213 クド、涙を流した後
電話を終えてスマホをポケットに入れる。
少し気分が落ち着いた。頼りになる“知り合い”がいると本当に心強い。
たとえその想いが一方通行だとしても。
「…………ありがとう、クラリスさん」
電話を切った後、独り言のようにもう一度だけ静かにお礼を言う。
この行動自体に意味は当然のようにない。する必要のない行動。無意味なエネルギーの浪費。
でも……たまにはこういうのも悪くない。
「とりあえず……歓楽街に行ってみるのが一番ベストか」
それじゃあ……さっそく行ってみようか。
そう言って行動を開始しようと思っていた僕であったが、その言葉が続くことはなかった。
単純に驚いていたのか、もしくは――何かの危機感を感じ取っての行動だったのか。
(……どゆこと?)
「……どゆこと?」
思わず心で思ったことがそのまま口に出た。
やっぱり相当驚いていたんだと思う。
電話はずっとクドに背を向けたまま話していた。それは別に意識的にやっていた訳ではない。なんとなく。そう、ただ何となく――たまたまクドに背を向けていただけ。
特に意味はない。
先ほどの無意味なお礼と同じ。
だから気が付かなかったのだろう。
――気が付けば、クドがずっと僕の背後で軽く俯いていたのだ。
付き合いの薄い人間が見ればどうにも思わないような小さな俯き。
――しかし僕はそれなりの付き合いがあると自負している。友として。――兄として。
だから分かった。
何となく。
やっぱり、何となくだ。それでも何かを感じ取ることが出来た。
その俯くという仕草はクドの長い髪でムッとした表情を隠そうとしていることだということが。
そう、クドがムッとしていた。
「……頼りになる」
やっぱりと言うべきか当然のことだと言うべきか。それはクドの“嫉妬”だった。俗っぽく言うとヤキモチ。
クドが呟いた言葉は僕が電話中にクラリスさんに対して、ほとんど無意識的に放った彼女を称える言葉。
ほとんど無意識だったので、自分では気が付かなかったのだが、恐らくクドは僕が彼女に対して「頼りになる」と言った時点から顔を俯かせていたのかもしれない。
気が付かなかった。
――クドが、彼女が気が付かない内に“感情”の起伏が以前より遥かに激しくなっていたことに。
以前の彼女にも“感情”はあった。しかしそれはなだらかで、彼女の大好物であるカップケーキを食べた時にだけそれは表面に現れ、隆起していた。それは所謂“食欲”みたいなモノで、どちらかと言えば“本能”に近いモノだったと思う。
“感情”と“本能”では根本的に何かが違うような気がする。
言うなれば“感情”はヒトで。“本能”はケモノだ。
彼女はヒトに近づきつつあった。
嬉しい。
それはとてもよいことで、とても嬉しいことだ。
しかし――それはそれ。これはこれ。――とか言うやつで。
「……………………」
「……………………」
目が、合った。
いや、この場合は――合ってしまったとでも表現するのが正しいのだろうか。
とても冷たい目をしていた。
詳しく言うと半眼。分かりやすく言うとジト目。
「……頼りになる――か」
言葉はどこか自虐的で。
行き過ぎた自虐と言うモノは時にして鋭利な刃物へとその姿を変える。
「あの女は頼りになるか。そうか」
(く、クドが……)
「さっきの電話……あの女だろう? わたしなんかよりも頼りになる」
(いじけて……)
「わたし……そんなこと一度だって言われたことないのに……。あの女には言うんだな……」
(卑屈になっておられる……っ!?)
「わたしは頼りにならないもんな」
(う、うわ~~~~っ!!)
