207 “悪疫”と“十字架を背負う者”
霊力の残滓を追いかけていくと、どんどん人混みが増えていった。
ちょうど駅から繁華街へと続く道。
クドラクはあまりここまでは来ない。――というより、来ようとも思わなかった。
彼女は本心で気が付いているのか、気が付いていないのかは別の話として、あまり人混みが好き――得意ではなかった。
嫌いではないのだと思う。
色んな人々に囲まれて生活する学校に通い始めたことが、彼女の中の苦手意識を拭い去っていた。それはよいことだ。よい傾向。
だが、やはり。得意ではない。
しかも一人だ。
誰に頼ることも、逃げることも出来ない空間にクドラクは少々、酔い始めてきた。
「…………っ」
久しぶりの感覚だった。
酒を呑んで酔う、という感覚とは少し違う。
どちらかというと車酔いや船酔いの類。
(人が多いと……どうしても、みたい)
理由はなんとなく察しがついていた。しかしこのことを誰かに相談しようとは思わなかった。
相談するということは、その実、知られるということ。
――知られたくなかった。
こんな“体質”。
昔であれば気にもしなかったことなのだろう。実際、少し前までの――記憶をなくして、公園や近くの森か何かで野宿して、畜生のような生活をしていたころのクドラクであればなんとも思わなかった。
でも今の生活を続けていく内に、
それが間違いだったのだと半ば強制的に気付かされることとなる。
人と触れ合うことの当たり前さに気付かされた今のクドラクにとってこの“体質”は“異常”だと認識せざるを得ない。
「リクは……」
まるで自分の“感情”を誤魔化すかのようにクドラクは再び霊力の残滓を追いかける。
無論、無意識。
いた。
思いのほか、探し人は早く見つかる。
見慣れない男と一緒だった。そしてここまで伸びてきていた霊力の残滓は梨紅の体から放出されているものだった。
クドラクは一人で納得し、片目を瞑る。
(そうか……この霊力の正体は……)
霊力は彼女ではなく彼から放たれていたらしい。
だから霊力がいつもよりも“老練”されていた。これは霊力の残滓などではなく、道しるべ。
ここに霊力の残滓を見つけられることを想定した宿敵からのメッセージ。
クドラクは悩まなかった。
迷いすら生じなかった。
(久しぶり)
まずは念話で様子見。
“まさか……貴様とはな。俺も落ちたモノだ”
声が反応を示してきた。
どこかその声色に悔しさを滲ませて。
(――助けるから)
余計な言葉はいらない、そう言い聞かせるようにクドラクはどこまでも短絡的に。
宿敵は。
“……頼む”
宿敵は。
(もちろん!)
念話を切る。
切ってその直後、
「氷よ」
指から放出された冷気の塊が天を穿つ。
「カナタならきっと気がつく。だって……カナタだから」
これは魔力の放出。
しかも圧倒的な量を含んだ、“悪疫”の。
当然、宿敵は反応した。その――連れの男までも。
「誰だ!?」
声を荒げたのは男の方だった。梨紅は一言も声を発しない。
それどころか梨紅が男の前に歩み出る。まるでその男を庇うかのように。
目は虚ろで、はっきりと言って生気を感じることが出来ない。
「な、なんで……ここに“悪疫”が――っ」
男は意外と若い印象を受けた。男と呼ぶよりは少年と呼ぶべきのような。
どこか雰囲気はかなたに似ているような――気がした。
しかしそれは贋作のような雰囲気も同時に放っていた。少年の優しさの雰囲気はどこか人工的で、自分の知る少年の、根源たる優しさとは似ても似つかぬような贋作っぷり。
笑ってしまった。
「くっ……っ! 予定が……――なんて。……ね。手間が省けたよ。いや、本当。重畳」
対し、少年もまたクドラクとは別の意味で笑みを浮かべる。
「見ろ」
少年が懐から一〇〇円ライターを取り出して火をつける。
簡易的な炎がクドラクの視線を釘付けにした。
「キミの大切なものは何なのか教えてもらおうかな?」
クドラクの表情から生気が消える。目が虚ろとなり、とろんと溶ろける。脱力するように右手がだらりと垂れ、口がだらしなか半開きとなった。
