220 群れへようこそ
振り返るとそこには別の女性が立っていた。
てっきり声をかけてきたのは先ほどの男性五人衆に絡まれている女の人かと思ったのだが、さっきの女の人は一連の騒動を直で目撃して恐ろしくなってしまったのか、とっくの昔に気配を消していなくなってしまっていた。
「相変わらず薄情よね。人間って言うのは」
「はあ……」
いきなり何を言っているんだろうかこの人は、と僕はそう思った。
ため息を吐いて右手でセミロングの髪を揺らしながらその女性はさらに続ける。
「助けられておいて礼の一つも言えないなんて、これだから人間って言うのは嫌なのよ。男も女もない。人間ってのは、本当に無礼で恩知らず」
何となく相手の人間に対する嫌悪感と言うものが否でも応でも伝わってきた。
それはどことなくあの子に似ているような気がした。
――あの吸血鬼嫌いのあの子と。
だからこそ感じ取ることが出来たのかもしれないが。
「ひょっとして……」
「ええ。あなたたちと同族よ」
夜の街に潜むかのように漆黒のドレスに身を包んだ女性はこちらを見据えると、わずかばかりに微笑んだ。それは愛想笑いのような上辺だけの表情であったが、まるで心を奪われてしまうかのように妖艶に見えた。
(綺麗な人だ……)
男子高校生が抱くレベルではあるものの、とても綺麗な人だな、と思う。大人の女性――と言うんだろう。ドレスでは隠せない起伏に富んだスタイルも透き通るような白い肌も何もかもが妖艶で、こういう大人の色香に絆されたいと言う一抹の感情に流されそうになる。
彼女が透き通るような声で、
「私はメア。この街で働いているキャストの一人よ。あなたたちと同じ吸血鬼。サキュバスのメア」
そう言わなければ。
「吸血鬼!?」
「随分と驚くのね。……キミたちだって私と同じ吸血鬼なんでしょう? だってあなたたちからは私と同じ魔力がするもの」
どこか人間離れした美しさを兼ね備えていると感じていたが、その実、彼女の正体は吸血鬼であった。――自称で終わる可能性も無きにしも非ずであったが、彼女の体からは確かに魔力を感じ取ることが出来た。この魔力を感じると言う行為が彼女の言う――自分と同じ魔力がする、と言うことなのだろう。
「正解です」
隠す必要も隠せる自信もどちらも無くなってしまった僕は正直に白状することにした。吸血鬼としての経験はどう考えても相手の方が一枚も二枚も上手のように思えたからだ。ここで変に相手を警戒させても仕方がない、そう考えて。
「僕はかなたって言います。こっちは妹のクド」
「……」
名乗られたからには名乗り返さなければならないと思い、簡単にだが自己紹介をした。クドの方は僕の手ぶりに合わせて一度だけぺこりとお辞儀を返す。何やら緊張している様子。
こういう大人の女の人を見るのは初めてなのかもしれないので、それが原因か。
「ふ~ん、吸血鬼の兄妹……ってところ? 珍しいよね。そういうの」
メアと名乗った女性がまるで値踏みをするかのようにこちらを注視してくる。――実際、何か覗き込まれているかのような感覚を感じ取れた。だが、僕はそのことを特に口に出そうとは思わなかった。恐らく二度目の魔力探索。兄妹と称した僕たちの素性を確かめようと思ったのか、彼女はもう一度確かめるように僕とクドの二人を見比べ、その魔力を測っているのだろう。
「うん。本当に兄妹みたいね。魔力の質がそっくり」
彼女と僕たちの間に脱力した空気が流れた。
緊張が解けたのだ。
「もう警戒しなくてもいいよ、お嬢ちゃん。……私はあなたたちの敵じゃないから。……くすっ、それにしてもお兄さんの方は随分と鈍感なのね。私の放つ魔力に一切の警戒の色を見せないなんて」
「……まだ慣れていないだけ」
憮然とそう返すクドの言葉にメアさんの表情に悪戯っ子のような意地悪そうな笑みが浮かぶ。
「そう」
「うん」
譲る気のないクドの言葉にメアさんも負けじと睨み返す。――とは言っても不良同士の喧嘩の一秒前のような一色触発寸前の睨み合いなどではなく、どことなく動物同士の縄張り争いを彷彿とさせるような付かず離れずの空気感によく似ていた。
吸血鬼と言う生き物は人間よりも動物に近いのだろうか、と僕は呑気に考えて、
「クド、大丈夫だと思うよ。別に。色々あって気が立っているのだろうけど、この人には関係のないことだから、そんなに睨んではダメだよ。それに何かあっても僕が何とかするから」
再びクドの頭を軽く撫でてから軽く仲裁に入る。
「……キミが?」
アイシャドウでくっきりとした切れ長のメアさんの目と僕の目が合った。その目の焦点にはちゃんと僕の姿が映りこんでいた。
「はい」
しかし、別に戸惑う必要もなく僕は率直な返事をした。
「……面白い」
メアさんが名刺を取り出して僕に手渡してきた。
名刺――と言っても所謂一般的なサラリーマンなんかが使う名刺とは明らかに違う夜の名刺。
名前や企業名なんかが白の印刷物にプリントされているだけの簡素なモノではなく、名刺全体に彼女の顔写真がプリントされていて、その裏には彼女の働いているであろう店の名前がお洒落な筆跡で描かれていた。
「近くに私の働いている店があるの。『Freesia』っていうガールズバー。寄ってく?」




