193 クラリス、自分の勘違いに気が付いてホッとする
「くそ……! この! このっ! このおっ!」
「ぐ! よ! ほ!」
しばらくの間、僕とクラリスさんの攻防が続き、空を見上げれば煌々と輝く月がわずかに落ち始めた。
それと同時、彼女の体に異変が起き始める。
「はあ……はあ……」
「どうしたの! 動きが鈍くなってるよ!」
「な、……何でもない……わ、よ! ……はあ……はあ……」
明らかに彼女のスピードが落ち始める。
攻撃のスピード。
防御のスピード。
機転のスピード。
ありとあらゆる戦いにおいて欠かすことの出来ないスピードが徐々にしかし着実に落ち始めてきた。
呼吸も乱れ、動きも雑になってくる。
……やっぱり。
そう僕は確信する。
(初めてお酒を呑んだんだろうな。……体は正直だ――!)
ごめんね、と心の中で謝りながらも勝機とばかりに攻めに転じる。
「んな!」
攻勢をいっぺんにひっくり返す。
今の今までジャブやキックを織り交ぜたキックボクシングで攻め立てていたクラリスさんの懐に一気に入り込む。クラリスさんからすれば急に僕の姿が消えたように見えたのだろう、攻撃のリズムがぴたりと止まる。いつもの彼女であればこの程度のリズムの狂いなど、はっきりと言って些細な問題だったのだろう。
――しかし。
今の彼女はただの酔っぱらいである。
リズムの停止だけでは留まらず、体勢がぶれる。足元がふらついていたのと上半身の無理な攻撃の体勢が酔いで完全にバランスを崩してしまったのだ。
こうなれば、最早。
「えい」
ちょっとクラリスさんの肩を押す。
たったそれだけのこと。――たったそれだけのことで。
「……きゃ」
重心がぶれていたクラリスさんの体はほんの少しの力で押しただけで重力に逆らうことが出来ずに尻餅をついてしまう。……随分可愛い声付きで。
「く!」
尻餅をついたクラリスさんが慌てて、尚且つ悔しそうな顔で僕を見上げた時にはすでに遅し。
「はい。僕の、勝ち」
ぴん。
と、景気の良い音が夜半の公園内に響く。
全身全霊のでこぴんがクラリスさんの額にヒット。
肉体的な致命打とはとても言えないような一撃ではあるが、精神的な意味での致命打としては決定的であった。
腹や頭を殴るよりも屈辱的で、より致命打としては効果的。
……過ぎた。
「く……」
「え……」
「う……」
勝負に勝ったはずの僕が思わずうろたえ、おろおろする羽目になる。
「う、う……」
あのクラリスさんが。
勝ち気で、決して弱みなど相手に見せることのないクラリスさんが。
「…………っ」
悔しそうに目尻に水滴を浮かべていた。
決して泣いているとは言えないような微妙な感じで、声をかけるべきかかけざるべきか、非常に危うい状態に陥っていた。
(これは……まさか……あの時みたいに……)
あの時みたいとは、僕と彼女が初めて戦った時のこと、彼女が僕が手を抜いていると勘違いをして泣いてしまった時のことだ。
こ、今回……僕は手加減なんかしていないぞ。け、決してあの時は手を抜いていたとかじゃなくて! 本当に手加減なんかしていないんだ。た、確かにとどめは……何となく手加減をしたみたいな感じになっちゃったけど。それは……最早勝負を決めるのに殴ったり蹴ったりする必要がないと判断しただけで、とどめとしてはでこぴんで十分だったはず。
そう……判断したの……だけれども……。
ま、間違えた……っぽい?
気まずい……なんてものじゃない。首筋に脂汗が浮かび、どのようにしてこの窮地を脱するかを考えてはみるものの何も打開策が浮かばず、最早十八番のジャパニーズ土下座をしてしまおうかと本気で考え始めた頃、
「……負けた……」
(ぐおっ!?)
悲壮感たっぷりにそう呟く彼女を見て心の中で頭をハンマーで思いっきり打ち砕かれたかのような衝撃に倒れ込む。
「負けちゃった……」
(のわっ!?)
倒れ込んだ僕の頭を罪悪感が死体蹴り。
「…………っ」
とうとう。
――とうとう彼女の瞳から涙が零れ落ちた。
涙の滴が地面に落ちるよりも前に、
「……ごめんなさいっ! クラリスさん、今日負けたのは本調子じゃないからなんだよ! だ、だから泣かないでくださいお願いします!」
ジャパニーズ土下座。
「え……?」
クラリスさんは不思議そうに首を傾げ、僕を見下ろしていた。
これから僕の話す真実を聞き逃すまいとして。