191 クラリス、酔わせて
ある日の再現のように僕は彼女に引きずられ、外に連れ出されていた。
ちなみに誰も止める者はいなかった。クドはすでに夢の中に旅立っていたし、先生に至っては酒を呑むことの方が大切だったらしく当然の如く、黙認された。……今、深夜なんですけどね。高校の先生。
とりあえずどこに向かったのかと言うと。
「ここなら十分……いいえ。十二分に暴れられるわ」
近くの森林公園。僕とクラリスさんが初めて出逢った場所であり、僕がいつも夜のトレーニングに使っている場所。
確かにこの場所なら夜は森林公園に張られた結界のおかげであまり人は寄り付かない。いわゆる勝負をする場所としてこれ以上にないぐらいの好条件の場であろう。
……しかし。
「弱った、な……」
つい本音を口から零してしまうほど、困った状況になってしまった。
恐らくこれから行う勝負と言うのは戦いなのだろうとは思う。何せ、クラリスさんの方は両手の指に一〇本の指輪をはめてシャドーボクシングをしてちゃっかりと臨戦態勢。
僕は。
「……止めた方がいいと思うんだけどなー」
と、少し呆けたような声を出す。
無論。
クラリスさんには聞こえないように、だ。
彼女は気が付いていない。
――この勝負、すでに勝敗は目に見えている。
やるまでもない。
僕が、勝つ。
それは別に僕と彼女の実力に目に見えて差があるだとか、そういうんじゃない。土俵に立つ以前の問題。
彼女は……酔っぱらっているのだ。
たぶん、初めての経験。もしくは感覚。
そんな状態に彼女は陥っている。
基本的にふらふらと体を揺らしている。何だか壊れかけのヤジロベーみたい。あっちにふらふら。こっちにふらふら。放っておくと前のめりになって倒れてしまいそうなほど頼りない。
しかし、そんな状態でも彼女は戦おうとしている。
両手の指にはめた一〇本の指輪から漏れ出している霊力が彼女のやる気指標になっていて、やる気は十分のようだ。
たとえ、このまま僕が止めた方がいいと志願し続けたとしても彼女は戦いを止めないだろう。それどころか……もし仮に僕の提案を受け入れてしまえば彼女のプライドに傷をつけかねないことになってしまう。……それは、嫌……だな。
なので。弱った、なのだ。
「さあ! とっとと構えろ! 私に……あんな、あんな恥ずかしい思いをさせてっ! もう、容赦しないんだからっ!」
何やら激昂状態のクラリスさん。彼女には悪いが、本当に何で急にクラリスさんが怒りだしてしまったのか見当がつかない。……何か、言ったっけかな~?
彼女の尋常ならざる激昂ぶりに軽く戸惑う。
相変わらずアルコールのせいで顔は赤いし。
あ、怒ってるから顔が赤いのか?
