187 クラリス、酔わせて
「はふう……」
色っぽいため息を吐く一人の少女。クラリスだ。
流石の少女も自分の状態がどこかおかしいのではないかと感付き始める。
頭がふらふらする。
焦点が定まらない。
目の前が歪んで。
何か。
……楽しい。
それに、
「…………」
ふと。
クラリスは部屋の中にいた少年の姿を目で追った。
もう何度目か忘れた。
見る度に、
「あ、あ……あ~っ」
と、髪をわしゃわしゃと掻いた。
(な、なんで……何を見てるの! 私はっ!)
別に顔を見ることぐらいは何とも無いはずなのだが、どうにも顔が熱くなっているのが何だか気になってしまっている。
原因は何となく分かっている。
隣を見た。
今日は自分の状態がおかしいのに加え、いつもあの男の傍にいる銀髪の吸血鬼の様子も何だかおかしい。
やたらと、
「お前は誰が好きだ?」
とか。
「そもそも好きとか分かるか?」
とか。
人をおちょくってんのかって思うような質問を繰り返してきていた。
好き。
自分には縁遠い言葉だ。
たぶん、こいつが言っている好きの意味は“Like”じゃなくて“Love”の方。あくまで“Friends”じゃなくて“Lovers”の方。
それぐらいの意味は分かる。
と。
「わ、わ、わっ」
また顔が急に熱くなってしまった。
どうやら頭の中で好きと言う言葉の意味を考えてしまったせいで、今まで現実味の無い好きという単語がリアルに生々しくなってしまったらしい。
自分の熱くなってしまった頬を両手で抑えてみた。
「……あっつ」
自分が思っている以上に頬は熱くなってしまっていた。
体の温度を下げるために、
「んっ」
あの吸血鬼が飲んでいた自分がさっきまで飲んでいた“桃味のジュース”を一口飲む。
(……やっぱり変な味)
変な味のジュースだが、今は自分の体温を下げる方が大切だったのであまり気にしないでおく。
でも……。
(好き……かあ)
ジュースの味は気にならなくとも好きと言う言葉は気になってしまう。
仕事こそやっているが、クラリスもうら若き乙女であることに違いはないので興味があるかどうかと聞かれれば興味があると答えるぐらいには関心はある。しかし、当事者となって考えてみると結構複雑なもので。
クラリスは異性の知り合いがあまりいない。それこそ両手の指で数えられるぐらい。クラリスは現在は女子中学校に通っているため、少なくとも学友と呼べる知り合いの中に男の人は一人もおらず、仕事関係者で言うと同じ年代の子はいない。大体年上。しかも大抵既婚者。もしくは恋人がいる。
仕事関係で話をしたことがあるというのを含めればもっといるかもしれないが、それは知り合いにカウントしてはいけないだろう。
(あれ……? 私って男の人の知り合いがほとんどいない?)
