239 群れの主
ちなみに服は着ていた。
彼の顔を見てとてつもない嫌な予感が走り、真っ先に下半身を確認したが、ちゃんと! ちゃんと服は着ていた!
(よ、よかった……。何がとは言わないけれど……よかった~)
「ふむ?」
ルシドさんが首を傾げた。
片目を瞑り、
「なるほど」
と、呟いた。
意図は不明だったが、彼はすぐに。
「顔見知りのようで。ならば紹介は割愛しても?」
「構いませんぞ、ルシド殿。私と彼は裸の付き合いをした中ですからな」
「付き合いって言うか、ど突き合いって言うか」
裸なのは間違っていない。何せ、僕と彼の関係は謂わば敵同士だった。温泉宿の依頼で覗き魔の正体を露呈し、クラリスさんと共に討伐したのが彼だ。
まあ、無事でよかった……のか?
「ってか、え? 何でこのタイミングで彼が? 彼も吸血鬼なんだからこの吸血鬼の街にいても不思議でもないけど、この人アレですよ。変態ですよ? 通報事案の象徴みたいな人ですよ?」
「ほっほっほ。お褒めに預かり光栄の至り」
「褒めてない」
ポジティブな変態ってのは救えない。
「言ったでしょう? 協力者のおかげで桜井智と言う人間の正体に辿り着いたのです」
「協力者!? コレが!」
あまりにも驚きすぎて恐らく年上であろう彼をコレ扱い。
無礼の極みだが、幸いなことに彼に気が付いた様子はない。もしくは気にもしていない。
「……あなたの懸念も分かります。彼の性癖には多少の難がありますが、能力は優秀なのです」
「……多少?」
「多少」
「ほっほっほ」
うん、分かった。これ以上突っ込むなと言うことですね。じゃあ突っ込まない。
「彼に調べて頂いてもらっていたのです。桜井智の正体と塒について」
そうか。確か彼の能力は例えるなら『霧化』。
霧となった彼を見つけることはヒントが無ければ困難に近い。そんな彼にとって隠密行動はお手の物であろう。
……と言うか、彼の趣味って確か人間観察だし。
「桜井智の正体は紛れもない人間です。純度一〇〇パーセントの人間。ですが塒が少し特殊でして」
「特殊?」
塒が特殊と言うのは一体どういうことなのだろうか。
……まさかお金持ちで住んでいるところがどこかのお屋敷だとか言う話だろうか。
不思議そうに首を傾げる僕に対しネーブラさんは顎に指を置き、
「なに。彼は『結社』の人間だと言うだけの話ですよ。かなた殿」
と、言った。
「け、……っしゃ?」
「はい。正確には『月神結社』と呼ばれるヴァンパイアハンターの組織ですが。彼はその組織でナンバーツーと呼ばれるほどの実力の洗脳術師です」
聞き間違いでも何でもなく、彼は間違いなくそう言った。
月神結社――と。
「……は?」
意味が分からなかった。
「やはり間違いないのですか? 彼がライターを使う洗脳術師と言うことは」
「恐らく。それだけの特徴を持つ洗脳術師が類似すると言う話も聞きませんし、何より彼はその洗脳においてこの街だけではなく、人間社会に溶け込んでいた吸血鬼も洗脳し部下にしていると言う話。間違いないでしょう」
「吸血鬼で部隊でも作っているのですか?」
「単純に扱いやすいのでしょうね。吸血鬼を部下にすれば単純に戦力を期待出来る上に心が痛まない。何せ、結社の人間は吸血鬼を敵と見なしておりますから。補充も容易で、代わりの利く兵隊。私でしたら利用しない手はない」
「俺たちを……何だと思って……っ」
「……ルシド殿」
僕を置いて話が進んでいく。
二人の会話が耳の中を通り抜けていく。
結社の人間……だって?
