250 潜入
「ここが結社……。普通のビルだ」
ネーブラさんの案内の元、僕たちが向かったのは月城町の中でも最も栄えている中央街であった。
「はてさて。かなた殿は一体どのようなモノを想像していたので?」
「そりゃ、まあ。こう、何か秘密結社っぽいエンブレムとか掲げてて、いかにも……いかにもってな感じの」
完全にイメージ像は特撮ドラマか何かで見るような悪の秘密組織っぽい感じのするアレ。しかも平成ではなくて昭和の。
だが実際には何とも普通のビル。
ただのビルと形容するにはかなりの高層ビルだが、それ以外はこれと言って不自然な点は一切見当たらない街中によくある普通のビルだ。
ただ、一点を除けば、の話ではあるが。
「ここに来るまでにあまり人とすれ違いませんでしたね。いや、まあ……朝が早いと言うのもそうなんでしょうが」
そう、人がいない。
より正確に述べると。
このビルを中心とした近郊に人の出入りが見受けられなかった。
人がいない、にしてもこの静けさはあまりにもおかしかった。
「…………ふむ。結界、ですかな?」
「結界……! そうか」
ネーブラさんの言葉に納得がいく。確かにこの静けさは異常であり、あまりにも不自然。そう考えると人を遠ざける、もしくは人を寄り付かせない結界が張られているのだと考えると合点がいく。
しかし、だとすると新たな疑問が浮かぶ。
――どうして人避けの結界が施されているのか、だ。
理由もなくこれほど大掛かりな結界を施すとは思えない。そこにはどのような理由があるのか。
そんなことを考えていると、
「…………遅かった、か」
そう隣にいる男が呟いた。
「遅かった?」
「決闘」
「はい?」
「…………」
ネーブラさんは思わず呟いてしまった言葉を悔いるように目を伏せるが、一度だけ黙考したのち、
「結社にはある風習があります。それが決闘。二者が同意ののち、日時を決め、一対一で『死合い』に臨む」
「『死合い』?」
「無論、殺し合い。命のやり取りですよ」
「……!」
嫌な予感はしていた。
だが、こうもあっさりと言われるとは。
想像していた以上に結社という“環境”は殺伐としているらしい。
「その『死合い』は一体どのような意味が?」
「意味など、ありませんよ。ただ決めるのです。勝者と敗者を」
「優劣を決めるだけ?」
「その優劣がこの結社と言う場では絶対なのです。勝者は絶対であり、敗者はそれに従う。ただ、それだけのこと」
ある意味でそれは世界の理。須らく正しく、須らく真実。
勝った者が正しく、負けた者は従属すべし。
「そうか……だから、あの子はあんなにまで」
ようやく納得する。
彼女の、クラリスさんの異様なまでの勝利への執着。それは彼女にとっての常識なのだ。
こういう“環境”で育ったからこそ、彼女の常識はどこか歪で、しかし、正しい。
「……決闘というのは分かりました。人避けの結界が張られている意味も。恐らくは見られないため。無闇に騒ぎを起こす必要もないでしょうから」
「ええ……ですな」
(でも……決闘、か。命のやり取りなんてものがこの時代においてもまかり通るような世界。……正直、信じられないな)
理屈は分かったが、やはり納得は出来ないようだ。知らず知らずの内に握った拳が痛む。
自分の知らない世界がある、なんてことはよくあることで、若輩者の自分が知らぬ世界を目の当たりにして戸惑っているのだと悟る。
そしてそれと同時に危機感を煽られているような感覚が全身を駆け巡る。
(どうしてだろう……。すごく嫌な予感がする)
それはまだ形を成していないスライムのようにあやふやな焦燥。
「どうやら……決闘が行われたと考えてまず間違いないでしょうな」
そしてその諦念にも聞こえるネーブラさんの言葉にその焦燥が受肉していく。
心がざわつく。
ちり、ちり。と、胸の中で小火でも起こしたかのように心の中が熱く、ヒリヒリと痛みだす。
(どうして……こんなに……)
肉を為していく中、ある違和感が顔を出した。
「あ」
それは最早違和感などという曖昧なモノではなく、明確な根拠。
「まさか……」
「かなた殿? どうかしましたか?」
僕を見下ろすネーブラさんの目が少し驚いているように見えた。
「どうして……気が付かなかったんだ……!」
違和感の正体。――それは電話。
つい、少し前に僕は電話を受けた。
それはあり得ないことで、少し考えてみれば違和感どころの話ではない。
あの子が僕に電話をかけてくる時点で何かがおかしいと思うべきだった。
どうして僕に電話をかけた?