自分でも驚くことに本当に数えられるぐらいしかいなかった。
――しかも片手。
クラリスはちょっと落ち込んだ。知り合いの数なんてどうでもいいと思っていたけれど現実を突きつけられてみると結構落ち込む。少ないというのは……落ち込む。
落ち込んだので、また。飲む。
「…………」
また。
ふらふらする。
首を傾げ、変だなと思う。
しかし原因がまったく分からないので、やっぱりクラリスは気にしないことにした。
(それにしても……)
と、クラリスが横目で自分と同じジュースを飲んでいるクドラクのことを見た。先ほどまでは妙なテンションで好きかどうかだのという質問を繰り返していたのに、今度は眠そうに目を擦っている。
(やっぱり……ちょっと気になる……)
今度は逆に自分が聞いてみる。
今日の自分はおかしい。だから、こんなことが気になった。
「そういうアンタは誰か好きな人でも出来たっていうの?」
と。
「~~~!」
眠そうにしていたクドラクの体がぴょんっと跳ねる。
眠気が吹き飛んでしまうほど顔を紅潮させ、
「な、なななな!」
ひどく狼狽している。
どうやら人に尋ねることに対しては抵抗がないくせに、自分が尋ねられると分かりやすいぐらい動揺するらしい。
慌てた手つきで、
「ち、違うぞ。わ、わたしが……そんな……っ」
何やらよく分からないことを口走っている。そんな最中、クドラクはどこかを見ていた。クラリスは不思議そうに視線を辿り、
「あ~」
と、一人納得。
それと同時。
ちょっと……ムカついた。
――視線の先にはあいつがいた。
何となく予想がついていた答え。
クドラクの見た目からして男性の接点が多いとは考えにくい。寧ろクラリスの中で自分の姿よりも幼い外見の知り合いという自負があった。そんな相手が自分よりも異性の知り合いが多いだなんてことは考えにくい。――というより、考えたくない。
となると、自ずとクドラクの好きな相手というのにも容易に想像できる。
クラリスはちょっとだけムッとする。
(……こんな子供にも、やっぱり好きな人とかっているもんなのよね……。普通は)
ちょっと羨ましい。
自分には――たぶん、いないから。
そもそも好きとか嫌いだとかを意識したことがない。
意識するとするのならば、単純に、敵か、味方か。たったそれだけ。
敵か味方かを判断するのに好きだとか嫌いだとかという感情を重ねるわけにもいかない。
こいつは嫌いだから敵だろう。こいつは好きかもしれないから味方。
「ふっ」
考えてみてあまりにも滑稽でクラリスは思わず笑ってしまった。
あり得ない妄想だ。
クラリスは“結社”という大きな組織に身を置いているが、そこにいる人間は恐らく味方だと言ってもいいだろう。同じ目的を志す同士として。だけど、そいつらのことを好きかどうかと聞かれれば、恐らく迷うことなくクラリスは“嫌い”だと答えるだろう。
そもそも今のの結社の人間関係において、感情は関係ない。
ただ、強く。
強者だけが結社の理である。
強者に弱者は従う。
クラリスはその中で盟主と呼ばれるような存在にまで登りつめていった。その中でクラリスは何度も騙され、謀れたことがあった。結社の理は“強者こそが絶対。弱者には存在価値すらなし”というものだ。存在価値がない。だから、弱者は強者に何をされても文句ひとつ言えない環境だったために、色んな確執が起きる。そんな環境だったから誰もが強者に憧れた。憧れて、色んな手を使って強者になろうとしたものが何人もいた。
そして、そうやって強者になっていく人間をクラリスは何度も見た。そして、同時に。それを激しく嫌悪した。
同じにはなりたくないと何度も思った。
だから、クラリスは強さにこだわっていった。卑怯な手を使わず、真正面から自分は強者であることを誇示した。そうやっていく内にクラリスは盟主になった。
そういう意味ではクラリスという少女はどこまでも純真で素朴であった。
……強さにこだわったことには別の理由もあるけれど。
「……」
ぶんぶんと首を横に振る。
(……今はあまり考えたくない。この……何でだか分からない楽しい気分を台無しにしたくなんて……)
「え?」
クラリスは自分で考えて自分で疑問に思った。
……台無し?
ほとんど無意識の内に思ったことだ。それは本能のようなもの。心の内に抱えている抑えることの出来ない欲求。
クラリスは、
「……今、私。なんて」
反芻するかのように、
「台無しに……したくない……?」
と、言った。
クラリスは顔を上げた。
そして周りを見た。
周りは騒いでいる。よく分からないテンションで、クラリスが初めて見るような光景が広がっていた。それは耳障りで、とてもうるさいのに。どこか――楽しくて。
そして。
「お~い。クラリスさん」
目の前には。
――久遠かなたの姿が。
今年も終わりませんでした。
来年には終わらせたいなあ。
皆さん良いお年を。