そんな、馬鹿な。
二人の話がまるで入ってこない。
いや、入っては来るが、それ以上に衝撃を受けていた。
僕たちが追うべき人間の正体と塒が把握出来たことは大変喜ばしい。そのためにここへやって来たのだから、これ以上ないぐらいの収穫だ。――しかし。そう、しかし――だ。どうしてこんなにも衝撃を受けているのだろうと考える。……でも、やっぱりその答えは一つしかなくて。どれだけ考えても。どう考えても、やっぱり答えは一つで。
ライターを使う洗脳術師。
その正体が結社の人間、つまるところ。クラリスさんが所属する組織の人間で、しかもその組織の中で、その桜井智と呼ばれる人間は組織の中でも指折りの実力者。ネーブラさん曰くその人は結社の中でも実力が二番目に強いと言うことではないか。
そんな人、そんな強者を彼女が知らないだなんてことあり得るだろうか。
性格から考えて。
あの子の性格を想像してみて、そんなことが有り得ないと言うことは容易に想像がつく。逆であれば、それもあり得ることだろう。逆、つまりは弱者。自分よりも弱い人のことを覚えていないと言うことは十分に考えられる。
だが、やっぱり。それはない。――あり得ない。
――彼女が知らないと言うことは、どう考えてもあり得ない。
あの子に電話をした時、僕はちゃんと聞いた。ライターを使う洗脳術師を知らないかって。そうしたら彼女は言った。“知らない”と。
確実に言っていたし、明確に僕はその言葉を聞いた。彼女がそう言ったのだから、僕はそれを信じた。
(……信じ、た)
「は、……ははっ」
頭がくらっとした。
貧血を起こした時のような眩暈も同時に感じた。
そうか。そうなんだ。
拳を握る。
――あまりにも、悔しくて。
きっと僕は己惚れていた。
今、僕が感じている感情は“裏切り”だ。僕は勝手に彼女に裏切られたと考えてしまっていた。裏切られると思うのは多分、僕が彼女に対し情を感じ、信頼を置いていたからだろう。きっとこの想いは一方通行だったのだと自覚した。だから、悔しいのだろう。
なんて、馬鹿なんだろう。
……頭を、切り替えよう。
元々僕と彼女は仲間でもなければ、友達でもないのだから、彼女が結社の人間の名を口にしなくとも不思議ではない。むしろ仲間のことを売らなかった彼女の潔癖さを今は称えるとしよう。
頭を切り替えなければ救えない。クドを。梨紅ちゃんを。
静かに、小さく息を一つ吐く。
「……よし」
切り替えた。
――ということにしておこう。
人間、そう上手くはいかない。けれど気持ちだけでも切り替えておかないといけないような気がする。これから先、大体の想像がつく。行先も。これからの指針も。
……きっと、恐らく。
「結社の場所は知っているんですか?」
自分から聞いた。聞かなくてはいけないと思ったからだ。
「無論。ですが、本当によろしいので?」
「それは……どういう意味?」
「何を今さら。我々、いえ。――かなた殿は現状を理解しておられるか? 我々は何です?」
「……何って……あぁ」
ネーブラさんの言いたいことがすぐに理解出来た。
もしかして自分が何も分かっていないのだと思ったのだろう。僕の答えを彼らは無言で待っている。
「――――吸血鬼だよ」
元人間という逃げ道は使わなかった。いや、これから先、きっとその逃げ道はどの道使えないのだ。ならば――覚悟を決めると言う意味も込め、僕は自らを吸血鬼だと名乗った。
「――――――よろしい。ふっ、言った通りの御仁でしょう。彼は、とても面白い」
満足げに笑うネーブラさん。
それを見てルシドさんは観念したように、あるいは彼もまた覚悟を決めたように、
「ですね」
と、返す。
「???」
その二人のやり取りはよく分からなかった。
が、すぐにそのやり取りは終わり、
「では、行くとしますかな。吸血鬼の不俱戴天の敵の根城へと」