こ、困った。こいつは困ったぞ。
所謂一つの緊急事態。
今すぐにでもメーデーメーデーと叫んで誰かに助けを求めたい。だが、この問題はどうやら自分が蒔いた種らしい。それを人任せにするというのは無責任が過ぎる。
どう考えても転身も撤退も許されない場面。
「いや……別にクドが頼りにならないって訳じゃないからさ、そんな気にすることでもないんじゃ」
割と定番な言い訳だった。
確かに言い訳臭い言葉だったが、真実でもある。
僕自身、クドのことを『頼りにならない』などと思ったことは一度もなく、寧ろいつも『頼りになる』と思っている。
毎夜行っているトレーニングにしろ、クドのこっち側の知識にしろ。僕にないものをたくさん持っているクドが何故『頼りにならない』ことになるのだろうか。
だからクドが考えている自分は『頼りにならない』という言葉は完全なる的外れ。
しかし、だからと言ってこの場でクドのことを頼りになるなどと言ったとしてもそれは軽い慰めの言葉にしかならない上に、そこはかとなく嘘っぽい。
嘘じゃないのに嘘っぽいと言うのはどう考えても理不尽に思うのだが、ここは素直に謝っておくのが一番いいのだろうな。決して、このいたたまれない空気に負けた訳ではない。断じて。
…………本当に。
「ごめんよ。でも……信じて欲しいな。僕はクドのことを絶対に『頼りにならない』とは思ったことは一度だってないことを」
結局は自分が思っている言葉を素直に相手にぶつけて、それを理解してもらうぐらいしか今の僕には許されていないだろう。
「…………」
クドが一度僕の顔を見た。
そして伏せる。
「……?」
その仕草はどことなくわざとらしかった。
クドがそういう仕草を意図して行ったとは到底思えないので、多分――気のせいなのだろうとは思うのだが、やっぱりその行動に意味はあったらしく、クドは一度お腹辺りで手をぎゅっと握って、
「じゃあ……」
振り絞るように。
「…………カナタは、その。………………えっと、その」
もじもじとしながら、呟く。
「――――――――――誰が一番、頼りになる?」
とんでもない爆弾を持ち出してきた。
「ぶっ!?」
予想外のセリフにたまらず噴き出す。
もしかしたら戸惑いと驚きの表情が浮かんだのかもしれない。しかしそれを表に出さないように懸命に努力。とにかくポーカーフェイスを貫く。
聞き間違いであって欲しいと思わなくもなかったが、
「……誰? わたし? リク? それとも…………あの女?」
あまりにも真剣な目をしたクドを前に、その可能性はないのだと悟る。
「誰って……」
突然のクイズ。
三択を迫られてしまう。
(……その三人の内の誰かを言わないと話が終わりそうもない雰囲気だな~。でも……僕、みんなのことをそれぞれ、それぞれがそれぞれに『頼りになる』と思っているから、誰が一番とか考えたこともなかったな)
真剣なクドには申し訳ないと思ったが、心の中では「弱ったな~」と本気で考えてしまう。本気で聞いてきていることも理解出来る。この状況でこういうことを尋ねてくるというのはどうもこの少女にしては、この少女らしくない――と言うか、想像もしていなかった行動だ。いや――この場合は、あえて……らしいと思うべきか。それともやはりらしくないと思うべきなのか判断が難しいところ。
クドは答えが欲しい。
そう思っていることに違いないのに、僕の用意した答えは――
「みんなのこと……すごく頼りになると思っているよ?」
クドが想定した答えよりも遥かに情けなく、どこまでも優柔不断な“へたれ”っぽかった。
でも……僕はそう答えるのが精一杯だ。
「うん…………そう、だな…………。わたし、何を聞いているんだろうな。……あはは、すまない。カナタ……忘れてくれ」
頭を軽く下げてクドが僕から目線を外す。
その表情は、どこかほっとしているようにも見えて。――どこか、つまらなさそうにも見えて。
何となく“女の子っぽい”と思った。
◇
歓楽街へと向かう前に僕とクドは着替えに家へといったん戻ることにした。
最初はそのまま行けばいいのだろうと思ったのだが、歓楽街と言えば夜のイメージが強かった。学校の制服で出歩いていれば、善良な市民なり不良な市民に目をつけられる可能性が少なからずあったためだ。
通報でもされれば否が応でも担任教諭の先生に連絡がいくかもしれない。
そうなると、ちょっと困ることになるかもしれないと考えたから。
後、これが一番大きな理由だったのだが。
制服の上からは生々しい血の跡がこびりついていた。
――――通報不可避。