無駄だとは思うけど……。一応聞いてみようか。
「……あのさ、何をそんなに怒っているの?」
何か気に障るようなことを言ったのなら謝る、そう言おうとして。
「……ひうっ」
「え……?」
僕が声をかけた瞬間にクラリスさんが少し後ずさりをした。
……ちょっと傷つく。
「こ、こっちを見るな、ばか!」
……にしても怒り過ぎじゃないかな。ちょっと目が逢ったぐらいでそんなに怒らなくても……。泣いちゃうよ、僕。
と。まあ、冗談はさておき。
僕は彼女に対峙しながら顎に指を置いて考えを巡らせる。
このまま勝負を避けることはたぶん、出来ない。彼女の戦意は本物のようだし、何より怒り状態の彼女に説得が通じるとは思えない。
「……うーん」
だったら。僕は一つの考えに至る。
と、
「……違う違う。絶対に。絶対、違う。……勝たなきゃ。勝って、――この思い違いを否定してやる」
僕が一人考えを巡らせている間、クラリスさんもまた何か独り言のようなモノを呟いていたが、やはり声が小さすぎて何も聞こえなかった。
(何を喋っているのだろう? この距離じゃあ流石に聞こえないな。ま、聞くのも野暮か)
顎から指を離すと、僕は彼女に向かって、
「一つ……いいかな」
と、指を一本、立てて見せた。
「――っ、な、何よ」
指を立てられたことに若干驚きつつもクラリスさんが僕の声に応えた。
「……さっきまでの勝負は僕が勝っていたよね。……あ、トランプのことね」
「ま、負けてないし!」
勝負に“負けた”と直接的な言葉をぶつけられて彼女の自尊心に火が付いたのか少々声を荒げてクラリスさんが反論を示す。
――分かりやすい子。
でも……その方が色々とやりやすい。
僕の導き出した答え。その答えを彼女に提示してやる。そのための交渉。……まあ、交渉と呼ぶにはちょっと彼女には分が悪い話なのだけれどもね。
「一回目のババ抜きは僕の“圧勝”。連戦連勝。……でも、これは一回でいいよ。たとえクラリスさんが一〇連敗を期したとしても、それは一回でいい。だから、まず。僕の一勝」
「ぐぬぬ」
悔しそうに唇を噛むクラリスさん。
「次に七並べだけど……これは無効にしよう。勝負は最後までつかなかったしね。これはイーブン。つまり引き分け、もしくは無効試合でカウントせず。つまりはどっちも勝利カウントはつかないわけだ。これで僕たちの勝敗結果は一勝一引き分け。……でね、たとえこの勝負、クラリスさんが勝っても互いに一勝一引き分けで勝負はつかないと思うんだ」
「だから?」
ちょっと……イライラしているみたいだな、クラリスさん。……そんな彼女の態度を見て少しニヤニヤとしてしまう。……う~ん、少し悪党の気分。
「――だからさ、この勝負に勝った方が今日の勝負に勝つってのはどうかな?」
「……え」
一瞬、呆気に取られたクラリスさんだったが、
「は、はあっ!?」
ようやく僕の言っている言葉の意味を理解できたのか、大きな声を出して大変驚かれた。……まあ、無理もないか。
――だって、僕から提案する内容にしては僕に利点が無さ過ぎるもの。
僕はこの勝負、勝っても負けても負けはない。そしてクラリスさんはこの勝負に勝っても、最終的には白星を挙げることは出来ないのだから。
そこには何らかの意図があるはず。誰もがそう考える。
そして。
当然、僕には考えがあった。
……まあ、よくある話だ。
「な、舐めんなっ! 私のことバカにしてんのかっ!」
今すぐにでも飛び掛かりそうに激昂するクラリスさんに対して僕は、あえて冷静に。
「ううん、全然。だって……これ、交渉だから」
「……あ? 交渉?」
肩透かしを食らったようにクラリスさんの顔から熱が逃げていく。
「これ勝った方の勝ち。それと、もう一つ。僕から条件というか……勝負を面白くするための提案」
「……提案?」
僕はこくりと頷いてから、
「うん。これからの勝負に負けた方は勝った方の言うことを何でも一つ聞く。……どうかな?」
「……何でも?」
「そう、何でも。それぐらいしないと勝負が面白くないでしょ」
「…………」
ちょっとした思いつきだった。
この勝負、僕がきっと勝つ。もちろん僕が負ける可能性だってあるわけだけど、それを差し引いても僕はこの勝負をよい機会だと思うことにした。
――彼女にもっと気楽に息抜きをさせるためには。
こういう強引なやり方はあまり好きではないのだが、それでも、それが彼女のためになるのではないかと思い立って、ちょっと意地悪な提案をしてみた。
……断られても別にいい。
機会を失っただけだと思えばなんてことはない。
でも。
――きっと彼女は断らない。
勝負にこだわり、勝利に飢えている彼女であれば。――きっと。
「いいわ。分かった。それで、勝負しましょう」
やっぱり、乗ってきた。