子?」
「月神結社には大まかに二つの格付けが存在して、一つが君主、一つが盟主。君主はその名の通りに結社の頂点。そしてそれに従属する三人の盟主。他は等しく末端たる奴隷。この力関係は結社においては絶対であり掟。たとえ君主が暴君であろうと従わなければならない。盟主は君主には絶対服従だが、自分よりも弱い存在にはあらゆる命令が許可されている」
「――――――」
淡々としたものだった。あまりにも淡々としているものだから、それがまるで他人事のように聞こえる。しかしそれは紛れもなく自分自身が身を置いた環境の話。
「だから奪い合う。誰だって、どんな時代だろうと、奴隷は嫌だからな。命令されるよりも命令する方がいいし、服従するよりも服従させる方が望ましい。だから盟主という名の椅子を奪い合う。それがここでの常だ」
「………………」
あれ?
何だろう。何だか、そう……何だか。ちくっとした。心が痛んだ。
他所様の常識に他所の人間が口を出すべきではないと頭では理解している。命令されたくないから命令する側になろうとする心理は理解出来るし、納得もいく。当然の権利だ。彼の言う通り、誰だってそうだ。命令されるのは嫌。だったら命令する側になろうとするのも必然。
が。
だが、――しかし。
(…………嫌だ。何だか、すごく。……嫌だ)
命令させる、服従させるって言うことはつまるところ相手の尊厳や意志なんていう人にあって然るべきモノを踏みにじるということに他ならない。
そう考えるとすごく嫌だった。
――こんな環境が、ではなく。
――こんな環境に身を置き、それが常識であるに違いないと考えてしまっているのではないかという、彼女のことが、だ。
無論、本人に対する嫌悪ではなく、そうやってあの女の子が他人の尊厳や意志を踏みにじっていると想像するのがとても嫌だった。
そんなはずはないと否定出来ない自分が。果てしなく嫌だ。
「何をそんな顔をしている久遠かなた」
不審げに声をかけられた。
相当表情が強張っていたらしい。僕自身に敵意を向けている当人からの声掛け。
「え、あ、いや……ちょっと」
「気味が悪い。別に何でもないと言うのならそんな顔をする必要もあるまい。何かあるんだろうが。言え」
「……本当に何でもないんだけど……。まあ、そっか。確かに不快かもしれないか。……じゃあ、言う、けど。僕の知り合いの女の子が結社に所属しているんだけど、その子が……そういう感じに囚われていると想像したら、少し……ね」
嫌じゃない? と、少し自嘲気味に呟いた。
「…………」
返事はなかった。
まあ、当然か。前川さんにしてみればその僕の言う女の子が誰かだなんて分からないはず。他人の他人を気にする人間が一体どこにいるか。
「なに?」
……ここにいた。
前を歩いていた前川さんはくるりと身を翻し、こちらを向く。
「どうしてお前が気にする必要がある? 知り合いなだけだろう?」
気のせいか。
いや、まあ……十中八九気のせい、もしくは勘違いの類なのだろうが。知り合いの語気が強い気がした。
でも、確かに彼の言う通り僕は彼女の他人な訳で、特に否定する言い分も見当たらずに。
「まあ、そうですけど」
と、返すのが精一杯であった。
(ほんと……何でこんなに敵視されているんだろうか)
最初の疑問点に回帰する。
再び踵を返し、彼は進んでいく。
そんな彼を横目で見つめ、ネーブラさんが歩く速度を緩め、そっと僕に耳打ちをしてくる。
「失礼ながら。一つ、よろしいですかな?」
「はい?」
「その知り合いの女の子と言うのはやはり?」
「ええ、まあ。そうですね。クラリスさん……そういうことをするタイプには見えないですけど、それが結社の常識というのなら話は別です。それが日常茶飯に行われていたのなら、それが歪んでいるとも思わないでしょうし、それに従ってしまうのも致し方のないことだというのも分かるんです。……でも、やっぱり、なんか嫌なんです。あの子が誰かの自由を奪い、尊厳を踏みにじっている光景を想像するのが、本当に嫌だ」
「――歪んでいるモノはそれが歪みとは気が付かない、ですか」
小さな言葉だった。だからソレは独り言だったのだろう。現に、
「……嫌、ですか。実にあなたらしい」
すぐにそう言ってネーブラさんが口元を緩ませる。
「やはり、あなたはいい。面白い。吸血鬼の天敵たる結社の幹部の人間を捕まえて、嫌、とは」
「幹……部」
「ふ。お忘れですか。かなた殿の言う女の子は、この結社において三人しかおらぬ盟主の一人だということを」
……そうだ。そうだった。
忘れていたのか、それともただ目を逸らしていただけだったのか。
クラリス・アルバートという少女はただの女子中学生ではなく、この結社においての肩書は盟主。
命令出来る立場。
人の尊厳を踏みにじることが出来る権利と権限を持ち合わせている強者。
だが。
いや、結局のところは。
「……あの子が何者だろうと関係ない。僕の答えはやっぱり変わらない。嫌だ。…………それだけだよ、ネーブラさん」
答えは変わらない。
たとえクラリス・アルバートという少女がどのような立場におり、どのような境遇で育ち、どのような常識を持ち合わせていようとも、彼女が誰かの尊厳を踏みにじる姿を想像するのは嫌なのだ。
「あなたは頑固者ですな。…………実に。いい」




