192 クラリス、自分の勘違いに気が付いてホッとする
勝負の内容は至ってシンプル。
「――いい? 手加減はしないし、アンタも手加減なんてしたら私はアンタに死ねと命じる。……させないでよね」
「……分かってる」
彼女の声のトーンがいくらか落ちた。冗談のように聞こえない冗談というのは少々笑いにくい。顔が真剣になる。
(流石はクラリスさんってところか。自分がどんな状態なのかも分かっていないだろうに、覇気だけは揺らいでない。……ほんと、尊敬するよ。そーいうところ)
「戦いの合図は私がする。合図の後は何をしても自由。先に相手に致命打を入れた方の勝ち。……文句ないわよね?」
ここまではっきりと聞こえてくるような大きな声で宣言をする。
対し、
「うん。それでいいよ」
僕も頷いて鼻の頭を少しだけ掻いて、身を少しだけ屈ませてから構えた。久しぶりの人間相手の戦闘だ。少しだけ緊張する。
右手の指を屈伸させ、ぽわ~っと魔力を確かめる。
左手の指を屈伸させ、じわ~っと霊力を確かめる。
……よし。大丈夫。お酒のせいで多少なりとも動きと力が鈍るかもしれないと危惧したが、ちゃんと魔力も霊力も普段通りに働いてくれている。
やれる。
「……絶対に認めない。勝てば分かる。はず」
何かをぶつぶつと呟いた後、一見してクラリスさんの表情が変わった。目つきを鋭くさせ、そしてそのまま、
「――スリー、――ツー、――ワン……」
カウントダウンを始め、そのまま一歩、また一歩と僕との距離を縮めていく。それに合わせて僕も一歩、また一歩と彼女に近づいていく。二人ともクドのような遠距離から攻撃するような技や魔法なんてものを持っていないので、どうしたって戦い方は近距離での殴り合いが基本となるであろうことを理解している。だからこそ、この間合いの詰め方。先に動いて、先に相手の懐に入り込んだ方が勝つ。
――速い方が。
――勝つ!
「GO!」
合図を叫ぶのと同時、二人が一気に駆けて間合いに飛び込み合う。
やはりと言うべきか。
早く動いたのは僕の方だった。差にすればコンマ数秒程度。だが、戦いにおいてこの差は結構大きい。
「……悪いけど、一発……入れる!」
「――っ!」
身を屈ませ、クラリスさんの視界から消えるような角度から渾身のアッパーカットを決める。角度、速度、共に問題なし。
(捉えた!)
……と、思ったのだが。
拳が顎に入る寸前、彼女が走ってきた勢いを殺しつつバック宙をしたのだ。なぜ勢いを殺して、そんな芸当が出来たのか、理由はすぐに分かった。彼女が広げた両手の指から彼女の武器である鋼糸が伸び、公園に設置されている街灯の支柱にぐるぐると巻き付かせてあった。その鋼糸を軸にすることによっていきなりの空中停止からのバック宙という芸当を可能にしたらしい。
バック宙をすることによってアッパーカットをいなした彼女はそのまま飛び退きつつ、空中で鋼糸を分離。そしてそのまま突っ込んでくる!
一息の内に距離を詰め、回し蹴りの体勢。
(まず――っ!)
「ふっ!」
アッパーカットを決めにかかっていた僕の体勢は右手を上げたままで、腰も据えていたのでクラリスさんの高速の回し蹴りを避けることは出来ない。
――と、判断し、僕は上がったままであった右手の肘をわずかに左に曲げて、僕の腹目掛けて飛び込んできた彼女の足裏を肘で防御。骨の内側にまで響くような衝撃に、
「ぐ……」
思わず顔をしかめる。
……が。致命傷は避けた。
「ちいっ!」
大きな舌打ちをした後、彼女は後方へ跳躍。距離を開き、一度体制を立て直す。
僕もその間に体制を整えることにした。……にしても。
(流石……ってところか。自分の状態が分かっていないにも関わらず、こんなにも動けるなんて。やっぱり彼女は僕なんかよりも強い。戦闘のセンスがある。……いや、この場合はセンスと言うよりも経験か。僕にはない……圧倒的なまでの場数が違うんだ。……こりゃ、舐めてかかってたら負けちゃうぞ……)
舐める気なんて毛頭ないけど、顔が引き締まってくる。ぐっぐっと拳を握って、次の一手を考える。
(このままやりあっても、武器を持っている彼女の方が幾分、有利……か。……なら)
武器差で不利なら、体調差で有利を取る。……これしかない!
◇
クラリスは後方に跳んだ後、自分の額に浮かぶ汗を拭う。少しぬめっとして、気持ちの悪い汗だった。
(なに、これ……)
「はあ……はあ……」
少し動いただけだったのに、クラリスは高熱を出しているかのように体がだるくなっていた。体が重いというような感じだった。
体調の不調を感じてはいたが、あまり気にしていなかった。
なぜなら。
(……っとに、もう! あの銀髪吸血鬼が変なことを聞くから変に意識しちゃうじゃないの! す、好きとか……なんとか。私には……そんなのいないの! 絶対にそうなのっ!)
首を大きく横にぶんぶんと振って、頭の中に自然に浮かび上がってくる邪な考えを振り払ったり何だので、自分の体調なんかにかまけている暇はなかったのだ。一言で言えば。
――それどころではない。
自分のこの妙な考えを認めてしまえば、“負けた”気がする。何だかよく分からないけど、“負け”。理由はよくわからない。でも“負け”。
顔を上げ、キッと目の前に見えるアイツを睨んで凄む。
――あんなのに、“負け”たくない!
これは――対抗心、そう。対抗心の……はず。
そう自分に言い聞かせて。
再び彼女は攻めに転じ、烈火の如く攻め続けた。