186 クラリス、酔わせて
それからしばらくの時間は呑み続けた。
八神環奈はどかっと部屋の真ん中で胡坐を掻き、シャツの袖を捲り、立て続けに盃をあおっている。すでに先生の傍には大吟醸の空き瓶が二本ほど転がっている。その姿は鬼そのもの。
波々に注いだ酒を盃に注ぎ、酒を呑んで、
「美味い」
と、言う。それから、
「お前らも呑めよ」
教師が未成年に酒を勧める。一発で解雇案件。
ある意味すごいと思った。
「先生」
「お、久遠……どした~」
「やっぱ……マズくないっすか~」
「なにが」
「いや……あれ」
あれ、とは。
僕と先生が盃を交わしながら吞んでいる隣の陣地で、
「ほら、これ……うまいぞ。女」
「わらひは……ひっく。おんにゃ……って名前じゃにゃくて……く、……ラリスって……にゃまえだ。覚えろ……ばーか」
「いいから食べろ。かっぷけーき」
「……あむ。~~~♪ おいし~」
ほんのりと頬を桜色に染めたクラリスさんとクドの二人がカップケーキの食べさせあいっこをしていた。いつもの二人ならこんな風に打ち解け合うなんてことは考えられないことなのだが、二人は酔っている。その証拠にクラリスさんの座り方が少し雑になっている。スカートなのに足を崩し、スカートの裾から太ももが見え、ちょっと色っぽくなっている。
「いて」
「変態野郎が。ぶっ飛ばすぞ」
クラリスさんの生足に見惚れていた僕の頭を先生が殴った。
「……何で、巻き込んだんです? そう思うのなら」
「巻き込んだってのは……心外だな」
酒をちびっと呑んで、
「ま、あの子と出逢ったのは偶然だった」
と、話し始める。
「偶然ってのは」
「本当に偶然だったよ。お前には話したことあるかどうか微妙なんだが……オレ、実はな、あの子と似たような仕事もしている。……あの子風に言うと、生屍人の討伐だな。その仕事の帰り、あの子を見つけてな」
「先生も生屍人を……?」
僕は少しだけ考えた。
ちょっと前までクラリスさんと話していた話題のことだ。
生屍人。
僕は仕事ではないにしろ、自分の鍛錬のために毎日、生屍人を相手にして戦っている。クラリスさんと先生の二人は仕事で生屍人を討伐している。なのに、クラリスさん曰く、生屍人の目撃報告は増えているらしい。
ちょっとだけ……引っかかる。
どうして生屍人は減るどころか、増えているのだろうか。
「何だ? どうした?」
だが、今は関係のない問題なので頭を目の前の先生の話に持っていくことにした。
「いえ、何でもないです」
「そうか」
奇妙な間が生まれてしまい、その間を埋めるように、
「あ、先生。お酒、無くなってますよ」
言いながら先生の坂月に酒を注ぐ。
「おっとっと」
零れそうになった酒を先生が慌てて口で迎え、
「ふい~」
幸せそうに吐息を吐く。遠目で見る分には色っぽい。ちょっと艶やか。でも近づくと酒の臭いしかしないので、……まあ。まあ。
「それで? 先生は何でわざわざ中学生なあの子のことを酒の席に無理やり誘おうだなんて思ったんです?」
先生が盃から唇を離し、真っ直ぐに視線をクドとクラリスさんに向ける。僕もその視線を追うように二人に視線を合わせた。
視線の先では、
「なあ、女。お前には好きな人とかいるのか?」
と、クドが爆弾発言。
「な!?」
明らかに狼狽するクラリスさん。酔いと羞恥による顔の火照りを冷ますように顔をぶんぶんと横に振り、よく分からない手つきで、
「は、はあ? べ、別にそんなのいないし! ……いないし」
「……? どうした女。なんでカナタを方を見てるんだ?」
「見てないっ!」
「見てるぞ。絶対見てる」
「うるしゃい、うるしゃい、うるしゃ~い!」
何やら騒いでた。
話の内容まではよく分からなかったけど、一つだけ確かなことがある。
「……随分と楽しそうだ」
遠巻きから見てもそんな風に感じ取ることが出来た。
二人はすでに酒の力も相まって、よく分からない領域に達し始めていた。二人の間にピンク色の空間が出来上がり、酒の成分と人の体温が合わさって二人のテンションが自分たちの知る由もない速度で上がっていた。
「あ~ん? 吸血鬼~、らから……わらひは別に好きな人とかいないっての~」
「ほんとうか? 本当に……ほんとう?」
「しちゅこいな~……ひっく。そういうあんらは好きな人とかいるの~?」
「そ、それは……ごにょごにょ」
「な~に~? き~こ~え~な~い~」
よく分からない領域に達した酔っぱらいは男女関係なく、次第に声が大きくなり始める。聞き耳を立てずとも二人の桃色な会話が筒抜けである。
でも、僕が気になったのは会話の内容よりも屈託のないクラリスさんの表情、笑顔だ。
彼女の笑った顔は何度か見たことがある。
だけどその笑顔は不意に見せてくれたものばかりで、長い間笑い続けるというものではなかった。しかし、今の彼女は酒のせいではあるが長い間、笑顔を続けていた。
「あの子があんな顔を見せるなんて」
失礼ながら、僕はそう思う。
予想外というか、何というか。想像し得ない光景が目の前には広がっていた。
「……あの子はまだ、一五歳だ。笑って……当たり前だ」
据わった目をした先生が隣で、
「普通なら学校で学んだり、友達と遊んだり、もしかしたら彼氏なんかも作って、そんでもって馬鹿みたいに楽しく過ごしている。――だけどクラリスちゃんはそんな環境に身を置いていない」
盃を傾けながら、
「大人連中なんかに交じって、自分の隙を見せないように生活をしている。オレみたいなヤツが口を出すような問題でもないが、そんな生活……オレだったら耐えられないね。――自分の拠り所もないような生活、そんな生活を強いられ、あの子は――孤独だ。一人じゃないかもしれないけど、孤独だ。そんなクラリスちゃんを放っておけるか?」
と、先生が言った。先生は続け様に、
「それがオレがあの子をここに呼んだ理由だ。……文句があるなら聞くぜ?」
そう言って、黙って僕を見た。
僕は視線を二人に向けてから、ぼそりと。
「……息抜き、か」
「まあな」
「やり方はちょっと……教師にあるまじき行いだと思うけど、先生のそういう強引だけど不器用な優しさが垣間見える瞬間が……僕は気に入っているんでしょうね」
黙ってテーブルの上に置いてあったカクテルドリンクの缶を二本取る。
取って、
「ちょっと……悪い子にしてきますね」
先生は頷いて、
「たのまあ」