何の用もなく。
何の理由もなく。
“暇だったから。少し時間が余って、だから電話をしたのよ。まったくどうかしてる”
そんな彼女の言葉が頭の中で響く。
――そんなはずがないというのに。
「決闘は……彼女が? クラリスさんがしたって言うことなのか?」
「ええ」
独り言のように呟いた言葉に、言葉が返ってくる。
「なるほど。今回の生け贄は彼女、ということですか」
ネーブラさんの一言に目を丸くして絶句する。
「生け贄?」
「かなた殿。最早ここまで来た。いえ、ここまで来たからこその忠告と警告、そして最終勧告。進退の見極めを。このまま吸血鬼の禁忌を冒すか。全てを諦め、無かったことにして引き返すか。これから先は死地。生きるか死ぬかの瀬戸際。どうか。……どうか、賢明なご決断を」
「禁忌?」
「吸血鬼の理の一つにこういうものがありましてな。吸血鬼は招かれなければその住居に入ることが出来ない。よいですかな。我々は招かれざる不当な輩。当然、そのルールに反しますし、何よりここはヴァンパイアハンターの巣窟。見つかればまず間違いなく殺しにやって来るでしょうな」
「危険は承知の上だよ。…………それに」
「それに?」
「禁忌というから余程のことかと思えば、そんなことは当たり前でしょう。不法侵入は人間だろうと吸血鬼だろうとダメでしょ。元覗き魔さん」
僕の言葉にネーブラさんの口角が上がる。
「……気が付いておられたか」
「侵入がもしも禁忌でダメという話ならネーブラさんはとっくに滅んでる。あの温泉宿でもそう。きっとそれは魔女裁判なんかと同じような話なんでしょう。ただの迷信。……それよりも」
「生け贄の話ですな」
僕はこくりと頷き、ネーブラさんの言葉を待つ。
生け贄。
どうにも不穏な響きだ。
「レディ」
ネーブラさんが独り言のように呟いた。
「無論、レディに差し出される者のことです。言い換えればレディと決闘を行った憐れな者のこと。それが生け贄。……勝てぬのですから、生還は不可能。それを生け贄と呼ばず何と呼びましょうか」
「……あなたも、ですか」
隠そうともしないネーブラさんの臆病者の雰囲気が伝わり、こちらにも緊張が移る。
「あなたほどの人がどうして、いえ。何をそこまで恐れることがあるんですか? ……まるで」
そこで何かに気が付く。
そう、まるで。
「まるで、レディと争ったことがあるようだ」
思い返せばルシドさんもそうだった。彼もまたレディには勝てないと断言した。勝てないのだから諦める方がいいとまで。
「…………あるんですか。いえ、――あるんですね」
見抜かれたことに驚いたというよりは、最早諦めにも近い態度で、
「行けば分かる。逢えば分かる。――――そういう存在です」
彼はもう笑っていなかった。初めて出逢った時のような飄々《ひょうひょう》とし、冗談を真顔で言うような目ではなかった。そこにあったのは、一度大敗を喫した男の目であった。
かける言葉が見つからず、僕は先導するために前を行く彼の背中を追う。
多分、この二人はレディと何らかの理由で戦ったことがあるのだろうと思った。
それは如何なる理由があるのかは分からないが、相当堪えたのだろう。二度と争いたくないと言い占めるぐらいだ。
初めて彼の背中が自分よりも小さく見えた。




