230 いぬたち
「死にますよ」
冷静に言うからこそ、その言葉には重みが増す。
冗談やその類の言葉ではないことは明らかだ。脅しでもない。明確な現実。もしくは未来予知。
確信めいたその言葉には伝説の占い師のようなうさん臭さもない。ただ、現実を突きつける医者のような通告。
対し、
「だからこそですよ」
「えっ?」
「だからこそ、僕は行くんですよ。知らないから。無知だからこそ乗り込めるんです。僕は知らないです。あなたの言うレディとか言う人がどれだけ強いのかも、その行為が一体どれほど愚かで無謀なことなのか。それすら無知だからこそ恐れずに進める。――そう考えてみてもいいんじゃないんですか?」
「……聞いていたよりもずっと」
「えっ?」
今度は僕が驚く番だった。
聞いていたより? どう言う意味なんだろうか?
明らかに含みのある言い方であるが故、気になって気になって仕方がない。
「あの?」
そう聞き返そうとすると、
「あの子がいないっ!!」
ホールに響き渡る大きな声。
血相を変えて入って来たのはメアさんだ。
「な、何を言って……」
人はあまりにも突然の出来事に対しては思考にタイムラグが生まれるらしい。はっきりと言って、初め、この人は何を言っているのだろうか? と、本気で思った。
情けなくも呆然と意識が追いついていない僕に対して周りの二人の焦燥は色濃く現れる。
焦っている。
それも――本気で。
「いない?」
「隣の部屋に魔法で寝かせておいたはずなのに気が付いたらいなくなっていたんです!」
「…………気が付いたら」
「……!」
何かに気が付いたのかメアが目を閉じ、何かを探り始める。――何か、とは曖昧な言い回しになってしまったが、何のことは無い。恐らくメアが探っているのは魔力かその類のモノであろう。
「……やっぱり! 侵入者!」
言い終えるとすぐさまにメアは店から飛び出そうとするが、ルシドが無理矢理腕を引っ張り、それを制す。
「は、放して!」
キッと睨みつけるメアの視線を受けてもなおルシドの表情は変わらず、
「可能性はあります。ですが、いえ――だったらなお更。俺は止めるぞ。メア。行くな。行くべきではない」
その言葉のやり取りには上司と部下の関係ではない確かな“何か”が存在し、その“何か”に根負けしたのかメアが先に目を逸らした。
メアの体から力が抜け落ち、腕がだらりと垂れ、最早駆ける力が無くなったと判断したのかルシドが強く掴んでいた腕を放す。
(腕があんなに赤く……)
想像し得ないほど彼は彼女の腕を強く掴んでいたのだろう。彼女の腕はファンデーションでは誤魔化しきれないほど赤くなっていた。
(どうしてメアさんはあんなにも焦ったんだろう。どうしてルシドさんは彼女を本気で止めたのだろう。どうして――――クドはいなくなったのだろう――――――まさか)
一連の行動と彼の本気さ、彼女の必死さ。
長く逡巡する必要はない。
「……っ!」
すぐさま駆けた。
「しまった!」
ルシドさんが僕を止めるには注意が足りなかった。
「早いな、行動が。やはり血筋か。……ふふっ」
「支配人?」
メアの視線に気が付いたルシドは「なんでもありません」と呟き、
「任せてよいのか。身勝手ではないのかとも思う。――しかし。しかし、か。……そうだな。無知の利。賭けてみるのも悪くはないと言うことですか。――――セラ様」
小さく独り言を言い、次は独り言ではなく、ちゃんとした声でちゃんとした言葉をメアに投げかける。
「よく探ってみるといい。侵入者の正体を。お前でもそれくらいは出来るだろ。少なくとも人間かそれ以外かの違いくらいならば」
「え……」
答えを聞くよりも先にルシドは、
「少し長電話をする。一人にしてくれ」
そう言い残して部屋の奥に姿を消していった。