「じゃあ……質問だ。僕は、誰かな?」
少年は内心、ちょろい――そう思った。
それは確信。
それは慢心。
それは自信。
しかしその少年の中の確信と慢心と自信は、決定的に裏切られることとなる。
「……んべっ」
クドラクが舌を出した。
口が麻痺している訳ではない。少女は意図的に少年に舌を出してみせたのだ。つまり、わざと。
明確な挑発行為。
「なっ!?」
明らかに少年の態度に動揺が現れた。
言葉で説明するよりも分かりやすく、うろたえる。
「……なるほど。どうしてリクがボーッとしているのか分かった。そうやって操っているんだ。――お前の術で」
そしてすぐに少年の術を看破する。術の正体や仕組みなどは詳しくは分からないが、それが一種の精神操作系の術であることはすぐに分かった。
「大方、洗脳か魅了の類の術だろう? だったら私にはそういう術の類は一切効かないから」
その言い分は少年の含んだ感情と少しだけ似ていた。しかし決定的に違ってもいた。
それは確信ではない。
それは慢心ではない。
それは自信ではない。
あるのは断言。
「それらの術には決定的な弱点がある」
だから私には通じないという、決定事項。
理屈も何もない。
弱点が一体何なのかという説明をする必要性もそれを教えてあげる義理もクドラクにはなかったので説明をしてあげなかった。
「な、何で……ち、ちゃんと術は発動したのに……っ! 吸血鬼が相手だろうと効くはずの術なのにっ! ……まさか、お前っ」
そして少年は結論に至る。
「大切なモノがないのかっ!」
それは一見、的外れな言い分ではあった。
しかしクドラクはその言葉を聞いて、言い得て妙だとも思った。
(何か勘違いをしているみたいだけど、ひょっとしたら……当たっているのかもね)
しかしそれこそクドラクの勘違いであった。
本人は気が付いていないが。
「くっ……あ、あははは。流石は“悪疫”と称されることのある。……正直舐めていたよ。ならば」
少年が一歩下がる。
代わりに梨紅が一歩前に出てきた。
「……転送」
小さな声で梨紅が呪文を唱えると梨紅の目の前に見慣れた刀が出現する。
臨戦態勢。
「やれ! “十字架を背負う者”よ、“悪疫”を殺してしまえ。そのための存在だろう、キミは!!」
誰かに命令することに慣れた口調と来栖梨紅の存在価値を決めつける暴言にクドラクは若干――いや、かなりの憤りを確かに覚えた。
ぞわりと全身の毛が逆立ったかのような感覚。
どうしてこんな風に思ったのか。
そんなものは簡単だった。
「どけリク。お前とは……戦いたくない。用があるのはその男だけだ」
ぐぐぐっと、クドラクが握り拳をきつく結ぶ。
「私は怒っているぞ!」
瞬間、クドラクが跳んだ。
梨紅の後ろで命令している男の元へ。一瞬で。
「!?」
少年は反応すら出来なかった。
驚くことも。
慄くことも。
何一つ反応することが出来なかった。
クドラクが右手に魔力を集中させると、右手の指の爪が伸びた――かのような錯覚が起こる。
それは爪ではなく、蒼穹の氷。
どこまでも澄んだ蒼色の氷の爪がクドラクの右手を包んだ。
「氷の残影掌爪!」
攻撃は届く――はずだった。
しかし、阻まれた。
氷の爪と指の間に梨紅が刀を差し込み、少年を庇った。完璧な防御。
「さすがだ……リク♪」
動きが洗脳で鈍っているとはいえ、この反応速度。
流石は我が宿敵。
「ひっ」
その間にようやく反応することの出来た少年は、
「ば、化け物共め……っ」
力の差を歴然と感じたのか、見事なまでに、振り返ることすらせずに逃げ出した。
「僕が逃げ切るまで、そいつの相手をしていろっ!」
とてもよく慣れた反応のように思えた。
(たぶん、追うのは……むり、か)
今、追わなければきっと見失う。しかし追えば背後から宿敵の凶刃を受けることになるだろう。
そういう片手間でどうこう出来る相手ではないことを、クドラクはよく。よーく知っていた。




