209 “悪疫”と“十字架を背負う者”
空中にクドの氷が射出されたのを見て、僕は一目散に飛び出した。
別に知らせのサインを予め決めていたという訳ではない。
恐らくは氷を飛ばしたのはクドなりのアドリブだったのだろう。
氷は不可視ではなかった――というよりは、空中の途中から視ることが出来た。それは不可視のクドが不可視のまま氷を飛ばし、不可視のクドの手元から離れた氷の塊が可視状態になったから。
だから視ることが出来た。
それはつまり、クドが不可視の状態で氷を飛ばしたということ。
戻る間も無く、氷を飛ばすべきだと判断し、実行した。
――何かあった。
そう考えるのが妥当。
だから走った。
後でクラスに僕たちがいないことに誰かしらが気がつくのかもしれないという杞憂がないとは言い切れないが、そんなことにかまけている場合ではないと思い、ビルに跳び、駆けた。
距離はそれほど離れてはいなかった。
駅を少し過ぎたぐらい。
だから、そう。だから、間に合った。
見えた。
クドとクドに探しに行ってもらった梨紅ちゃんが闘っている姿が。
クドが何かを諦めるかのように、闘う“意思”を自ら断つ光景を。
「ダメだああああああああああああ!!」
叫んだ。
心の底から。
腹の中の空気を全て吐き出したみたいな大きな声を。
間に合え、と思った。
二人の姿はあらゆる意味で対比となっていた。
クドは全てを諦めたかのような潔さが。
梨紅ちゃんの方は躊躇いもない殺意を手に持っていた刀に乗せて。
振りかぶって、まさに振り下ろす瞬間、
「させ、るかあ!」
僕は二人の間に割り込んだ。
考えも何もない。
ただ、無謀に。
ただ、がむしゃらに。
二人の間に割り込んで、あわよくば、どうにか出来ないかと思って。
「ぐっ!?」
結果から言えば、どうにかなった。
「「――――――――――ッ!?」」
僕以外の二人が固まる。
クドが無言の悲鳴を上げたように見えた。
梨紅ちゃんの握る刀の手に迷いが生まれたように思えた。
「これ以上は……ダメ……だよ?」
洒落じゃ済まない、そう続けようと思ったのに声が上手く出せなかった。
自分が思っているよりも深手だったらしい。
刀は僕の肩から腹にかけてを袈裟斬りのように深く大きな傷をつけていた。
痛みが灼熱のように感じる。
痛いというよりも熱い。
そういえば、梨紅ちゃんは“炎”が得意なんだっけかと何かを思い出しかける。
目に浮かぶ光景は、炎。
視界全てが真っ赤に染まる灼熱地獄。
しかし、またもや。
ふっ、と。
何かを思い出しかけたことを、忘れる。
片膝をつく。
立っていられなかった。
「カナタァッ!」
そこでようやくクドが現実へと戻ってきた。
クドが駆け寄って来て、僕の体を支えようとする。
――が。思いのほか重傷の人間の体は重かったのか、上手く僕の体を支えることは出来なかったらしく、僕の体は大きくバランスを崩して冷たいコンクリートの地面に突っ伏した。
「か、カナタ……カナタ……、リクゥッ!」
突っ伏した地面から冷気が頬を伝わってきた。
冷気が生まれたのと同時、亀裂が入った地面の隙間から黒い帯のようなものが一緒に生えてくる。
(く……ど……)
声が出せなかった。
だが意識を失ってはいなかった。だから、分かった。この魔力の胎動。
また、だ。
また。
クドの体が真っ黒に染まる。
「どんな理由があろうと、彼を傷つけることを……我は望まぬ。望まぬぞぉ!」
クドが左手を上げる、のと同時に地面から生えた黒い帯のようなモノが左手と連動しているかのように蠢き、放心しているかのように動かない梨紅ちゃんに目がけて動く。
「はー……はー……」
気道が動いた。呼吸が乱れる。
でも、声が出た。
瞬間、爆発が起こった。
物理的な膨張ではなく。
魔力の破裂。
もしくは――暴走。
黒いクドが命じる。
「死ーーッ!!」
ね、という言葉が続くことはなかった。
「く……ど……だめ……だ、よ……殺しちゃ……だめ」
朦朧とする意識の中、ほとんど意識のないまま、僕はクドの足首を掴んでそれを制した。
「約……束、したろ。……ぼく、たちは……ぜったい、……に。犠牲に……なら、ない……って。……みんなと……一緒に……がんばる……って。……み、んな……の中に、あの子、もいるだろう。梨紅……ちゃ、ん……も……だ、から……だめ、だよ……そんなの……かなしいよ……。約束は……破ったら、いけないんだよ。……それ、に……は、ははっ……針を、せ、……せんぼんも……用意するのって、け、結構……たいへんそう……だ……っ」
限界は突然訪れた。




