217 その夜の出来事
そして時は少しだけ進む。
場所は結社のビルの中にあるクラリスの自室。ベッドルーム。
彼女のベッドルームは自室と表現するよりも海外のビジネスホテルのような質素さがあった。物をあまり置かないタイプでもないのだが、この部屋にはあまり余計なものを置いていない。
眠るためのベッドに、暗闇を照らすテーブルランプ。唯一雑貨と呼べるような代物はベッドの上に置いてある熊のぬいぐるみぐらいだろうか。
ただ、この部屋の共通項として部屋を照らす洋風シーリングライトとベッド、テーブルランプはどれもが海外の高級品であることだ。よく見ればテーブルランプを置くための小さなウッドチェスト(もちろんチェストの中には何も入っていない)もどこか高級感を漂わせていた。材質か、はたまたデザインか。
その中で熊のぬいぐるみだけはどこか浮いていた。他の調度品が高級品であるかのような気品溢れる物ばかりなのに対し、このぬいぐるみの価値はせいぜいが二、三千円程度。一般的な普通のぬいぐるみの値段のモノであった。
しかも……ちょっとだけ古い。
ぬいぐるみのデザインにも流行り廃りがある、という話ではない。デザインが古い、のではなく――ぬいぐるみ自体が色褪せている。まるで彼女が子供のころに買ってもらったような懐かしさがあった。
よく見れば所々が綻んでいて、何度も直したような跡が見て取れる。
そんな奇妙な調度品に囲まれている部屋の中、
「あ~っ、ど、どうしよ、どうしよ~~~っ!」
クラリスがいきなり頭を抱えながらベッドにダイブした。
手にはスマホが握られている。先ほどまで件の少年と電話をしていたのだ。……ついさっきまで。
……ちなみに頭を抱えているのは決して電話が来たのが嬉しすぎて羞恥が極まったからではなく、電話の最中に頭を三回ほどぶつけたからである。
――多分。
いつも自分が使っている枕を胸の下に潜らせて、うつ伏せのまま手を前に持ってきて自分の持っているスマホを見た。
スマホには着信履歴が残っていて、
(アイツの……番号……)
電話は非通知ではなく、ちゃんと携帯電話でかかってきた。なので相手の番号がクラリスのスマホに表示されていた。
(番号……)
ほとんど無意識だったのだろう。クラリスはぼーっとしたまま着信履歴を操作して、彼の電話番号を登録し、
「…………って、何してんの私っ!!」
自分でやっておいて、自分で驚いて、自分でツッコんでいた。ほとんど自作自演。
そんなに驚くのなら登録を消してしまえばよいのに、と誰かしらのツッコミを期待するが、残念――あるいは幸運なことにクラリスの自室には今、クラリスの一人しかおらず、そのツッコミは期待出来そうもなかった。
「…………はあ」
胸の下に潜らせていた枕を引きずり出してクラリスがその枕に顔を突っ込んだ。
そして、
「ふ、ふふ」
静かに笑い出した。
「ふふふ……♪」
明らかに喜色を混ぜて。
そしていくばかの時が過ぎた。
もしかしたら眠っていたのかもしれない。
スマホはずっと握ったままになっていた。だからこそ目を覚ましたのだろう。
(メール……?)
クラリスの考えた通り、スマホにはメールが届いていた。ついでと言っては何だが、メールの他にも着信も――少し、違う。着信も、がではなく。着信が何度も、である。
本当にクラリスは眠ってしまっていて、その間に連絡があったらしい。そして最後にメール。
さすがのクラリスもこの着信の意味が分からないほど鈍感ではなかった。
メールは最後通告、と言ったところだろうか。
「…………」
彼女は面倒だと思いながらもメールを開く。
「なっ…………」
クラリスは絶句した。
幸せだった気持ちは綺麗に吹き飛んでしまう。
相手は前川庵。
件名は『夜分遅くに失礼致します。』
内容は、
『決闘の日時が決まりました。明後日の朝。逃げるなり覚悟を決めるなり、ご自由にどうぞ』
と、だけ。
――全身から力が抜け落ちた。
クラリスはだらりと手をベッドの上から垂らし、
「………………っ」
恐怖に体が硬直する感覚を密かに思い出していた。
「………………明後日。その日、私の運命が決まる――か」




