240 群れの主
「ルシドさんは付いてきませんでしたね」
「意外ですか?」
「それは……まあ」
そんな会話を結社に向かう道すがらに話す。
驚いたことに結社の塒は街中にあるのだと言う。
そもそも結社という言葉でしか知らないのだから、想像では結社は地下に街を作りそこで暮らしているのとばかり思っていた。が、そんなことはあり得ないのだとすぐに考えが行く。もし本当に地下に組織が作り出した地下街があるのだとすれば、あの子はどうやって生活をしていたんだって話だ。
結社に向かうのは僕とネーブラさんの二人。
ルシドさんは来なかった。
あれだけの殺気を放っておきながら、彼は付いてこなかった。意外と言えば意外であり、意外ではないと思えば意外ではない。
彼は何よりレディという存在に怯えていた。それが一体どんな存在なのかは想像し得ないが、そのレディに怯えて来なかったのだとしたら、それは意外――という話になるが。
「たぶん、と言うか。彼は殺したいほど憎んでいるでしょう。その、桜井智という人のことを。その殺意は理解出来るし、納得も行きます。だからこそ意外でした。――――というより」
そもそもの話を思い出した。
何故、今まで聞かなかったのだろう。……タイミングの問題か。
「あなたとルシドさんってどういう関係なんですか?」
「おや? 彼から聞いていませんでしたか」
「だから驚いていたんでしょう」
「はっはっは。そうでしたな。いや、愉快な表情で。私としては面白おかしかったですな」
意味が重複しているが、きっとその言葉の意味は本当にそのままなんだろうなと思う。
「なに、簡単な話ですよ。我々の接点は何も吸血鬼だけと言う意味ではありません。ただ、目的が一致しているのです」
「目的?」
「同胞、――あるいは同盟、でしょうか。我々、私と彼、ルシド殿のことですが、我々は互いを利用し合っているのですよ」
「……利用」
「…………くっくっく。かなた殿はその言葉がお嫌いですかな。顔に出ておられる。――気分が悪い、とね」
「…………」
まるで見透かされたかのような彼の言葉に僕は思わず顔を逸らす。
が、きっとそうなのだろう。
何となく、利用するという言葉にいい感情は芽生えていなかった。
「言ったでしょう。――――我々は、利用し合っていると」
「……利用しているのではなく、利用し合っているのだと?」
「ええ。互いの利を重視し、互いを裏切らず、互いを助け合い、互いの目的を達成する。そのために互いを利用し合う。それが同盟であり、同胞なのだと我々は考えているのです」
「……それって」
言い方が違うだけで、それの意味するところは仲間であり友人のようなモノではないのだろうか?
言い方――いや、この場合は呼び方の問題か。ただそれだけのことだ。なんてことはない。吸血鬼たちだからと言って仲間がいることに何の問題があろうか。
我ながら考え方が狭い。
否。
考え方だけではない。常識も知識も度量も。何もかもが狭く、疎い。考え方や捉え方は人の数だけあるのだから、そんなことで一々気になっているようではダメだ。
……そう考えていたからだろう。
「そうそう、我々の目的を話しておくとしましょう。なに、これはこれから乗り込む結社に向かう意味であり動機であり、その目的のために我々は動いていたのですから、かなた殿の邪魔にはなりますまい。――――我らの目的はクラリス殿の救出及び、洗脳された吸血鬼たちの解放になりますな」
息を、呑んだ。
呼吸が止まる感覚。体内の熱が冷めていくような冷たさと心臓を分厚い腕に鷲掴みされたかのようなドキッとした感覚。
つい先ほど、僕は彼女に裏切られた――いや、裏切られたと思い込んでしまったために、その名前を聞いただけで呼吸の仕方を忘れてしまいそうなほど頭の中をかき乱された。
「クラリスさん……?」
何とか言葉を発することが出来たのは身近な名前と僕の中で未だ彼女を信じていたいと言う部分があったからだろう。
「はい」
「でも……待ってください。救出って……その日本語はおかしくないですか?」
救出。
言葉の意味は分かる。そのままの意味であれば救い出すこと。例えば窮地とか。例えば状況とか。例えば――身柄とか。
しかし、そのどの意味合いであっても、彼女を救出するという意味にはならないはずだ。だって、そもそも彼女が救い出されるという状況下にいたとは到底思えないからだ。
「救出ってことは捕らえられているってことだ。僕の知る限り彼女にそんなことはなかった。街中を出歩いていたし、出席日数は少ないけれど学校にも通っていると言っていた。電話だって」
していた。
そうだ。考えれば考えるほどネーブラさんの言い分はおかしい。矛盾しているのではない。はなから、前提から、何もかもがおかしい。
だが言葉の真意はともかく、彼の目は真剣そのものだ。冗談を言っているようには聞こえないし、吸血鬼の解放という目的も――少なくとも冗談を言っているように聞こえない。何よりその言葉に込められた覚悟は救出も開放も同等のモノのように感じた。
「なに」
彼は小さく目を瞑り、
「行けば分かります。最早そういう次元の問題でね。我ら同胞はそのために動き、あなたを巻き込むことを良しとしたのですよ」
申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
下げられた頭をどうすればいいのか分からなかった。
その頭を上げるように促すことは簡単だ。だが、その下げられた頭の重みを考えるとその行為は浅はかであるし、何より彼がどうしてこうまでして頭を下げたのかが疑問であった。
――同胞のため?
――同盟のため?
それとも目的のためだったのか。
そして何よりも。
どうして僕なんかに頭を下げてしまったのか。
(……分からない)
結局下げられた頭をどうすることも出来ずに、僕は黙って彼の後頭部を長々と眺める羽目になってしまった。




