214 その夜の出来事
時間は少しだけ遡る。
今日は珍しく学校に通って来たクラリス。今はその帰り道だ。そろそろ出席しないと単位が取れないとクラスの委員長からの連絡(決して仲はよくないので恐らく義務としての連絡)を受け、クラリスは少し不機嫌そうな顔をしながら学校から続く道を歩く。
(面倒臭い……)
クラリスは心底そう思った。
学校に通うのが、ではない。
「……すげー美人」
「……いいなあ。私も外国人だったらよかったのに」
「……日本人が金髪にしても浮くんだよな。やっぱり本物は違うなあ」
ひそひそと聞こえるのはクラリスの美貌を称える声。羨望の眼差しも中にはあった。それはクラリスが天津女学園の制服を着ているせいもあるのだろう。
ここら一帯の進学校で、知名度も割と高い。
色々な意味で注目を集める羽目になる。
さらにそれに加えて、クラリスの容姿もまた、男性のみならず同性の視線も同じくらい集めてしまうほどレベルが高いモノであった。
――日本人離れした黄金の髪が夕方の風に流されて、さらさらと揺れる。
――日本人離れした澄んだ青いサファイアのような瞳も、透き通るような白い肌も、何もかも――日本人の女学生に「負けた……」と言わしめる魅力があった。
――手足も、不健康そうに見えないほどにすんなりと長く細い。近くで見れば分かることだが、手も足も絶妙に引き締まっていて、若い女学生にありがちな不健康そうに見えるほど細くもない。程よい筋肉は女性を美しく見せる。そのことを無自覚的に、彼女は実践しているのだ。
だから街中の男性はその美しさに見惚れ、女性は羨望の眼差しを送る。――自然の摂理とも言えるほどに。当たり前のように。
しかし、その眼差しをクラリスは心底「面倒臭い」と思っていた。
クラリスは自覚していないが、自分がどうして注目を受けているのかと考えて、答えは二つあると考えている。一つは「自分が日本人ではないから」。これは明白であり、どうしようもない事柄だ。今の時代でさえも日本人は外国人を見ると多少なりともドギマギするらしい。そしてもう一つが「この学校の制服が珍しいから」である。天津女学園の制服を着ることはそれ自体がステータスになるほど、レベルの高いことらしい。つまりは入学が難しく、受験に成功したとしても莫大なる学費がかかる。つまるところ「お嬢様学校」なのである。
「…………ふう」
クラリスが小さくため息を吐くと、周りから「おお~」という小さな歓声が上がった。
(……何なのよ、まったく)
これまた無自覚に、クラリスはお嬢様っぽい仕草をする。
具体的に言うと、学園指定の茶色の革の鞄を身体の前に両手で持ち、目を伏せ気味に小さなため息。少しアンニュイっぽい雰囲気が「本当にお嬢様なんだ」みたいなオーラを醸し出していた。
実際に天津女学園の制服を着ている時点で、クラリス・アルバートは「お嬢様」なのだが。
――そのことを分かっているかどうかは別の話として。
(……ああもう、ダメ。窮屈過ぎ……)
とうとうクラリスはこの微妙に勘違いしている空気に耐えられなくなって、走り出そうと思ってしまった。
しかし、クラリスは走らなかった。
――どちらかと言えば、走らなかった、のではなく、走れなかった。
「!!」
クラリスは一度体をびくんと震わせた。
あれから常にスカートのポケットに入れっぱなしになっていたスマホが鳴ったのだ。
要は着信の知らせ。
別にクラリスは肌身離さずにスマホを持ち歩いている訳じゃない。風呂に入る時には当然のようにスマホは置いていくし、学校の体育の授業中なんかは着替えと一緒にスマホを放置している。――でも、持てる時は出来るだけ持っている。『携帯』なんだから当たり前の話だと自分に言い聞かせている節が多少はあったことは認めるが。
「で、……電話、みたいね」
少しだけ緊張する。
電話くらいで……と誰もが思うことなのかもしれないし、自分自身でもそう思っている。クラリスは人見知りをするタイプでもないし、電話くらいで緊張するほど肝っ玉も小さくない。――そんなことではヴァンパイアハンターなんて職務が全う出来るはずもない。
しかしその顔は明らかに緊張している顔だった。
あれから一週間ぐらいは経過したのだ。そろそろ。……そろそろと言う想いがクラリスの中で芽生え始めていた。
「……っ」
生唾を呑む。
その様子は合格通知を待つ苦学生のようであったが、天津女学園に通うクラリスには縁遠い話だ。
クラリスは意識をしないままため息を吐く。
スマホをスカートから取り出して、大きく息を吸いこんだ。二度、三度と深く深呼吸をしてから、電話に出る。
相手は、
『あっ、佐藤? 俺、俺。今度の休みの日だけどさあ――――』
頭の悪そうな間違い電話。
ブチ切れた。
「番号ぐらい確かめろ間抜けぇ――――――ッ!!」
周りが若干引くぐらいには。
八つ当たり気味に電話を切って、クラリスは顔を上げる。
(ったく……。いつになったら……電話してくるのよ、あの…………バカは)
「ふん」
やっぱり不機嫌そうにクラリスはスマホをスカートのポケットに仕舞いこむと、再び「お嬢様」っぽい挙動で帰り道を歩き始めた。




