235 追いかけて、吸血鬼
アサギとメアは依然争い続けていた。正確には――アサギの猛攻をメアがただただ受け続けていたと言う方が正しいが。
しかし、だからと言ってメアが余裕をかましていると言う話でもない。
「……くっ」
「ほらほら、反撃してみなさいよっ! メア――――ッ!!」
むしろ逆だ。
メアさんの額には脂汗が浮かび、衣服の端々が攻撃で破れ、擦り傷、打撲などの生傷が徐々に増え続けている。
一方的に押され続けていた。
それもそのはず。メアさんは一切の反撃をしていない。
反撃のチャンスが無かった訳じゃない。
魔力が切れて力が出せない訳でもない。
――本当に一切の反撃を、自身が許していないのだ。
しようと思えばいつだって出来るのに、あえて――していない。
それの意味することは一体何なのか。他人の僕では想像し得ない。
「…………つまんない」
猛攻が止む。
止む――、もしくは萎える。
アサギは一切の反撃をしてこないメアさんにこれ以上の攻撃は無意味だと悟り、つまらなさそうに攻撃を止めた。案山子相手にこれ以上自分の感情をぶつけることの無意味さを彼女は知っている。
「なんで反撃しないの、メア?」
肩をすくめながらそう尋ねるアサギにメアさんは、
「自分が悪いと思っているから」
と、返す。
「貴女は私が憎いのでしょうね。恨めしいんでしょうね。…………貴方、じゃないか。貴女――たち、ね。貴女たちが私を憎む理由も分かるし、恨む理由も分かる。……でも全部私が悪いのだから、私は貴女たちの気の済むようにさせるだけよ。気の済むまで、気が落ち着くまで。………………お好きにどうぞ」
その言葉に。
「はっ」
とうとう、頭の中の何かがブチ切れたように。
「――――――――――――――――はははははははははははははははははははははははは!!」
アサギが笑いながら手を上げ、
「――じゃあ死ね!」
振り下ろす。
その瞬間、アサギの手元から真っ赤な衝撃波が噴き出し、メア目掛けて飛び出し、襲い掛かり、彼女が膝を付く。
「ぐ」
もう。ああ……もう。
「これ以上、――――見ていられるか!」
僕はもう我慢の限界を超えていた。アサギの猛攻に、――ではない。メアさんの無抵抗ぶりに。とことん嫌気が差した。
「死にたいのか!」
叫ぶ。
叫んで彼女たちの間に他人が割り込んだ。
両手を目の前に翳し、魔力の球を放出。
放出された魔力の球は真紅の衝撃波を呑み込み、掻き消していく。
「………………! 下がって!」
「!」
初めて後ろにいた少女が焦燥感を前面に押し出して叫んだ。
少女の声に驚いたアサギは何事かを考えるよりも先に少女の言葉に従うように後方へと跳躍した。
魔力の球は重力に惹かれるように地面へと衝突し、爆発を引き起こす。
「何? 今の……」
ミセは訝しそうに眉を顰め、ぼそりと、
「…………………………似てる?」
そう呟いた。
だが、そのことに誰も気が付いていなかった。
アサギは攻撃の威力に驚き。
メアさんは突然の闖入者に戸惑い。
僕は振り返りながら叫ぶ。
「死にたいんですかっ! 相手はあなたを殺そうとしているんですよ。反撃しなくては、殺されます!」
これは誰がどう見ても喧嘩だ。悪く言えば私怨。
そんなドロドロとした女の子同士の喧嘩。そんな喧嘩に外野がとやかく言うのはどうかとも思うし、きっと、恐らく間違っているのだろう。
だけどそれでも、我慢ならなかったのだ。
一体この人たちは何をやっているのだろう、と。
「これじゃ……ただの虐殺だ」
喧嘩ならまだいい。まだ、いい。
まだ、――やり直せる。
「……悪いけどこれ以上は見ていられないから、止めさせてもらう」
「……誰、アンタ」
アサギの顔がキッと強張る。
「久遠かなた」
「……久遠?」
その後ろの少女の顔も同様に。
「……久遠? どこ、かで……」
「……ミセ?」
憂いを晴らすようにミセと呼ばれる少女が頭を横に振る。
「随分と失礼なヤツね。これって吸血鬼たちの問題よ、分かってる?」
「だから悪いと言いました」
「よく言う」
視界の端に捉えていた僕の姿をようやく直視するようにアサギが視線を向けた。一点に集中していた敵意と殺意がこちらに向いたのだ。
「ならアンタから死ぬ?」
「残念だけどそれはない」
「なに」
あまりにもすっぱりと言い切ったモノだからアサギの眉根がピクリと動く。
「あなたとメアさんの実力は見た限り拮抗しています。なら、――――それはない」
顔を顰め、伏せたアサギ。
その後ろで静かにただ佇むミセ。その表情は読み取れない。ただ、こちらを覗き込むようにひたすらに視線を向けている。それは見ていると言うよりは観察しているような表現が正しい。ただし先ほどと違う点が一つ。ミセが観察しているのは僕とメアさんの二人ではない。
――ミセは確実に僕を見ていた。
「は!」
しかしそれを確かめるよりも先に彼女が爆発した。
「拮抗! は、は。笑えない」
アサギが目を黒くし、こちらを睨みつける。敵意の方向性が変わった。彼女がら、僕へと。
「どこの誰かは分からないけれど、失礼。本当に失礼よね。無礼。侮辱。屈辱。は、はははは。ははははははははははははははははは!」
「……………………………………アサギ、待って」
「舐めるな! 違う! 一緒にするな! その女と!」
制止するミセの忠告を無視し、アサギが突進してきた。
アサギにとって最大の侮辱は何も弱いと非難されることではない。メアという吸血鬼と同列に扱われることだった。だからこその激高。唯一の仲間であるミセの制止を振り切るほどの怒りを振り撒いて。
羽を広げ、爪を伸ばし襲い掛かって来る。
速度にして時速数十キロ。呼吸をするよりも早く目の前に到達。
しかし。
「――――」
あまりにも安直で、あまりにも直進的な強襲は簡単にいなすことが出来た。
ただ横に体を移動し、突進してくる彼女に対しカウンターパンチを叩き込むだけで、いい!
「うぐっ!」
拳は確実にアサギの脇腹に刺さる。
「………………力量が、違う。敵わない」
地面に崩れ落ちるアサギを眺めながらミセがそう呟いた。畏怖するように、表情と声を歪め、
「…………………………何もかもが違う。魔力容量も。相手のいなし方も。…………私なら、きっと戦わない。そもそも相手にしない。隠れ、逃げて、怯える。そんな相手としか思えない。なに、この力量差は。あり得ない。どうして――――どう、して」
そして、もう一度僕を見た。
「――――――――どうしてこんなにも似てるんだろう。――――――――どうして、こんなにも……………………懐かしいんだろう」
「………………ミセ?」
僕の背後でミセと呼ばれる少女の様子がおかしいことに気が付いたメアさんが何かを尋ねるよりも先にミセは決意めいたように首を大きく横に振る。彼女の中で何かの覚悟が固まった。
「任務を優先する。でも……アサギは置いていけない。…………………………メア」
「え……?」
その瞬間。その瞬間だけ、彼女の瞳から敵意が消えた。だが、その敵意が消えた瞬間、その刹那。
「閃光」
彼女の指から放たれた魔力が眩い真っ白な光を生み出した。視界と意識を同時に奪う光は僕とメアさんの動きを同時に封じた。
視界が蘇った時には既に三人の姿はなかった。